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恥ずかしいを乗り越える。

いつも似たような行為で赤面する。
みんなの前で自己紹介とか、発表会とか、ただ意見を言うだけでも耳が染まる。

"人間は慣れる"とよく言うが、20年生きてきてもどうにもこれだけはそうではないらしい。
でもある時から何も感じなくなった。

去年の8月、ひたすらビジネスコンテストで登壇しまくっていたときからずっと。

それまでに体験もしないほどの”羞恥心”で体がすくむ体験を何度もした。
何十人、何百人が自分に注目している。
それがいやでもわかる。
今までの羞恥心をかき集めても足りないほど、大きな大きな羞恥心だ。

それを数度経験してから、僕は大抵のことに尻込みしなくなった。
むしろ主体で意見を言うようにすらなった。

きっと羞恥心には閾値があるのだ。
羞恥レベル13程度の発表会や自己紹介を何度繰り返しても慣れないのは、ずっと同じハードルに羞恥の閾値があるから。
そこに羞恥レベル30 程度の行為と遭遇すると、閾値が跳ね上がる。そしてその閾値が新しい当たり前を構成する。

だからもっと自信を持てるように、もっと強く慣れるように、もっと恥を浴びようじゃないか。
いつもどおりの恥ずかしくない世界で停滞してる奴なんかより、今まで経験したことないような恥ずかしいことしてる奴の方が何倍もかっこいい。

そういう人に憧れるし、なりたいとさえ思える。
だから私も、恥ずかしいを乗り越える。

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