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『卒業写真』の思い出


卒業式


3月の卒業式の時期
誰もが思い出す淡く切ない思い出。


好きな人、好きだった人、
喧嘩をした人、嫌いだった人、
二度と逢えない人、
ずっと一緒だった人、ずっと一緒にいる人、
思い出せない人、忘れられない人。

それぞれの顔が朧げながら懐かしく思い出す。

『卒業写真』にはそれぞれの思いが有るかと思います。

写真の他にもう一つ

卒業の時に思い出す校歌や、在校生が歌った歌や、みんなで口ずさんだ歌が思い出されるかと思います。

その中でユーミンの『卒業写真』という歌

歌詞

悲しいことがあると 
開く皮の表紙
卒業写真のあの人は 
やさしい目をしてる

町でみかけたとき 
何も言えなかった
卒業写真の面影が
そのままだったから

人ごみに流されて 
変わってゆく私を
あなたはときどき 
遠くでしかって


話しかけるように 
ゆれる柳の下を
通った道さえ今はもう
電車から見るだけ

あの頃の生き方を 
あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの

人ごみに流されて 
変わってゆく私を
あなたはときどき 
遠くでしかっって

あなたは私の 青春そのもの

ユーミンの描く「卒業写真」は淡い恋の物語の様ですが、

私にはこの『卒業写真』の歌を聴くとあるひとりの人が思い出されます。

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彼は幼少の頃、病気で下半身不随となり、闘病生活の後、養護施設のある小学校に入学する事になりました。

小学校

当時、もしかしたら今は違うかも知れませんが、そこでは現実の厳しさを教えています。

言葉にすると誤解を与えそうですが、

教師が故意に生徒を転ばすのです。
生徒は涙ながらも必死に自力で立ちあがろうとします。
誰も助けようとはしません。

足が自由に動かず普通に歩く事すら難しい小学生を教師が転ばすと言う風景を想像できますか?
虐待では無いかと思いませんか?

ただ、後になってわかった事ですが、その転ばした教師も、その場では涙を堪え、陰で涙していたとの事です。

そこでの教育とは、
「その生徒が社会に出た時、一般社会では誰も助けようとはしない。
親に頼っても、親が居なくなった時に困らない様一人で生きていく力をつける」
と言う事を教えているのです。

今でこそ、便利な車椅子とか有りますが、当時は鉄で出来た、冬の時期はその鉄の冷たさと鉄の重みが身に沁みる装具をつけて歩行します。
まだ何も抵抗の出来ない子供に、親にも口出ししない様にと何度も伝えたとの事です。

中学校


そんな教育を受けた彼が、中学校に進学します。
そのままその施設で中学校の教育を受ける事も出来ますが、彼もその家族も健常者が通う普通の中学校に進学したいと希望します。

彼を引き受ける中学校も大変です。

健常者と同じ様にいかない事はみんなが思った事でした。

ただ、必死に熱心に何度も話し合ったのでしょう。
何とか普通の中学校に入学する事になりました。

多感な中学生。
殆どの生徒が初めて見る障がい者とどう付き合って行けば良いか、様々な反応があった事でしょう。
まだテレビもやっと一家に一台普及した程度の時代です。

もの珍しい存在の彼とどんな会話があったのか、彼からは言葉が少なくその時の3年間は想像するしか有りません。

周りが障がい者ばかりの小学校時代から、健常者ばかりの中学校時代。

高校

その後、彼は進学しますが、普通の高校では受け入れてくれるところがなく、またまた障がい者の集まる高校に行く事となりました。

決して裕福とは言えない環境の中、必死に勉強し国立大学への進学を目指したそうです。

結果は不合格。

ですが、高校で出会った教師はずっと彼の将来を考え、手に職をつける事をアドバイスします。

職業学校から自立して開業する迄、事あるごとに学校や就職先や開業まで、相手先に手配をしてくれた親以上に親身になってくれた教師でした。


彼は、発病当初から生死を何度も彷徨い、せいぜい20才位まで生きたら良い方と言われていましたが、診察した医師も驚くほど長寿となりました。

生きがいと言えば、タバコと読書とたまに買う宝くじ、時に時間がある時はパチンコ程度で、結婚もせず夜遅くまで仕事に打ち込む毎日でした。


とうとう別れの時が来ます。

別れ

56才で天国へ旅立ち、ご両親もその後、後を追う様に寿命をまっとうしたとの事です。


彼の枕元には、世話になった親ではあっても、いや、世話になったからこそ言えなかった不平不満が小さな小さなノートに書き込んでありました。


言えば傷付ける。
言ったらもっと惨めになる。

そう思ったのでしょう。
声には出さずそっとそのノートを友達として書き綴ったのだと思います。


そのノートと一緒に有ったのは、何度も何度も聞いたと思われる擦り切れたカセットテープ。

『卒業写真』

その中に入っていた曲こそあの
   『卒業写真』
だったそうです。

生前、楽しそうに出かけたのは、中学校の同窓会

何度も見たと思われる中学校の卒業写真

葬儀の時に多くの人が弔問に来てくれたのは、中学校時代の教師や同級生。

そして進学・就職・開業と親身になってくれた教師。



『あなたは私の 青春そのもの』

辛かった、楽しかった、理不尽を感じた、悲しかった、色々な思い出が、この卒業写真に込められ、『卒業写真』と言う曲の思い出につながっています。

『卒業写真』を聴くたびに彼の事を思い出します。

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