ディベート甲二子園「名講評・判定」スピーチ“列伝”第二回 竹久真也さん

第26回(2021年)全国中学・高校ディベート選手権 ディベート甲子園 高校の部決勝
論題「日本は、積極的安楽死を法的に認めるべきである。是か非か」
肯定側・創価高校 否定側・慶応義塾高校
主審・竹久真也さん(全国教室ディベート連盟 理事)
動画はこちら

第1部 講評・判定スピーチ■

<1.> 講評


ただいまより高校の部決勝戦の講評判定を行いたいと思います。
まずは対戦していただいた両選手の皆さんをご紹介しましょう。
肯定側を担当してくださいました創価高等学校、対、否定側を担当してくださいました慶應義塾高等学校の皆さんです。それでは高校の部決勝戦の講評判定です。
主審を務めていただきました全国教室ディベート連盟理事の竹久真也さん、よろしくお願いします。

 ご紹介に預かりました竹久でございます。本日よろしくお願いいたします。
まず最初にですね、主審の話を頂いて、色々準備してきたんですけれども、そんなことよりもですね、まず一言いいたいのが、ほんっとうに素晴らしい試合でした!

本当に最後まで全部わからない、素晴らしい試合でした。こんな試合はなかなか見れません。観客の皆様で、あまりの議論の密度に驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。もしかすると 、ちょっと早くて聞き取りづらかった、そういうことがあるかもしれません。

でもですね、ぜひゆっくり聞いてみて、自分で判断して欲しいくらい本当に素晴らしい試合でした 。よくお菓子なんかでね、最後までチョコたっぷりとかって言いますけどね、本当にもう最後の一秒まで魂のこもったスピーチで。もう聞いててね、これをどっちか勝たせなきゃいけないのかという風に、ジャッジ一同ですね、本当に悩みました。

で、何が素晴らしかったかということは後でお話できればと思うんですけれども、まずですね、この色々な難しい場の中で、決勝まで進まれてきて、こうして素晴らしい試合ができたという事。これが本当に、本当に素晴らしいことだと思います。両チームとも、ありがとうございました。良い試合を見せて頂いて。こう言うのが適切だと思います。
~拍手~
拍手いただいている方もありがとうございます。
試合の中身に入る前にですね、ちょっとだけ3つほど私から先にお話しさせて頂いて、それから中身について色々お話できればと思います。

<1.1> コロナ渦でのディベート甲子園

1つがですね、まずこの一年ですね、当たり前のことがどんどん難しくなる1年だったという風に思っております。

友人と会ったりですとかね、遊びに行ったりとか、食事に行ったりとか、それから対面でディベートをしたりだとか。こういう 今まで当たり前にできたことがどんどんなかなか難しくなった、そういう時期だったと思います。
しかしながら、それをですねこうやって乗り越えて、この最後の素晴らしいスピーチまで、バトンが繋がれたということ自体、これが本当に素晴らしいことだと思います。

それはもちろん選手の皆様の努力もそうですけれども 中学論題で言うようなな部活の顧問の先生の皆様ですとか、ご家族の皆様ですとか、ご友人の皆様ですとか、チームメイトの皆さんとか、それからですね、忘れてはいけない本日運営してくれてるスタッフの皆さんジャッジの皆さん、本当に忙しい中協力していただいてます。こういうような方々の努力によって、このコミュニティが維持されたということ。これがまず素晴らしいことだと思います 。

二つ目にですね、これはちょっとあの、ディベートの宣伝的なところになってしまいますけれども、この1年あるいは2年は、ディベートの力がすごく要求されるようになった事だと思います。

それはやはり未曽有のこれまで誰も体験したことがなかった社会状況の中で、今まで当たり前だった共感やこれまでの常識だけではなかなか人が分かり合えない、そういう事態が起こっておりました。

その中でですね、ディベート甲子園で身に着けられるような、客観的な証拠を元にそれを吟味して自分たちの判断を考えていくという事。これが非常に求められる社会になったと思いますし、まさにそういったも素晴らしい力を見せていただいた試合だったという風に思っております。

それからですね、こういう風に役に立つ話という風な話をした後、私が皆さんに言いたいことは最後に一つございます。

ディベートの魅力って、楽しいからとか、人とやるのが競い合うのが楽しい、調べるのが楽しい、試合を見るのが楽しい、あれこれ人と話すのが楽しい。あるいは負けた悔しさも後から見ると魅力的に思う。いろんな事があると思います。

何かのために別にディベートはしなくてよくて、ディベートが好きだから、ディベートが楽しいから、という気持ちで今後もやっていただける方が1人でも増えたらいいと思いますし、私も中学からそういう風にやっているんですけれども、そういうですね、1人1人が輝ける場所みたいなところをですね、守っていくようなことを続けていきたいと思いますし、ぜひ皆さんもこれからいろんな形で、決して選手をやるだけがとか、大会を運営するだけがディベートの関わり方ではないので、いろんなところでぜひ関わっていただけたらという風に思います。

というような、少しお話をさせていただいたうえで、この試合の魅力を説明していくようなパートに移っていければと思います。

<1.2> 半年間を4分間に凝縮する勇気

最初にですね、このディベート、観客の多くの皆様が注目されたのはやはり、両第二反駁だと思います。この、両第二反駁は、非常に素晴らしいスピーチでした。

なにが素晴らしかったのか、私はですね、もちろん技術的な説明のうまさ、あるいはディベートのいわゆるサインポスティングの上手さ、こういったものもあったと思うんですけれども、それよりも何よりも、お二人の勇気を称えたいと思います。

勇気というのは何か。
私も選手だからわかるんですけれども、たった4分間の中に半年とか数か月の準備が集約されるパートです、第二反駁は。そして、そのパートというのは、喋ること以上に捨てることが要求されるパートです。

この複雑な試合の中で、「何を喋らないか」「何は諦めるか」。その中でどこがこの試合のポイントだと思ってジャッジに訴えかけるか。

これは、なかなかね、体験するのが難しいんですけれども、非常に勇気が要ります。こういう大きい試合でそれをやるのは。でも、この両2パートはそれをやり切ったという風に私は思っております。

本当に、まさに、ジャッジが判定で悩み、苦しんだところ。そこに対してどちらの第二反駁も、ものすごく自分たちの意見を伝えてくれて、微に入り細に穿ちですね、説明してくださいました。これによって本当に最後までわからない試合になりました。それがまず素晴らしかった。

そしてですね、この2つの第二反駁が素晴らしいということは、何を意味しているか?それはですね、それまでのパートの方が100%以上の力を発揮してバトンを繋いできたということです。

よく練られた立論にはじまって、お互いの反駁を見せるための質疑、それから非常に多くの議論を出しつつも、わかりやすさを損なわない、両第一反駁。どのパートも非常に水準が高かったと思います。

こういったこれまでの努力、もちろんスピーチの前には準備があるわけですから、この数か月積み上げてきた努力が、最後の第二反駁までつながって、我々に素晴らしい試合を見せていただいたという事。この、つながりという事自体がこの試合、あるいはこのシーズンの素晴らしさを物語っているという風に私は思っております。

改めて、両チームの皆さん、大変良い試合をありがとうございました。

<2.> 判定

<2.1>コミュニケーション点


で、スピーチの話しが出ましたので、ちょっと後段になって逃してしまうといけないので、先にコミュニケーション点を発表させてください。
中学の決勝でも少し説明がありましたけれども、1つのパートにつき、ジャッジ1名が5点満点で付けております。3点が平均となっておりますので、普通にスピーチであれば15点程度という風に思ってください。
では、肯定側から。

肯定側
立論:20点
質疑:18点
応答:19点
第一反駁:18点
第二反駁:22点
マナー点減点無し
合計97点

もう一度繰り返します。
立論:20点
質疑:18点
応答:19点
第一反駁:18点
第二反駁:22点
マナー点減点無し
合計97点

否定側
立論:20点
質疑:18点
応答:17点
第一反駁:21点
第二反駁:19点
マナー点減点無し
合計95点

(くりかえし)否定側が、
立論:20点
質疑:18点
応答:17点
第一反駁:21点
第二反駁:19点
マナー点減点無し
合計95点

両チーム共ですね、非常に素晴らしいスピーチだったと思っております。
マイクとかで、ちょっと聞きづらい箇所もあったんですけれども、総体として非常に優れたスピーチでしたので、ここからはですね、試合の内容に踏み入って考えていければと思います。

<2.2> 論点評価: メリットの評価

肯定側のメリットから、一緒に見ていきましょう。
メモを取られている方は、メリットのフローシートをお出しいただけますか?

時間の関係もございますので、メリットを最初から細かく再現することはいたしませんけれども、大きくは、肯定側のメリットとしては、非常に工夫はされていたのは、身体的な苦しみというよりは、ケアを受けている自分であるとか、これから可能性がなかなかひろがっていかないと、ー客観的にそうかは置いといてー、自分では思ってしまう、そういったような終末期の患者の方々の、スピリチュアルペインという言葉が使われていましたけれども、こういったものに寄り添って、この人たちに自己決定という形で安楽死という選択肢を設けるのが良いのではないか、という主張がされていました。

やはりですね、立案についても非常に工夫がされていて、例えばその「ケアを受けている事そのものから苦しみが来ているのだから、ケアをすれば良いものでは無いのだ」というような、強い肯定側の戦略的な意思を感じられて、立論の一番最初の時から非常にですね、これからすごいのが始まるぞ、という期待を持たせていただいたパートでございました。

で、これに対してですね、否定側からあった反駁によって、どのようにこの議論が変化したか。ここについて申し上げたいと思います。

まず、否定側から挑戦があったものの、あまり判定に影響しなかったポイントについて最初にお話させていただきます。それは具体的に言うと、否定側第一反駁で提案された最初の2つの反駁です。

一つ目が、精神病というところが結構あって、精神的なペイン、痛みの中には、治療難航性、抵抗性というものがあるんだが、それは割合として少ない、という主張がございました。

これについては、そういう主張は理解はするものの、やはり肯定側で説明されていた現状の問題等々を加味すると、これだけで現状に問題が無いとか、問題がある人がほとんどいないという風に言うことは難しいと、ジャッジ一同判断しております。

それから次のですね、人の意思決定が両価的、つまりどちらにも価値があり、それからある時に死にたいと言われてた方がある時には生きたいというようなことが起こるのであるという事。ここについても、あまり多く評価しておりません。

これはどうしてかというと、まずそういう事があるのはわかったけれども、ただ、そういう事を通しても今まさに死にたいと思われて強く願われている方というのを止める理由というところが、積極的に説明されているかというと、そこまでではないのではないか、という風に思い、これでもう、なかなかメリットを削るということには至っていません。

で、判断が非常に難しかったのが、次のところです。
これはいわゆる鬱病あるいは抑鬱に該当するような議論。抑鬱、鬱ですね、に該当するような議論の領域というところでございました。

ここについてはですね、少し細かい内容になりますが、細かく反駁を拾って行ければと思うんですが、まず、希死念慮、あるいは死にたいと思う気持ちそのものが鬱病の症状として出ているんだ、という話があった後で、その鬱病というのは終末期であったりとか、ALSでなかなか治療が難しい時であっても、改善することができる、という資料が読まれており、そのあとで、なかなかしかし終末期の症状の鬱病というのは見分けがつかないので見落とされやすいというお話がでていて、そのあとで、鬱病というのはかなり病識による意思決定なので、なかなか自己決定と言えないんじゃないか、という話しがあった後で、重要性に対してあてて、つまりその終末期とかで例外的に意思決定が認められる状態というのは、治療の余地がないことなのだから、治療の余地がある鬱病の方を安楽死させてしまうというのは肯定側からの重要性からしても正当化されないんじゃないか、というプレゼンテーションが、否定側の第一反駁でございました。

これに対して肯定側がどのように応対したか、といいますと、まず一つが、まず肯定側は、鬱病じゃない人も一定数いるわけだから、そこに関してはメリットが発生するという風に話していました。ここに関してはジャッジ一同その通りだと思っています。

ただ、後半でいうネガティブな事例というものがあるということについてはこの反駁では削っていないので、そのあとどう判断したかというところです。

で、もう一つが、鬱病だからといって、なぜその鬱病から来る希死念慮を尊重してはいけないのか。ここに説明がないんじゃないか、というようなお話がございました。

ここは確かにそのように思ったジャッジもおるんですけれども、ただ、否定側のデメリットの深刻性等の兼ね合いで、あるいはさっきのその自己決定のところで言ったような、いやそもそも治療の余地があるものを自己決定と呼んで良いのか、という疑問も付されているところなので、これだけでじゃあ鬱病の論点が返るのかというと、なかなか難しいんじゃないかという判断を下したジャッジもおります。

で、その後の反駁が非常に重要でして、それは、証拠資料を使って読まれていた、ある実験において、鬱病と意思決定能力・判断能力にはあまり相関が無いんだというような証拠資料でした。

で、これに対しては、否定側から、いやいやこれは実験室のエビデンスだから、で、しかも仮想実験というものなので、判定に入れるのはちょっとおかしいんじゃないかというような主張がございました。
で、まずここの、否定側第二反駁でおっしゃっていた、仮想実験だというところについてはちょっとジャッジによって判断が分かれていまして、具体的に言うと、やはりその、相手が仮想実験であるというということを示す証拠資料の引用が必要だったんじゃないか、という声がございました。
で、ただこの反駁を有効だったと判断しても、実は鬱病の論点についてはかなりですね、ジャッジによって判断が分かれております。
で、大別すると、2種類ございます。

1つは、肯定側寄りに取る取り方。それはどういうことかというと、確かに危ないケースがあることはわかったけれども、大半のケースにおいては判断能力なるものがありうるのであり、かつそういった人たちを積極的に意思を尊重しない理由というのも特別述べられていないのだから、これは肯定側の言うような額面通りに取る、あるいは少なくともメリットを多少削るとしても、大半のケースは問題ないんじゃないか、というような取り方をするパターンです。

で、もう1つのパターンはいくつかこれ濃淡があるのは全部紹介しきれないんですけれども、概ねですね、やはり治療の余地がある、というところとか、そういったものが見逃されるというところを加味すると、しかもその希死念慮の大半が鬱病から来ている、というような状況を加味すると、相当数のケースにおいて、肯定側が想定しない、正当化できない事例が含まれるんじゃないか、という風に思った取り方もございます。
で、ここによって実はメリットの判断が大きく分かれておりまして、ここをどう取るかっていうところが実はちょっと投票にも影響を与えている、というような形になっております。

鬱病については二つの取り方があって、肯定側寄りに取って判断能力があるから問題ない、と思われた方と、否定側よりに判断をして、いやいやまずいケースがかなり含まれるので、肯定側ではあまり正当化に成功してないんじゃないか、かなりメリットを多く削られているんじゃないか、という取り方がある、というような形になっております。

<2.3> 論点評価: デメリットの評価


で、次にですね、デメリットの評価に移れればと思います。

デメリットについては、いわゆる圧力というところで、現状ではなかなか安楽死を選べないものの、家族の圧力等が表面化して、なかなか表に出せないまま死を選ばれてしまう、というようなことがお話しされておりました。まあまず立論を聞いた段階ではですね、特に現状の説明とかですね、それから深刻性の説明の仕方とか、資料にとどまらない、よくストーリーを説明されるスピーチがございまして、そこがすごくよかったと思います。
で、これに対する肯定側のチャレンジの中で、非常にちょっと大きかった物の前にちょっと細かいところからさらっていければと思います。

まずですね、肯定側からあった、特に発生過程移以降のところで、憎しみを持たない家族、あるいは多くの人は憎しみを持たないのだから、延命を望むんじゃないか、というようなお声がありました。ここについては、まあそういう事もあるんだろうとは思いつつ、ただプラン後ですね、じゃあそういう人が大半なのかといわれると、まあ肯定側、否定側がもともと言ってるところもみんながみんな死を望むというよりは、一定そういう人がいる、という主張でございますから、まあこれを取って否定側がまったく立たないということは説明が難しいんじゃないかと、まあだから、発生過程レベルで切る、ということは難しいんじゃないか、という話をしています。

そのあとのオランダの証拠資料に対して、主要な理由では圧力が無い、という話しが、やりとりがありましたけれども、ここについても、主要な理由ではないのかもしれないが、理由の一つにはなりうる、というところも考えると、プランを取った後で、圧力が生じた場合には、それが安楽死につながってしまって、否定側の深刻性までつながる。ここのストーリーについてはまったく切られている、という風に判断をしているジャッジはいない形です。
で、ただですね、ここがディベートの難しいところで、じゃあ、プランを取らなかったらこういう問題って起きないんですか、というところ、いわゆる固有性の議論ですね。ここについては実はジャッジによって判断が分かれています。

否定側の主張としては、主に、いまではガイドライン等々があったりとか、あるいは終末期の、とくにその治療の停止というのは、直前のタイミングでしか行なわれないのであるからして、プラン後には、かなりそのケースが増えるんだ、という話しをしていました。
これに対して肯定側は、まずたくさんの、8割くらいの病院ではやったことがある、という風になっていて、国民的な合意もあるところ、全体感としては、かなり消極的安楽死は認められていて、実は圧力の問題というのは現状でも起こっていて、プラン後に固有に発生するとは言えないのではないか、という主張がございました。

ここに関しては、否定側第二反駁、肯定側第二反駁、両方もですね、お互いの主張を繰り返しながら、かつ説明を加えながら、最終的にこのような説明でまとめていただいて、どちらの説明にも正直理があったと思っております。だから判定はね、色々出るんですけれども、正直どちらの努力がどうというよりは、どちらもここがジャッジにとってポイントだと思って非常にスピーチをしてくださったと思っています。正直これ以上どうしたらいいですかって言われると私もわからないところがあるぐらい、良いスピーチでした。

で、ただ、ここについても少し判断が分かれてまして、ある取り方、つまりその肯定側寄りに取るのであれば、確かに、多少プランで範囲は広がったりするのかもしれないけども、多くが延命治療を受けている中で、結局起こる問題なのだから、プラン前後であまり差がないのではないか、ととったジャッジもおります。

一方で、否定側の言う通り、例えばですけれども、適用する事例が増える、症例が増えるという事ですね、あるいは期間がふえる、つまり早めにやるという事ですね、こういったところとかを考えれば、やはり適用するケースは増えるので、プラン前後で差があるのではないか、という風に判断したジャッジもおります。

この点については、本来であれば試合で決着をつけられるのが望ましいというようなことを言うのが判定講評のお作法ではあるのですが、正直どちらもベストを尽くしていたとは思いますので、大変難しい中で審判の決定を下したんだと思っていただければと思います。

で、というようなお話を加えますと、基本的にですね、デメリットの評価は発生過程以降の評価は一致しているんですけれども、いわゆる固有性、つまりプランをとってもとらなくても問題は起きちゃうんじゃないかというところでデメリットを小さく評価した人と強く評価した人が分かれている、というような構造になっております。

こうしたことがあるので、メリットはさきほどの、鬱、という論点、、、すいません1つだけ、これは非常に私も納得したんですけれども、肯定側の反駁に対してあったジャッジからのコメントとして、肯定側は、固有性では多くの家族も消極的安楽死に同意しており、死ぬことが、当たり前になってきている主張をしているのに対して、発生過程では多くの家族が止めるといっていて、結局これは家族はどういう価値判断なのか、わからないと、で、わからないんだがどうも起きている事ベースでいくと、ある程度消極的安楽死とかの中でも、こういうことが起きているので、それがプラン後に広がるという考え方は全然リーズナブルじゃないかというコメントがありましたね。ここはやはりその戦略を磨かれていく中で、更にレベルの高い話として、反駁と反駁の繋がりというところも、より示されていると良いのではないかという話がございました。

<2.4> 判定結果

ということで、メリット・デメリット改めて総括しますと、メリットについては、基本的にはメリットを得られる人がいる、ということについてはジャッジ一同同意しております。ただ、ネガティブなケース、つまり鬱病等々で意思決定がかなり難しい方々を死なせてしまうということがどのくらい起こるのか、そしてどのくらい深刻なのか、ということについては、ジャッジで判断が分かれる。これによってメリットの評価が決まる。

デメリットについては、発生過程以降の評価はある程度一致しているものの、固有性つまりプランを取っても取らなくても現実は変わらないんじゃないか、というところ。ここについてジャッジの判断が分かれていて、これでメリットとデメリットが、デメリットの判断が分かれている、という形になります。で、メリットをどうとったかデメリットをどうとったかという組み合わせで最後比べて判断をしています。という形になります。

最後に判定を述べるんですが、判定は当然ここまで聞いてわかる通り割れているんですけれども、ここまで聞いていただいて改めて皆さんにお伝えしたいんですが、どっちが勝ってもおかしくない、あるいは審判一同から、どちらも優勝させたいという声が、本当に、全員からあったことを改めてお伝えさせていただきます。

結果はね、つきます。後から見た人は、数字だけを見てどっちが勝ったなと、思うと思います。でもですね、この素晴らしい時間と素晴らしい試合というのは皆さんの心にも刻まれていると思いますので、ぜひですね、結果よりもそういう輝かしい時間というものを持ち帰っていただけたらと思います。

それでは最後に、投票結果をお伝えしたいと思います。
選手の皆さん、マイクオンにしていただけますでしょうか。大丈夫そうですかね、まあ何名かオンにされてない方もいらっしゃいますが、このまま発表しても大丈夫ですかね。

本当に素晴らしい試合をありがとうございました。最後に投票結果を発表させていただきたいと思います。

投票結果は、4対1で否定側、慶応義塾高等学校の勝利となります。
~歓声~
両チームとも大変お疲れ様でした。

おめでとうございます!
高校の部、決勝戦、優勝が決まりましたのは、慶応義塾高等学校の皆さんです。おめでとうございます。

そして、破れてしまいましたが、準優勝です、準優勝が決まりました、創価高等学校の皆さんも、おめでとうございます。この画面をご覧の皆様、画面越しではありますが、両校の皆様に大きな大きな拍手をお願いします。
高校の部、決勝戦、優勝が決まったのは、慶応義塾高等学校、そして、準優勝、創価高等学校でした。講評判定をしてくださった竹久さん、ありがとうございました。そしてまた、審判を務めてくださった皆様も、ありがとうございました。

以上で高校の部、決勝戦の講評・判定を終了したいと思います。
この後4時から16時から、表彰式・閉会式となります。皆様、ご移動よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

第2部 講評者へのインタビュー (編集部)

(編集部 久保)この度は、企画にご協力いただきまして、本当にありがとうございます。竹久さんは、この企画では唯一のオンラインでのディベート甲子園主審コメントということで、他とはまた違った意義があると思っております。改めて、御礼申し上げます。それでは、早速インタビューに入りたいと思います。

(講評・判定者 竹久)第一回も読ませていただき、懐かしい気持ちとなりました。大変な企画かとは思いますが、推進ありがとうございます。

(編集部 久保)ありがとうございます。それでは早速伺っていきたいと思いますが、まず講評・判定で心がけていることは何でしょうか。

(講評・判定者 竹久)
何よりも大切にしているのは、ジャッジとして選手が展開した議論をどのように理解・評価し、何を理由に判断をしたかです。選手は長い時間をかけて議論を作り、熱意を込めて試合をしているのですから、その気持ちに誠実に応えることが大切だと考えています。特にディベートは勝敗が分かりにくく、講評が不十分であれば選手に納得できない気持ちを残してしまうこともしばしばですから、選手が納得して試合を終えて次に向かう気持ちになれるような講評をしたいです。

こうした内容で特に重視している点として、試合の結論に強い影響を与えたポイントはどこだったかを伝えることを意識しています。選手が懸命に議論したポイントと、実際に試合を決めたポイントが異なることはよくあります。 試合に影響があった点をきちんと説明することで、次に試合をするまでにどの点に注力して考えれば良いかを示すことが、選手の成長にも役立つと考えています。

もう一つ重視しているのは、続けて欲しい点・改善して欲しい点をできるだけ具体的に伝えることです。「わかりやすいスピーチをしよう」「もっと具体性が欲しかった」「振り返りをしよう」といった表現だけでは、どうやって上達していいか分かりづらいので、「このスピーチではこのように話して欲しかった」「この論点にはXXXのような説明が必要だった」「次の部活で、自分たちの試合を聞き直してほしい」といった、できるだけ具体的な言葉でアドバイスするようにしています。選手が必ずしもこうしたアドバイスに全て従う必要はないと思いますが、具体例が挙げられることで、次のアクションにつなげやすいのではないでしょうか。

(久保)講評については、いかがですか?

(竹久)先ほどは主に選手向けに何を伝えるかという点にフォーカスしてお話ししましたが、講評のもう一つの役割として大切なのが、試合の内容や魅力を聴衆に「翻訳」して伝えることです。

どのような競技でも、ハイレベルな試合になればなるほど、一般の方から見ると「何が起きているかわからない」という側面が出てくると思っています。ディベートは特にその傾向が強く、競技経験のない方が試合の内容や魅力、その裏にある選手の努力を読み取るのは容易ではありません。一方で、試合の中には手に汗握るスリリングなポイントや、選手の血の滲むような努力が現れてポイントがたくさんありますし、それが分かれば多くの方に面白さを感じてもらえるはずです。選手と観客の間の知識のギャップを埋め、できるだけ分かりやすく試合やディベートの面白さを伝えることもまた、講評の大切な役割だと考えています。

先ほど選手が主役であると言いましたが、一方でディベートは多くの応援してくださる方々に支えられて成り立つものです。こうした多くの方々にディベートそのものの魅力をできるだけで感じていただくことは、ディベートという営みを今後長く続けていくためにも必要不可欠なことと考えています。

(久保)最後に、講評・判定スピーチの実施時のご感想や、何かハプニングなどが、ありましたらどうぞ。

(竹久)肯定側・否定側両チームとも非常にレベルが高いという噂を聞いてはいたのですが、実際の試合内容はその予想以上に充実した内容で、一選手としてとても楽しめたことを覚えています。試合の一言一言からも、半年近くの間真剣にディベートをし続けてきたことが伝わってきました。講評に際してはまず、「あなたたちのの努力は尊いもので、それを受け止めてる人がここにいる」ということを伝えたいと考えていました。

もう一つ考えていたのは、試合の内容がとても密度が高いものだったので、試合の内容自体の解説を厚めにしないと、なかなかこの試合の魅力が多くの人に伝わらないなと考えていました。時間に限りもあったので、細かいアドバイスなどは割愛してしまって、できるだけ試合の中身の解説に時間を割くという計画にしました。

本当に素晴らしい試合で、この試合で主審を担当させていただいたことは大変光栄でした。


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