想像と創造
今から25年近く前の話になるけど
大阪の街中にあるボディケアマッサージ店で
忙しい肉体労働を続ける中
もしも自分で独立してサロンをやるとしたら
京都の町家がいいなと漠然と考えていた。
当時、京都には何のゆかりもなかったけれど。
5年の修行時代を終えて
まずは自宅で開業しようと思うものの
さて、どうしてやっていけばいいものか
と迷っているときに
知人から「京都の鞍馬でアロマテラピーサロンをやっている人がいるんだけど、遊びに行かないか」と誘われ、二つ返事で快諾。
訪れてみると、鞍馬寺からほど近くにある実に理想的な佇まいの古い町家。
トリートメントも受けたがなによりその家で過ごす時間がとても豊かに感じられた。
お茶をいただきながらオーナーと話していると
「私、今度の春からオーストラリアに留学するの。なので、この店、手伝ってくれる人を探しているの」
と言う。
「あ、ならば、私が」とこれまた間髪入れずに、手を挙げた。
鞍馬で3年間、仕事させてもらった。
当時の私は自分の主張ばかりしてオーナーとはうまくいかなかった。
思い返すと恥ずかしい。
決裂して店を辞めることになったが、最後には「餞別に贈り物をしたい。何が欲しい?」と聞いてくださり、コーヒーポットをいただいた。
赤銅色のコーヒーポット、今もうちで使っている。
その後、「セラピスト」という雑誌で「サロンスペースとしていい物件に出会えるには?」という問いに答えるコラムを書かせていただいたが
「まずは理想を思い描くこと」
と参考になるようなならないようなことを書いた。
でも、本当に、描かないことには目の前に現れない。
そして、知っていることしか描けない。
だから、いろんなものに出会っていく必要がある。
創造性を掻き立ててくれるのは、私にとっては本や映画。
詩もそう。
どんな建物だって、まずは頭に思い描き設計図が決まる。
コーチングでも
「どうしたい?」
「どうでありたい?」
ということを初めに投げかけられるけれど
望みをなかなか言えないのは
どうやってそれを自分が為すのか
全く想像もつかないし、
どう考えてもそんなの無理だと思ってしまうからだ。
「思い描く」ぐらいはいくらでも自由にできるはずだけれど
「そんなの無理だよ」
「無謀すぎる」
「馬鹿げている」
と、脳内で声がする。
そうなると、自分で打ち消してしまう。
理想を描いた時にそれをどうやってするのかは考えなくていい。
ただ、人からなにか声をかけられた時にとりあえずノってみる事だと思う。
(もちろん、その匂いを感じ取って)
理想とは全くなんの関わりもないけれど「なんかおもしろそう」と感じたものに。
遠回りに見えて、実は最速。
何の保証もないけれどね。
あなたの清きサポートでますますがんばれます٩( 'ω' )و サポートしてくださった分で見聞を得て、またおかえししていきます。