「幸せを定義する」って、どういうこと?

昨日の朝に、Twitterでこういう
ツイートを見ました。

生きてくのに最低限必要なもの以外、
あとは楽しみしかない
水、寝床、食料以上のものは
楽しみとする
楽しみを定義しないと、
楽しみは気分次第であり、
実際に自分が楽しいのか楽しくないのか
気分で決まってしまう

(零点エネルギーヒーリングさん@flag1984 のツイート)

最初、軽く目で字面を追った時に
「厳しいな。最低限の衣食住以外、
全部贅沢って事かな」
って誤読してました。

でも、その日の夜まで気にかかってて
ちゃんと読み直したら、

「『楽しみ』を定義してると、
普段の生活の中でも『娯楽』を見つけられる、
休日を待たなくても
毎日を楽しめるよ」という事かなと…

昔、斎藤ひとりさんの音声YouTubeで、
「幸せの基準を下げる」
というのがあって、
「朝、目が覚めただけで幸せ(今日も生きてた) 目が覚めずにいた人もいるんだから」と仰っていて、

これが「当たり前」では無いんだと
分かると、感謝の念が湧いてくるし、

基準が「水、寝床、食料」以上だったら、
ささやかでも、毎日、結構楽しいことが、
あるんじゃないかな…?と。

これは別に、贅沢をしてはいないとか、
必要最低限でも生きてるだけマシとか
じゃなく、

「楽しみ」の基準を下げれば、
楽しめるのは休みの日だけ…と待たなくても、

毎日に娯楽があって
楽しく過ごせるのでは、
と考えたのです。

まだ、全部理解したわけじゃないので、
(「楽しいのは気分次第になってしまう」
のところが分からない。楽しいって気分に
なるから楽しみを感じられるんじゃないの?
と思ってしまう)

しばらくこの考えを実行してみて、
楽しかったらずっと取り入れていこうと
思います!

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