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全く希望しない部署に異動した私の1年後と学び

いよいよ2024年度が始まる。
1年の4分の1があっという間に終わり、年初に立てた目標ややりたいことリストの遂行率の低さに焦りを感じているのは私だけではないはず。

そんな私たちにとって、「年度」という区切りは新たに自分をリセットするためにとても良い制度な気がしている。



会社員や公務員であれば、年度ごとに部署異動や配置転換、昇級昇格などを迎える人も多いのではないだろうか。
大手金融機関に勤める私もそのうちの1人で、毎年3月頭には次年度の内示が出るのだ。

実は2023年3月(2022年度末)に出た内示は、私にとって青天の霹靂だった。
「ここに行くくらいなら辞めたいw」と思っていた(口にしていた)部署への異動が決まってしまったからだ。

その時の衝撃や、その後の切り替えについてはこちらの記事に書いている。↓

その後も、全く希望しない異動を控えている私がやっていることや、異動した2ヶ月半後といった内容で、内示後の記録を残していたわけだが、ここで総括として振り返りを残しておきたいと思う。


総括:忘れられない1年になった

初めに結論から書いてしまうと、「本当に思い出の多い、忘れられない充実した1年になった」ということ。

結局ハッピーエンドかい、と思われてしまいそうだが、その通り。

もちろん、それまでほぼ残業のない部署で働いていたの残業が爆増して体力的に死にそうになったり、それによって夫婦関係に微妙な風が吹いた時期もあったり、仕事を家に持ち帰って休日も作業することがあったり、正直大変なことも多かった。楽しいことだけでは全くなかった。

でも、業務内容の詳細をここに記すことはしないが、その仕事を1年間やったことで、今まで得ることのなかった達成感や充実感、自分の精神的な成長を感じることができた。


その理由を考えてみる

終わりこそ良かったものの、振り返れば、私が行った部署は「絶対に行きたくないと思っていた部署」だ。

異動後すぐに、自分が想像していたほど悪いところじゃないな〜とは思ったものの、それでも最初はこんなに充実した1年が過ごせるとは思っていなかった。

単なる”運の良いハッピーエンド”で終わらせるのではなく、「何故そのような1年になったのか」という観点から、次に活かせることや共有できることがないかを考えていきたいと思う。


自分の得意を活かせるスタートだった

新しい部署での仕事内容は、基本的にはそれまでの仕事とは全く異なる仕事だった。しかし、年度始一発目に求められた仕事は、今までやっていた仕事とリンクしており、かつ、自分が得意な分野だった。

これについては運が良かったとしか言いようがないが、「新参者」という立場ではあったものの、臆せずアウトプットしたことで周囲の信頼を少し得られたのではないかと思う。

仮に自分自身が得意な仕事ではなかったとしても、スタートダッシュの仕事でしっかり戦力として機能発揮しようとする意識はこれからも持ち続けたい。


周囲の人に恵まれ、それが自分の精神的成長に繋がった

私が1番「運が良かった」と思うのは、一緒に働く人たちにとても恵まれたということ。
年上の人も年下の人もいたし、もちろん自分とはタイプが正反対の人もいた。小さな違和感を感じることは当然何度もあったが、それでも人に恵まれて働けたと自信を持って言える。

人に恵まれたことで自分が働きやすかったという点はもちろん良かった。
しかし、1番の気づきは、一緒に働く人々によって、良い意味で自分がお尻を叩かれ、それが自分の精神的な成長に繋がるということ。


気持ちの良い挨拶をされる文化から、相手とのコミュニケーションの取り方を見直すことができた。

年次に関係なく助け合う風土から、周りに気を配り、自分にできることは率先して声をかける意識を持てた。

自分より何歳も年下の人が時には遅くまで残業しながら仕事をやりあげていたり、育児と仕事を両立しながら明るく働く先輩ワーママを見たりして、自分自身の責任感も増した。
「自分だけが手を抜いたり、自分の仕事だけやって終わりにしていたりしちゃダメだ」と思わせてもらった。

元々個人主義で他人にあまり興味のない私にとってはすごく新鮮な感覚で、自分自身もびっくりする気づきだった。



”自分でないといけない”仕事が多かった

私は長年、「残業代がつかなくても良いから、とにかく早く帰りたい」と思っていた。そして、「自分が多少サボったところで会社は潰れない」とすら思っていた。

しかし、この1年間は月に40〜60時間の残業。繁忙期は70時間近かったかも?(おかげで残業代によって年収は100万以上アップ)
残業代がつくならまだしも、仕事を持ち帰ることもたまにあり、何時間タダ働きしたか分からない。

正直、そんなことが自分にできたのかと今でもびっくりしているが、理由は分かっている。

既に書いた、周りの環境に良い意味で変えてもらったことに加えて、「自分がやらないといけない」と腹落ちしている仕事が多かったからだと思う。(※「腹落ちしている」というのがポイント)

業務内容は詳しくは書かないが、「これは自分がやるべきだ」「自分の立場や業務内容上、ここまでは整理しないといけない」と、心から思える仕事だったと思う。「やりがい搾取」とまでは言わないが、イメージとしてはそんな感じ。

「誰でも良いわけじゃない、自分じゃないといけない仕事」を与えられたことは本当に良かったと思っている。(何度も言うが仕事自体はかなり大変だった)

会社員である以上、働く場所も仕事内容も一緒に働く人も選ぶことはできないし、日々の業務で忙殺されることがほとんどだと思うが、仕事に自分なりの意味づけややりがいを見つけたいと(初めて)思うことができた。




1年で実は異動になった

こうして、2023年度は自分にとってはかなり意外にも、ガムシャラに必死に走った1年だった。

しつこく書くが、楽しかったことばかりではなくて、「変な案件引いたな〜」とウンザリすることもあったし、「この仕事に意味あるのか?」と思うこともあった。どんなに頑張っても終わらず、22時まで会社に残った日の夜は、本気で転職を考えた。

それでもその時できることを何とかやり切った結果、何と1年で異動することになった。実は年次の区切りで受ける昇格試験に合格し、いわゆる「栄転」が決まったのだ。

1年で異動することは極めて稀なので、本当に予想外。そして、昇格をすることも嬉しい予想外だが、何よりも、「離れるのが寂しい」と心から思えたことが自分にとってこの1年の全て。


この1年の学び

人間関係による心理的安全性が9割

「色々あったけど結局は運が良かった」というのは自分でも思うところ。
運が良かったなりに思うのは、「この仕事を全然合わない人たちとはできなかった」ということ。

連日お昼が食べられないようなタイムスケジュールも、
22時まで残業しなきゃいけない業務量も、
当時の業務特有の色々な問題も、
「この環境だからできた」と心から思えていて。

これでは誰かの参考になるような話にはならないけど、周囲との関係性やそれによる心理的安全性の重要性を感じた。コントロールできない部分ではあるが、自分自身の在り方は常に見つめておきたいと思う。


仕事も一期一会。やれる限りは力を尽くすべし。

たった1年で異動になった今、異動や昇格を喜ぶ気持ちもありつつ、「1年きりとは思わなかったなあ」という気持ちもある。

ーもっとやれることがあったのではないか
ー「来年はこうしよう」と思っていたことがあったのに
ー2年目は今年以上のパフォーマンスが出せると思っていた

決して後悔はないが(それくらい、自分的には働き切った)、会社員にとってのその年その時の業務は、一緒に働く人間以上に「一期一会」なのかもしれないと感じた。



4月からは、新しい部署で働くことが決まっている。
前回の部署異動以上に、全く畑違いの仕事をすることになるわけだが、今まで通り、仕事はライスワークだが、それでも必要な戦力となれるよう、頑張りたい。

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