ディベート甲子園「名講評・判定」スピーチ“列伝第三回 田中時光さん

第24回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)高校の部・準決勝

論題:「日本はフェイクニュースを規制すべきである。是か非か」
*ここでいうフェイクニュースとは、虚偽の事実について、虚偽であることを分からない形で不特定多数をあざむく意図をもって作成された情報をいう。
*以下の三つを禁止する。
1.フェイクニュースを発信すること。
2.フェイクニュースと知りながらそれを拡散すること。
3.発信者または管理者がフェイクニュースを訂正または削除せず放置すること。
肯定側:東海高等学校(愛知県) 否定側:聖光学院高等学校(神奈川県)
主審:田中時光さん(全国教室ディベート連盟 常任理事)
動画はこちら

第1部 講評・判定スピーチ■

<1> 講評

選手の皆さん、観客の皆さん、お疲れさまでした。
見ていた皆さんもお感じだったと思うのですが、最初の感想としては非常にレベルの高い良い試合だったんじゃないかな、というところは、ジャッジ一同共通した見解としてまずはお伝えさせていただきます。
こういう試合をですね、多くの皆様も見ていらっしゃったと思うので、どういうところに学ぶ点が多かったのかというところも考えながら、是非私の話を聞いていただければと思います。

<1.1 ジャッジから選手への謝辞>


まずこれは感想めいた話から続けてお話をしていきますが、まずこういう難しいテーマ、特にディベート甲子園で取り扱うようなテーマというのは、「そう遠くない先の未来に訪れるであろう社会的課題を少し先読みして皆さんに議論していただいている」というテーマが多いです。そういう意味で、遠くない未来にどういう事が起こるのだろうか、という事をまさに我々の目を開かせてくれた、そういう意味でこの両者のディベートというのは非常に大きな意味があったんじゃないかな、という風に思っています。

例えばディベート甲子園で取り扱っているテーマですと、レジ袋の有料化とか、小売店の深夜営業の規制とか、陪審制(これは裁判員制度という風に置き換えられますけれども)や、18歳選挙権等々、ディベートをした当時には、まだそんなもの実現するのか?みたいなクエスチョンマークが残るような状態でやっていた物が、ディベート甲子園で議論した後になぜかダダダダダダっとみんな決まっていくっていうような、そういう事態が起きていたのではないですかね。

そう遠くない未来に、まあ我々もおそらく一有権者として、例えば選挙の時にそういうテーマを投げかけられたときに、どういう風に判断をしたら良いのだろうかという、まさに意思決定を迫られるテーマを少し先に、先んじてみなさんが議論してくれたおかげで、我々が「なるほど、こういう事を考えたら良いんだな」という事を理解させてくれた。そういう効果というのがディベートにはありますし、今日のディベートも、まさにそういうディベートだったんじゃないかな、という風に思います。そういう意味で私は本当にこの両チームの選手に「こういう議論をしてくれてありがとう」と感謝したいと思います。

<1.2 ジャッジから選手へのお願い>


感謝ついでに言うとですね、選手の皆さん。勝っても負けてもベスト4まで来たんで、是非ですね、結果如何に関わらず、チームメイトはもちろんの事、対戦相手、あるいは大会を様々な形で支えてくださっている皆さん、あるいは皆さんはまだ学生さんですので、ここに連れてきてくれている教員の先生方であったり、何より皆さんはまだ扶養されている側ですので、ここに送り出してくれたお父さんお母さんに最大限感謝していただきたいと思います。皆さんがこういう風に自由にディベートできるっていうのは、本当に様々な人の支えがあってできていますので、結果如何に関わらず、この大会が終わったら、まずお家に帰ったら、お父さんお母さんに「ありがとうございました」という風に言っていただきたいですし、学校に戻ったときには顧問の先生にも「ありがとう」と言って欲しいですし、様々皆さんがお世話になったと思った人に対して、そのような感謝を伝えていただきたい、そういう気持ちを、もちろん良い議論をするっていうのも大事なんですけれども、「皆さんがどういう人間になるか」が一番大事なので、そのあたりの感謝の気持ちを是非忘れずにいていただきたいなという事で、敢えて申し上げさせていただきます。

<2.>判定

<2.1>コミュニケーション点の発表


ここからはですね、少し試合の中身に入りつつ、まずはテクニカルなアドバイス・指摘事項をお伝えしたいと思います。
 
まずコミュニケーション点、先にお伝えしたいと思います。
各ジャッジ5点ずつ各パートにつけていますので、5人いますので満点は25点。3点平均で付けていますので基本的には15点が基準のラインになる、それ以上であれば比較的良い数値であった、それを下回ると改善の余地があった、という風に理解していただいて結構かと思います。
 
それではいきます、肯定側から。
立論:15点
質疑:19点
応答:18点
第一反駁:16点
第二反駁:19点
マナー点の減点ありませんので、87点。
 
15,19,18,16,19,0,87。
 
否定側。
立論:19点
質疑:19点
応答:17点
第一反駁:17点
第二反駁:18点
マナー点の減点ありませんので90点。
 
19,19,17,17,18,0,90点。

<2.2>試合におけるコミュニケーションについてのジャッジ所感とアドバイス


基本的には15点を上回っていますが、これは両チームに苦言を呈させていただきますが(笑)、皆さんのディベートめちゃめちゃ速いですよ、はっきり言いますけど(笑)この5人なので頑張って取りましたけど、どっちかは決勝戦行くので、もうちょっと頑張ってねっていうのは、全体的な感想としてあります。

速いのはしょうがないんですよ、こういう難しいテーマを制限時間かかって喋るので、ある程度はいいです。でも速くするのだったらそれなりの努力をしてほしい、というのはお伝えさせていただきます。

それは例えば滑舌であったりとか、あとは各立論で証明をしている要素ごとに、移る段階で、間をとるとか。あと皆さん見ていればわかると思うんですけどジャッジもですね、フローシート換わる瞬間あるんで、そういうところで一瞬間をおいてあげるとか、そういう優しさを持っていただけるとより点数は上がりますし、割とジャッジはそういうところを見ていますので、比較的点があんまり伸びてないなというパートは、そういうところを気を付けていただいた方が良いかと思います。
 
それから、この論題特に難しいのが、反駁以降になってくると肯定側のフローシートと否定側のフローシート双方で同じ事を言っている部分があるので、どっちのフローシートの所で議論しているのかっていうのをより明確にサインポスティングしないとわかりづらいよ、という事は申し伝えておきたいと思います。

とくに両…そうですね、肯定一反以降は特にそうやって忙しくなってくると思うので、そういうところを意識していただけるとより良くなったかな、という風に思います。
 
ただ一応理解としてお伝えしておきますけども、よく本当にリサーチをした結果としてこうなっているというのは重々わかっています。それはわかっているので、でも皆さんどっちかは決勝戦に行って、皆さんに見られてスピーチしなければいけないので、そういうディベートをある種お手本にする人もいますので、ぜひ、みんなが真似してみたいなと思う、より良いディベートを目指していただきたい、というところで、今話したようなところを意識していただければよろしいかと思います。

<2.3>論点評価:メリットの評価


では、判定の中身に入っていきたいと思います。
肯定側は、フェイクニュースを抑制していこうという話でした。
そもそもフェイクニュースっていうのが、今、広告目的であるとか愉快犯的なものであったりとか政治目的、様々な形でフェイクニュースを作ろうとする人間っていうのが一定数いるのだ、と。しかもそういうニュースっていうのは面白おかしいとか斬新であればあるほど、人々に広まっていくスピードが早くなっているのだ、というところですね。このあたりは、試合ではそんなに直接的には言われてなかったのですけれども、たぶん昔から嘘とかそういうものっていうのは世の中一般にあったんですけど、これがより広まりやすい、情報の技術の発展によってより広まりやすくなってるっていうところがおそらく背景にあるんだろうな、というところがあると思います。

それによって実害として民意の形成、世論の形成というところにやはり影響というのが出てきているんだという事を、イギリスのEU離脱の時の選挙の事例も用いつつ、あとですね、これ非常に上手いなと思って聞いてたんですけれども、日本の場合だと特に無党派層が多いのでこういうものに雪崩をうって影響を受けやすいのだ、このあたり上手い説明だなとは思っていたんですけど、さっきも言ったようにあのスピードで言われると、それちゃんと取れてるかなっていうのはリスクとしては理解しといたほうが良かったかな、とは思います。
 
一方で、じゃあSNSとかで、そういうフェイクニュースと思われるようなものを垂れ流している物に対して事業者が取り締まらないのかっていったら、事業者は「訴えられるのがイヤなんでやりません」というような立場を持っていると。こういったものを放置してしまうと、重要性で言っているように、本当に正しい情報に基づいて選挙をやればいいのに、フェイクニュースとかに基づいてしまうと本当に要求しているものとかけ離れた政治が行われていってしまうだろうと。

更に言うと、発信者のみを規制するんじゃなくて、事業者側も規制していくような、そういう方向性でいくべきだ、というのが肯定側の概ねの主張でした。
 
実際プランを取ることによって、そもそも発信をしなくなるし、事業者の方でも、削除してくれっていう通報が来た場合には迅速に対応しますよと。彼らの今回の論題のプランの設計というのは、ドイツの法律を基にしていると。実際にドイツでは選挙に対する主要な影響というのは排除できたであろうというところがストーリーとしてはできたわけです。立論段階の受け止めとしては、シナリオとしてはなるほどな、というところで受け取ってはいます。プランのところも丁寧に設計していますので、このあたりは流石準決勝まで上がってくるチームだなという風に思いました。
 
これに対して、否定側はどういう反応をしていたか。ディベートではですね、特に肯定側のメリットは、現状まず問題があるかどうか、それがどの位重要なのか、それがなぜこの論題を採択することによって解決するのか、という3つのポイントを説明していく必要があります。

今回の否定側のチャレンジというのは、基本的には現状に問題があるかどうかというところと、このプランによってその問題が解決するのかどうか、という2点に絞って議論がされていました。これはある種彼らの戦略ですね、戦略としてそういう所を選んだという事です。

まず現状問題があるかどうかについては、そもそも選挙に関わる部分の嘘という問題は、候補者に関する嘘というのは現状の公職選挙法でも取り締まれるから、肯定側が問題にしているところっていうのはそんなに大きくないのじゃないか、というチャレンジがされていました。この部分についてはほぼ全ての審判が肯定側第一反駁で言っていた通り、候補者のみの話なので、もともと肯定側は別に候補者に限定した話をしているわけじゃないんだ、といったところが説明されていましたので、まあこの部分はそうだろうなという風に受け取っております。
 
じゃあ問題は、この現状の問題が解決するかどうかっていうところです。
ここはかなり否定側が重厚に反論していました。

そもそもドイツの法律っていうのは、フェイクニュースだけじゃなくて、ヘイトスピーチだとか、いかがわしい画像であったりだとか、色んなものを含んだものであるっていう前提がそもそもあると。その上で、「沢山いろんな通報がされた中でそんなに迅速に対応できるんですか」っていうのが基本的な投げかけとしては否定側からありました。
この部分についてなんですけれども、肯定側からは、「とは言えドイツではだいたい24時間以内に多くの情報っていうのは削除できている、だから対応自体はできるんじゃないか」というような反論がなされていたかと思います。

で、この部分については多分対応自体はできているんだと思います。そこは多分否定側も争いがそういう意味では無かったので。もちろん1500件のうち2件ぐらいしかっていうのは言っているのですけれども、対応自体はしようと思えばできる、ただその中で何でもかんでも、まあ90何パーセントっていう中で対応していくと、本当にそれ全部が全部フェイクニュースなんですか?っていう疑問の投げかけが次に否定側からされていたというところですね。

で、ここが否定側のデメリットの話にも関連してくるのですけれども、要は事業者の方がですね、「あれもフェイク、これもフェイク、全部フェイク!」っていうような感じでですね、もう一緒くたにやってしまうんだっていう、そういう議論が展開されていました。

この部分についてはですね、実は審判によって意見が分かれています。
まあ、そういう部分もあるのかもしれないけども、確かにまあ本当に全部が全部削除すべき物なのかどうかって言われると疑問は残るのだけど、だから何なのだ?っていうところの、インパクトまではあまり説明されてないんじゃないかという風に、まあこれは肯定側からの指摘にちょっとありましたけども、受け取った人もいますし、一方で、でも結構消しちゃまずいものも混ざっているのじゃないの?という風に受け取った審判もいます。

で何でここ分かれたかって言うと、さっき私言いましたよね、肯定側と否定側それぞれにまたがっているような問題は丁寧にサインポスティングしないと、どっちの話をしているんだ?ってなっちゃうのですよ。もうちょっと言うと、そこを第二反駁でやっぱり決着を付けに行かないといけない、どっちの方に優位性があるのだっていうところ、実はそこが意外とこの試合、そのまんまになっちゃっているんですね。野ざらしになっちゃっているので、審判によって受け取りが変わっちゃっています。

そこはやっぱり両者共にちゃんと決着を付けるべきだったんじゃないかなあというのはお伝えしておきたいと思います。だからここで受け取り変わっています。
 
更に言うと、さっき私「今回の否定側の戦略としては現状の課題があるかどうかっていうのと、それが解決するかどうかに絞った」っていう言い方をしましたよね。でもメリットって実はもう1個説明している要素があって、それが重要なのかどうかっていうところ。実はこの試合それが全然触れられていないんですよ、両者から。

これはね、やっぱり否定側チャレンジすべきだったと思います。
何でかって言うと、この問題基本的には多分、発信とかそういう物は減っていくんですよ、基本的には肯定側も否定側もそういう構図なので、どっちもそれはメリットデメリットが出た状態でインパクトを比べないといけないのに、お互いやっぱりそれを触れていないっていうのがどうなのかな、と思いますし、実際今日の試合でも「本当にそもそもこれ重要なのか?」「かけ離れる、民意とかけ離れた物になってしまうというけどそれがどう重要なの?何が深刻なの?」っていう風に受け止めている審判もいます。このあたりは特に第二反駁なんかは触れられてないのでやっぱ肯定側で再度説明はもうちょっとするべきだったと思いますし、否定側もね、そこはもっと攻撃すべきだったと思います。ここも実は重要性の受け取りも審判によって若干異なります。

<2.4>論点評価:デメリットの評価


次、否定側。政権批判が減っていく、という話でした。現状はSNSが普及した事、情報技術が発展したことによって、今までだったら所謂政治家とか大きなマスコミとかが、この政策をどうなんだこうなんだというのが論争していた物が、そこに市民が加われるようになって、それなりに影響の大きいところまで及んでいくんだ、というのが現状なんだと。

一方で政権側っていうのはそういうのを嫌うんで、基本的にはなんとか制約したいということ。まあ、個人的にはこの観察と現状分析の順番がよくわかんないなと思って聞いていて、説明の流れ上こうしたかったのかなと思ったんですけど、別に素直に現状分析言えば良かったんじゃない?とは思いましたけど、それはまあいいです。

で、こういう国民も自由に政権に、政権にというよりかは、政治に対していろんなコメントができるっていう状態が望ましいんだ、そういう情報の発信を送り手の自由を保障するのが大事だ、という事は言っていました。またその前提として、そもそも民主主義がちゃんと機能するためには正しい情報を伝えていく事っていうのが大事だよね、というのがその中で再度言われていた、というところですね。
 
しかし今回のプランを採ることによって、「事実なのか意見なのか」っていうところ、今回は虚偽の…事実に基づいてっていうところが1つフェイクニュースのポイントになっているんですけれども、そもそも意見と事実が混ざって判断されてしまって、判定されてしまうので、これが虚偽じゃないかっていう風になっていく、更に言うとなにが真実でなにが真実じゃないのかっていうのは非常に線引きが曖昧だ、なんていう説明がされていました。
更に、裁判所であったりとか事業者も、かなり恣意的に運用をしてしまうだろうというところが説明されているわけですね。この恣意的に運用されるっていう事業者の話のところはさっきお話しをした、何でもかんでも削除するっていう話に繋がってくるわけですね。

最終的には、フェイクって考えられるようなものは削除されていくし、そもそも発信も萎縮していくだろう、というのが否定側の大筋のシナリオだという風に理解をしました。
 
この点に対して、肯定側からは「そもそもプランを採ったあとに、この政策を導入した後に、そんなに政権批判っていうものが行われなくなるんだろうか」というところ。ここにかなり集中的に議論していました。
つまり何を言っていたかというと、「そもそもSNSとかで皆が意見を言うんだけれども、その意見のベースになっているものが、マスメディアが発信している情報である」と。

マスメディアは、週刊文春の例なんかを出されていましたけれども、そもそも今政権批判的なことを結構やっているし何なら罰金取られても怯みません、と。今想定しているような肯定側のプランの下でも彼らはやる時はやる。だとしたら多少SNSでの発信だとかそういうものが減ったとして、否定側が深刻性で言っているような、「最終的に民主主義が上手く機能するかどうか」っていうところと関連付けて考えると、否定側は元々「正しい情報がちゃんと伝わる事が大事だって言っているんだとすれば、マスメディアが今機能しているという事を否定側で言っている以上、それで構わないんじゃないか、そんなに影響が大きく出ないんじゃないかというのが大きな反論としてされていました。
 
それ以外にもですね、実際に意見表明した例として否定側が出していた香港の事例に対しては、肯定側から「いやこの香港の当てはまりっていうのは日本と違う」と。「そもそも香港はメディアがダメなんでSNSが頑張ったんだ」っていう話ですね。まあこの辺りもよくリサーチしてるななんていうのが審査員から意見が出ていました。

これに対して否定側からは、「まずマスメディアがベースになっているんだ」という話に関しては、「とは言えネットでそういうものを共有して増幅していくことが大事なんだ」という話がされていて、実際に意見を発信している国民のモチベーション自体が下がっていくだろう、萎縮していくだろう、というところが残っているんじゃないか、という話が中心的には返していたかなと思います。
このあたりもですね、受け取りが審査員によって異なっております。
 
肯定側寄りに解釈するならば、「メディアベースで情報を基本的には発信しているんだとすれば、メディアが頑張ればそんなに影響はないんじゃないのかな」という風に判断した人もいますし、「とは言えメディアがプランを本当に萎縮しないのかって言われると、実はそこもよくわかんないよね」っていう風に思った審査員もいます。「だって政権側は常にそういうものを抑えつけようとするモチベーションがあるんだとしたら、本当に怯まないのかな?」ていう風に疑問に思った人もいます。

それ以外にもですね、とは言え、否定側が言うように、自分が意見表明できなくなるっていう事実自体は否定していないので、この部分の影響というのは残りうるんじゃないのかな、というところは言われていました。
ただもうちょっと言うと、否定側も第二反駁でそっちの方にストーリーをシフトさせてたのは良いんですけど、そこのインパクトをもうちょっと語ってほしかったな、というのは改善としてお伝えしておきたいと思います。多分否定側の深刻性で言っている長谷部さんの証拠資料なんていうのは、単純に投票すればいいとかマスメディアが情報を伝えればいいなんてだけの事を言っているわけでは多分ないはずなので、もうちょっと広い概念がそこにはあると思うので、そのあたりを引用してお話をするとより説得力が増したんじゃないかな、という風に思います。
 

<2.5>判定結果


というわけなので、ここまで聞いてお分かりだと思うんですけど、メリットもデメリットもですね、審査員によって受け取りがちょっとずつ異なっておりまして、ここまで言うとわかるんですが、3対2に割れています。
 
肯定側に入れる審査員としては、メリットっていうのは否定側の反論によって削られてはいるんだけれども、発信自体は減るだろうし事業者の方でもある程度迅速には対応するんじゃないか。それに比べると否定側のデメリットっていうのが現状との差っていうところ、メディアが頑張れば良いんじゃないかっていうところが残っていると、その部分の差がより肯定側の方が大きいんじゃないかっていう風に考えて肯定側に入れています。

否定側に入れた審査員としては、そもそも肯定側のメリットっていうのは残るんだけれどもそれがどのくらい重要なんだろうかというところ、あるいは何でもかんでも削除してしまうっていう話も出ている、効いていると考えると、それに比べればデメリットも肯定側の反論によって削られているんだろうけれども、若干は残っている、その両者を比べた時にはやや否定側の方が大きく残るんじゃないかな、という風に考えて否定側に入れていると、いうところです。
 
いずれにしてもですね、割れた原因は、スピーチもうちょっと頑張ろうねっていうところもあるんですけれど、ここまで来るとお互いに半年こうやって頑張って調べたんで、こういう結果になるのはある種当然だと思います。
 
今から私が勝敗を告げますけど、あくまでこの試合に限った評価なんで、重要なのはですね、この問題でディベートで学んだことっていうのをいかに自分の今後の人生に還元させていくかっていう事が大事、それがみなさんの価値を決めるので、勝った負けたで皆さんがやってきた事を否定することには何一つなりませんので、それは私も経験者としてお伝えをしておきたいと思います。

更に言えばですね、これがこのディベートをした両チームの選手だけではなくて、聞いてらっしゃる皆さんの中にもおそらく予選で敗退してしまった学校の皆さんも沢山いらっしゃると思います。私はこれ最後に皆さんに、全体に言いたいなと思っている事なんですが、この論題でディベートをした事の意味って何なんだろうか?っていう事を改めて考えてほしいと思うんですね。

嘘とかデマっていうのはさっきも言ったように昔からありましたけども、中にはですね、日本の歴史においてやっぱりデマとか情報操作で国民が痛い目を見た事っていうのは歴史が証明しているところではあります。これがさっきも言ったようにICTの進歩によってスピードが、格段に情報拡散されるスピードが速くなって、個人、一個人が被害者にも加害者にもなりうる状況になってきたと、これは大きく時代が変わってきているところなんです。

こういうフェイクニュースっていうのはやっぱり我々の日常に常にあるんですよね。これにいかに我々は立ち向かわなきゃいけないかって事をこの論題、このディベートっていうのは教えてくれていると思います。
何よりも大事なのは1人1人の「これ本当にそうなのかな?」っていう風に問う力。これが一番大事なことだと思いますね。

まさにディベートは、与えられたテーマっていうのを吟味して、どこに問題があるんだろうかっていう事を考え、議論を通じて最も良い選択肢っていうのは何なんだろうとかっていう事を考える、もっと言うと真実を追求する、そういうトレーニングをまさに皆さんはしているわけです。これが、1人1人ができれば、きっと多分こんな法律なんていらないし、嘘っていうのがあり続けたとしても、皆が正しい決断を出す事ができるわけです。そういう意味でまさにディベートっていうのは、公の利益をどのように実現していくか、1人1人が考えていく、そういうきっかけでもありますし、このテーマっていうのは、まさにこのテーマでディベートをした事、これは二重の意味で本当に意味がありますから、結果に関わらず、今回の意味っていうのを是非考えていただきたいですし、今後の自分の人生に活かしていっていただきたいと思います。
 
長くなりました。では、結論。
 
勝ったチームは、この試合負けたチームだけじゃなくてそれまでに戦って負かしてきたチームの分も想いを背負って決勝戦、頑張っていただきたいと思います。
 
結果は3対2
肯定側、東海高校の勝利となりました!お疲れさまでした。

第2部 講評者へのインタビュー (編集部)

(編集部 久保)この度は、企画にご協力いただきまして、本当にありがとうございます。田中さんは、この企画では初となる準決勝の主審コメントということで、今までとは違ったお話をお伺いできると思っております。改めて、御礼申し上げます。それでは、早速インタビューに入りたいと思います。

(講評・判定者 田中)ジャッジの講評という意味では、準決勝は決勝とは異なる難しさがあると思っています。今回、少し踏み込んだ話をしようかなと思っているのですが、私の意見が答えというわけではなく、たたき台にしてもらって色々建設的な議論が生まれればなぁと思っています。

(編集部 久保)お手柔らかにとはいかないのがジャッジですね(笑)それでは早速伺っていきたいと思いますが、まず講評・判定で心がけていることは何でしょうか。

(講評・判定者 田中)
 ディベート自体が「唯一の解のないテーマ」を扱っているように、「完璧でよい」講評・判定を行うことはかなり難しいと考えています。そのため、「悪くない」講評・判定を行うことを心掛けています。では、「悪くない」とは何かと考えた時、本企画の第二回で竹久さんも言及されている点にも通じますが、自分が選手だったら聞きたくない講評・判定をしないようにしたいということを大事にしています。

 ちなみに、私が選手だったら聞きたくない講評・判定(審査されたくはない審査員)のイメージは次のようなものです。こういう審査員が実存する、ということは意味しておりませんのであしからず。


●最も避けたいこと→選手に対する尊敬の念が感じられない講評・判定の例
・ディベートは肯定・否定側それぞれの話者(選手)、第三者として判定を下す審査員がそれぞれの「役割」を全うしてはじめて成立します。

・選手同士が相手を尊敬するからこそ議論はかみ合うのであり、そうした努力に対して審査員が真摯に向き合って適切な応答(判定、講評を通じたフィードバック)をすることで、試合が成立します。
・ディベート甲子園の場合、最大半年間、選手は膨大な証拠資料を調べ、試合を重ねて向き合っています。こうした過程に対する努力に対しても、審査員は敬意を払うべきであると考えられます。

・上記のような努力に対して敬意を払わず、「上から目線」で改善点のみを指摘し、選手のディベートへ向き合う気力やモチベーションを下げるような講評・判定は行わないように心掛けています。

●その他、私が思う「アウト」な講評・判定(プロセス含む)
・自信がなさそうに話す
・過度な専門用語(ジャーゴン)の使用(選手以外の聴衆を置き去りにしてしまう)
・講評と判定理由の不均衡(講評時間が長いと判定理由の説明が不足して選手の満足度低下、判定説明時間が長いと選手以外の聴衆を置き去りにしてやはり満足度低下につながる懸念)
・時間超過(選手に時間制限を課している以上、審査員も守らなければいけませんよね。もちろん、例外がないわけではありませんが)
・判定が分かれたポイント、要因、改善方法等を説明しない
・第二反駁のスピーチに「過度」に影響された判定導出
・個別議論の解説に終始し、全体への影響(結論)を語らずに判定を伝える

(久保)講評については、いかがですか?

(田中)久保さんの受け売りになりますが、ジャッジ教育プログラムであるジャッジインターンにおいて、審査員には主に4つの役割があると考えられています。

①  選手の議論に基づいて判定を行う「政策決定者」
②  選手らを説得する「ディベーター」
③  聞き手のディベート能力を向上させる「教育者」
④  ディベートの価値を説いて理解を促す「普及活動家」
参考:CoDA 主審向けジャッジインターン教材より

CoDA 主審向けジャッジインターン教材
久保健治「日本語ディベートにおけるジャッジ教育の方法論—ジャッジインターン副審養成講座の実践報告」ディベート教育国際研究会論集 第1巻(2017)


 過去2回の記事においても、講評・判定を行う試合や大会の位置づけに応じて、適宜バランスをとりながら上記4つの役割を果たすことの必要性・重要性が語られています。この点において私も完全に同意します。

 あえて付け加えるとすれば、「教育者」という側面については、選手・聴衆だけではなく、試合に同席して頂いている副審、タイムキーパー等のスタッフの皆さんをも意識するように心掛けています。これは直接講評の中で言及するというよりも、講評前のジャッジルームや講評後の控室等での振る舞いに係る内容だと理解してもらえればと思います。

 私自身、今もそうですが、他の審査員の講評を聞く機会がある時、自分にとって「ささる」表現、説明の構成があれば積極的に「真似る」ことを心掛けています。そのまま「パクる」ことも悪くはないのですが、上記のように試合や大会の位置づけ、議論の流れによって「味付け」することは必要と考えていますので、そのあたりは自身のオリジナリティが出るように毎回研究を怠らないようにしています。

なので、私自身が講評をする際は、選手に対する説明責任を果たす「ディベーター」であると同時に、今後主審をする機会がある副審、審査員としても協力頂く可能性があるスタッフの皆さん達にとって、真似がしやすいような講評等を行う「教育者」であることを目指しています。

ジャッジルームでは事前に、講評のポイント(意図を含めて)を示しつつ、副審からほかに言及するべきポイントを聴取し、試合後の控室等では副審らから講評・判定に対するフィードバックをもらいつつ、講評・判定で大事にしたいことに係る共有・意見交換を行うように心がけています。

(久保)最後に、講評・判定スピーチの実施時のご感想や、何かハプニングなどが、ありましたらどうぞ。

(田中)私個人としては、準決勝の講評・判定は決勝戦よりも難しいと感じています。特に選手は勝てば決勝戦という晴れ舞台が待っており、正直「結論だけを教えてくれ」と思っている方がいるのでないか、想像に難くありません。

かくいう私も遠い昔、ディベート甲子園に出場していた頃はそんな気持ちでした。そんな不届き者(?)なディベーターではありましたが、講評を聞いていて思わずメモが止まらない、審査員との出会いがありました。それが本企画の第一回に登場された渡辺徹さんです。当該試合における講評の詳細は渡辺さんご自身が記録として残されている下記の記事(※)を参照ください。
※「重要性の重要性【完】:社会の眼から議論を考える 2006」
 
幸いにして東海高校・聖光学院高校のいずれの選手も、最後まで真摯に講評・判定に耳を傾けてくれていたように見受けられましたので、その意味においても、私は選手たちに深く感謝しております。

また、この試合は会場に入ると、選手以外の聴衆(保護者、学校関係者等)が多かったため、「普及活動家」としての側面をやや強めに打ちだすようにしました。具体的には「1.2 ジャッジから選手へのお願い」と「2.5 判定結果(この論題でディベートをしたことの意味)」が該当します。特に2.5にあたる部分は即興で付け加えましたので、ややとっ散らかった構成・内容になったのが当人としてはやや心残りではあります(苦笑)。
 
本企画は単に講評・判定の内容だけではなく、そこに至るまでのプロセスや思いを「可視化」し、今後主審をする機会があるであろう審査員にとっては、自身の「型」を作り上げていく上で参考になる素材であると確信しております。末長い取り組みとなりますことを祈念するとともに、微力ではありますが尽力してまいる所存です。この度はありがとうございました。



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