ディベート甲子園「名講評・判定」スピーチ“列伝”第五回 榊原陽介さん

第24回ディベート甲子園(2019) 高校の部 ・準決勝
[論題]
論題:「日本はフェイクニュースを規制すべきである。是か非か」
*ここでいうフェイクニュースとは、虚偽の事実について、虚偽であることを分からない形で不特定多数をあざむく意図をもって作成された情報をいう。
*以下の三つを禁止する。
1.フェイクニュースを発信すること。
2.フェイクニュースと知りながらそれを拡散すること。
3.発信者または管理者がフェイクニュースを訂正または削除せず放置すること。
肯定側 創価高校 否定側 渋谷教育学園幕張高校
主審・榊原陽介さん(全国教室ディベート連盟 理事)
動画はこちら

第1部 講評・判定スピーチ■

<1.> 講評


両チームの皆さん、並びに監督の皆さん、お疲れさまでした。
この会場にはですね、両チームの方だけではなくて、これまで長く参加してディベートを取り組んでくださった他の選手の方々や、ご父兄の方々もいらっしゃると思います。


そこでね、今から私がする質問に皆さん答えなくてもいいので、自問自答してほしいんですけれども、みなさんね、ディベートってどうですかね?好きですかね?愛してますかね?

もちろんね、好きっていう方もたくさんいると思うんですけれども、でも、すごく好きです100%好きですっていうよりは、皆さんもっとそのディベートに対して愛憎入り混じった感情を持ってませんか?

~笑い声~

ですよね、きっと皆さんそうだと思うんですよ。

で、なんだかディベートに取り組んでいて、ディベートだとかを憎んでいた時間の方が多分全体で見たら多いんじゃないか。どうでしょう、まあ私もそうなんですけれども。でも、でも皆さん、そして両チームの皆さんだけではなくて、この会場に戦ってくれた他の学校の方々、あるいはその、予選で戦ってくれた学校の方々、皆さんつらいつらいと言いながらもディベートやるじゃないですか。だけど、本当だったら普通つらいことってみなさんすぐ辞めちゃうと思うんですね。だってつらいんですから。そうすると、どうしてじゃあつらいながらもここまで続けてみなさんいろんな方が続けてこれたのかっていうのを、振り返ってみてほしいんですね。

<1.1> なぜ、ディベートが辛くても続けられるのか

私は、大きく分けて2つくらい理由があるのかなって思っています。

1つは、これは身も蓋もないんですけれども、やっぱり選手の皆さんがつらいながらも長く続けて頑張ってくださったからって言うことだと思います。
まあその、こういうと根性論みたいになっちゃいますけど。

とはいえ、漫然と皆さんもディベートを続けていたわけではなくて、今回のみなさんのスピーチを見てればわかりますけれども、たとえば上手くなりたいとか、スピーチ力を付けたいだとか、思考をもっと磨きたいだとか、あるいは憧れの先輩に追いつきたいだとか、色々みなさん内なる思いをきっと持っているはずで、そういうことが、つらいとかやめたいとか、そういう気持ちを勝るくらい、気持ちを保ち続けることができたから、ここまで来れているのかなという風に思っています。

まずはみなさん、こうやって向上心だとか輝くような気持ちを持って、走り抜けてこの8月までディベートを続けてこられた、ということ、自体をまず皆さんが自信に思ってほしいんですね。

よくディベートをやった後に、ちょっと燃え尽きてしまって、自己評価が低くなってしまうという方が時々いらっしゃるかなと思っています。例えばディベートやったんだけれども、負けてしまっただとか、あるいは上手く活躍スピーチができなかっただとかいうかたちで、非常に落ち込んだりすることもあるんじゃないかなという風に思います。

私も昔この大会に出たことあるんですけれども、やっぱりそうでした。なんだけれども、そうやってもちろん反省とかはね、していただいた方が良いのかなとは思うんですけれども、無闇に、自分が今まで長く積み重ねてきた努力とか結果だとか、自分が作ったブリーフだとかっていうのを無下にするほどネガティブになってほしくないんですね。まずはここまで、みなさん自分で気持ちを保ち続けて輝く目標のためにずっと頑張って来たんだろうと思いますから、そこにまず自信を持ってください。

どうして自信をもって欲しいのかというと、これは私講評のたびによくお寄せいただいているんですけれども、結局のところみなさんが培ったこのスキルっていうのをディベートっていう狭いゲームで全部完結させるんじゃなくて、やっぱり社会に出て活かしていって欲しいからなんですね。社会に出てディベートで培ったスキルだとか言うのを活かすためには、やっぱりそのディベートに取り組んだ経験に対してネガティブな気持ちばかりだとそういう事ってできないんですね。不必要にネガティブになる必要は無いというのは、この3日間や予選を通して皆さんが作ってきた議論ですとか、スピーチを見させていただいて、きっと半年前よりも皆さん上手くなっているだろうな、能力、力が付いた、ということは間違いないと思いますから、そこはみなさん、絶対に自信を失わないでいてください。

自信を失わないでこのディベートに取り組んだ半年間、あるいはもっと長い人もいるかもしれませんが、いう期間に対して、軸をもって、ポジティブに捉えて、そのポジティブさをもってして、社会に活かしていってほしい、という風に思ってます。というのがまず、大会もね3日目で終わりなんで、そういう気持ちをみなさん持ってほしいなというのがひとつです。

みなさんが、ちょっと話戻るんですけれども、ディベート憎い憎いと思いながらも続けてこれた理由は、あとまだもうひとつあると思います。

それは、やはりそのディベートって、皆さん一人だけではなくて、いろんな方の協力のもとに成り立っているから、支えてくれる人がいたからだと思うんですね。それはまず例えばチームメイトの方もいらっしゃるのかなと思います。

私もですね、先ほど言ったように昔この大会に出たんですけれども、思うような結果を出せなかったようなこともあって、非常に自分に対してネガティブになったこともあるんですけれども、あろうことかやっぱり周りが何なんだあいつらは、という気持ちになったことも、あるかないかといわれたらあると思います。皆さんもディベート続けていて、100%ずっと、周りのことをみんな信頼していたという人ばかりではなくて、例えばなんであいつさっきちょっとスピーチをミスしたんだろうだとか、何でこの資料を調べてこないんだとかっていうことを、もしかしたら思ったことあるんじゃないかと思うんですね。それは思っても競技だからそういう気持ちが出てくるって言うのはわかるんだけれども、なんだけれども、そういう気持ちだけにずっと飲まれちゃいけないんですよ。

結局のところチームメイトがいるからこそできた議論もあるし、そもそもチームメイトがいなかったら大会にも出られないかもしれないし、例えば部屋を取ったりだとか、そういうその細かいディベートとはまた関係ないところでも皆さんを支えてくれてる部分もきっとあると思います。ですからあんまりネガティブな気持ちを時には持ってもいいけれども、そういう気持ちだけではなくて、やっぱり周りに人がいるから上手くいってるんだっていうことも思ってほしいんですね。それはチームメイトだけではなくて、例えば学校だとか、顧問の先生方だとか、あるいはみなさんがディベートをするにあたって快く送り出してくださっている保護者の方々だとか、いろんな人がいると思います。

ディベート直接内容に関わることと関わらないところでとにかくチームの人、チーム外の友人だとか、学校だとか、保護者の方だとか、その他無限にいると思いますけれども、そういう、すごくたくさんの人のお世話になって初めて皆さんがディベートをできているところがあると思います。だからこそ、そういう人が周りにいるからこそ、ここまで辛いつらいと思いながらもディベートをきっと皆さんできてると思うんですよね。で皆さんこれまでディベートを続けてくるにあたって、そうやって、極めてたくさんの方々にお世話になっている、ということを嚙み締めたうえで、お世話になっただけでそのまま終わらないでほしい、というのがこれも1つですね。

<1.2> ディベートでお世話になった人たちへの本当の恩返し方法

これをどうやってじゃあそのお世話になったことに対して恩を返していくのかというのは、直接お礼を言うとか言うのももちろんありだと思うんですけれども、それはやっぱりその一点目と同じで、社会に対して、周りから養ってもらった、力だとか、環境だとかをどうやって活かして活躍するか、還元するかだと思います。

そうやって、例えば私たちなんかも皆さんの議論を講評するなどして微力ながらお手伝いをさせていただいてると思うんですけれども、あと10年とか20年した後に、あぁ、あの人に対してあの人の努力を、少しだけだけれども下支えすることができてやっぱりその彼ら彼女らとか社会にとっても良かったなと、私たちや皆さんの周りのいろんな方々が思えるような人になっていただければなと思います。そのためにこうやってディベートで得た力、スキルだとか、または気持ち、思いやりですね、そういったものをぜひ生かしておいて欲しいなと思っています。

ということで、私がですね、みなさんにあたってそういったことを、大会は一旦今日で一区切りですので、終わった後にはそういうことをちょっと考えてほしいなという風に思っています。
すこし長くなりましたけれども、試合ですので、判定は出さないといけません。ですので、そこのところを申し上げていきたいと思います。

今回ですけれども、まずその結論から言うと片方に3票、片方に2票入っているということで、まあまあまあ割れてきますよねという試合でしたね、本当に。割れてくるというのは、いくつかの論点のところで審判の評価の大きさ、取り方に濃淡があり、その濃淡が最終的に投票にも結びついてきて、まさに票が割れた、という形になっております。

では順番に見ていきましょう。

<2.> 判定

<2.1> 論点評価: メリットの評価

まずでは肯定側のフローシートからご覧ください。
肯定側は、非常に手堅いオーソドックスなギミックだったと思います。
現在だと、色んな怪しい情報というのが拡散力をもって氾濫してしまうと。で氾濫してしまうと、例えばEU離脱投票だとかのように選挙だとか投票の結果にも悪影響を及ぼしうるような事態に発展すると。だから、フェイクニュースでもきちんと規制をして、発信者に責任を持たせて、ちゃんとしたファクトベースの議論ができる環境が大事なんだ、というお話だったと思います。

まず、内因性と言われるところ。つまり現状はフェイクが蔓延していてダメなんだ、というところに関して色々反論がありました。まず一つ目として、(上位の、一つ目というか二点目か、ごめんなさい)内因性の2点目のところに、資料がうたれていました。
これはなにかというと、肯定側が内因性2点目で出している、デマの方が正しい情報に修正する情報よりも拡散力がかなり低い、というところに対して否定側がアタックしています。

これはなにかというと、肯定側が使っている資料というのは実はちょっと怪しいところがあって、なぜかというと、分析している肯定側の資料の対象がまず例えばメディアが出しているような明らかに自明な情報、(米中貿易でしたっけ、米朝貿易かなんかでしたっけ)みたいな、いうような、そもそもの正しいとか間違っているとかいうような争いが起きないようなものに関しては資料に含まれていなくて、あくまで肯定側の資料で分析しているのはデマ論争が起きるような情報しか分析していないんだという主張だったのかな、と言う風に思ってます。この資料をどう評価したかによって、まず肯定側の内因性を大きくとったか小さくとったかというのが少し変わっていくところです。

ジャッジによっては、この資料が出てきたは良いんだけれどもじゃあ肯定側の内因性って何、どう削っているんだろうとよくわからなくて、よくわからないとやっぱり反論としてはあまり評価できないので、これによって内因性が減じられているわけではない、という判断をしているジャッジがおります。

一方で、否定側寄りに取っているジャッジもいまして、そういうジャッジは、どうも否定側が言ってる資料の事を踏まえると、今、特にインターネット上に出ている情報というのは、本当は大多数あるメディアとかが発信しているような、そもそも絶対フェイクじゃないだろっていうような情報が多くて、肯定側が言っているようなデマだとか、それを打ち消す情報だとかみたいな物って言うのは世にある情報全体から見ればすごく少ない部分に過ぎないんじゃないかという風に言ってるわけですね。

だから、結局のところフェイクがあるとはいってもそれって情報総量に占める割合は全然大したことなくて、だとすると肯定側が言ってる分析してるようなデマが悪影響を及ぼしているようなものっていうのも、すごく限られた話をしてるんじゃないかという評価をしているジャッジもいます。
ここの取り方が分かれていると、やっぱりその現状にそもそも問題があんまりないんじゃないかという取り方をするジャッジも出てくるので、そういうジャッジはやっぱり否定側寄りになるわけですね。

なので、ここちょっと否定側の惜しかったところで、じゃあこの資料が出てきたんだけれども、じゃあこれって肯定側の議論をどう削るんでしたっけというのがもう少しフォローがあると取り方が多分かわるのかな、と思います。というのがまずひとつ分かれ目でした。

次に内因性3点目のところ、これは否定側の観察とも絡んできますけども、日本においても、ファクトチェックの動きがかなり進んでいるらしい、という話だったと思います。否定側の言いたいこととしては、であるから、そもそも本当にまずいような事例が今後日本に出て来ようとも、自浄作用が働いてファクトチェックも自然と日本でも発達して行くだろうから、メリットの内因性は減じられていくだろうという話だったと思います。

ただここに関してはあまりジャッジ間の評価はブレていなくて、日本でこういうファクトチェックの動きって言うのが今後きちんとできていくのかよくわからないね、という取り方です。それは否定側が分析の根拠として依拠している否定側立論の観察の資料の方の中身を見てみると、どうも善意の少人数の人がファクトチェックをコツコツやったというよりは、Googleだとか色んな企業だとか、あるいは政府だとかが渾然一体となってかなり本気を出して頑張ったらファクトチェックもかなり影響を減じることができるという話しなんですけれども、じゃあ日本においてもそんなみんながみんな頑張って本気でファクトチェックを消しに行くようなファクトチェックをするような流れになるのかっていうところまでは別に否定側は証明できてないんじゃないかなという判断ですね。ここはジャッジの取り方は一致していて、内因性へのアタック、これは大きく作用していません。

続いて、大きな議論としては解決性ですね。解決性で言っている議論のところについては、これもいろいろ反論がありました。まず、ファクトチェックをしようとしても、悪意ある情報発信者を特定することは難しいと。なぜならば、なんでしたっけ、投稿の技術でしたっけ?これによって身元を隠すことができるからっていう話ですね。で、ここの資料の取り方の部分に関しては、まあ解決性も内因性も評価は割れていないです。一定程度これで身元を本気で偽装してやるような悪いやつも当然いるだろうけども、とはいえ、世の中っていい人悪い人だけで二分できるわけではないだろうと。

だから、悪意を持ってそのフェイクニュースを発信してるような人っていうのは当然いるだろうけども、その中にももううちょっと濃淡があって、「いやー俺は悪意を持って発信してるけども、まあちょっと捕まるのはさすがに嫌だなあ」と思って、やめるような人だって、そりゃいるんじゃないかなという判断ですね。ていうことをすると、ある程度否定側の反論をもってして、全部肯定側立論の解決性を減じているわけではない。更に言うと、より肯定側寄りにとったジャッジの取り方としては、結局のところ、偽装する技術を使っても捕まっているような事例があって、捕まるという事が現実的に認知されていれば抑止効果もあるんだというような話も解決性に出ているので、やっぱり長期的に見たらみんな、悪い人もだんだん発信やめるんじゃないかなというような取り方もあり得ることですね。

ただ一方でその次に出ている違法ダウンロードの時を見ると、ヘビーユーザーっていうのはだんだんと法規制を物ともしないような動きになっていくんだという話しもあり、そうすると、全体として発信が減る部分も減らない部分も変わらないという部分も残ってくるんじゃないかなという取り方もある程度されていますね。

なので、解決性に関しては、一定程度残るところもありつつも、一定程度否定側反論によって減じられている部分もありつつも、まあないわけじゃないだろうという評価になっています。

というとこです。じゃあちょっと一旦…あごめんなさい解決性Bがあったか。
解決性Bのところですね。解決性Bのところは、あるジャッジのコメントとしては、解決的にはね、結構あんまり触れられずに肯定側が最後第二反駁でサッとのばしていましたけども、解決性Bの方に関しても結局のところ悪意があったらなんか上手いことやるような人なら当然残るんじゃないかというような、分析をしてるジャッジもいて、まあだからここも解決性、主にAとかで論じられていたロジックをもってして、残る部分もあるんじゃないかなという風に判断したジャッジもいます。

<2.2> 論点評価: デメリットの評価


はい、で否定側です。
否定側の、観察の部分ですね、これはさっき別のところで触れましたけれども、フランスでファクトチェックは上手くいっているんだけども、日本でどうなるのかは怪しいねっていう問い方になっています。で一方でデメリットの方を見ていきますと、デメリットも非常にこの問題のオーソドックスなデメリットだったのかなと思っています。


端的に申し上げますと、現在だと用語がね、拡散することによって世論が喚起されて、それが非常に大きな影響力を持つ場合があると。例えば九州電力みたいに、九州電力で次は原発お願い…いやちょっとわかんないですけど、ちょっと次はおねがいしますよとヤラセのなんかその審議会での発言を求めたみたいな事っていうのが実は裏であって、こういうものが内部包括された問題になったという話だったと思います。

ここについては、固有性の1点目のところはそんなにそこまで議論になってないですが、固有性2のところについては若干取り方に差があるのかなというところですね。

否定側寄りに大きくとったジャッジとしては、同時並行、肯定側は結局のところそのリツイートがたくさんされることと問題が提起されて動いていくことって別にパラレルな事象であって、別にリツイートが無くなったって問題の提起だとかっていうのはできるじゃないかっていう話だったと思うんですけども、まあここは必ずしもそういうわけじゃないだろうという取り方をしてるジャッジも一定数いますと。というのは、否定側も言っているように、特にその固有性2の2つ目の主張でよく言っているように、多くの人が匿名の情報であっても共感をしてそういったものが伝搬していくと。例えばリークなんかも過去に続いていたと。だから最初にやはりその拡散するいう事が大事でそれがその問題を動かすような原動力に一定程度なりうるというロジックは特に実はこの試合を通してほとんど否定されてないんじゃないかっていう取り方をしているジャッジもいます。

ただ一方で肯定側も言っているように、別にそのリツイートがガンガン起きることと問題がどんどん伝搬していくことって別に必ずしも密接な関係をもっているわけではなくて、どちらも別にプランを導入したからと言ってこういった九州電力みたいな問題っていうのが顕在化することが無くなるというまではちょっと言えないんじゃないかな、という取り方をして、否定側の評価を減じているというジャッジもいるわけですね。

ここは意見が分かれてしまったんですけども、結構重要な論点な割には肯定側の反論もそんなにあつくはないし、どちらかというとブロックに集中してると思うので、だし、否定側の第二反駁も固有性のね、2のところを?伸ばしていただいたっていう話しがあったと思うんですけども、じゃあどうして資料ベースというよりは話として、拡散することが問題を表面化させて解決することに繋がっていくのかっていうことは、地の文だとか口頭だとかでもよりきちっと体系づけて説明できるとジャッジの心象も変わり得たところなのかな、という風に思います。というとこですね。

なので、否定側は肯定側の反論を受けて取り方がブレているところというのはジャッジの感であります。ので、今申し上げたような論点を、どのように大きく評価したっていうとこなんですけども、肯定側に投票したジャッジとしてはやはり肯定側第二反駁の話にかなり突き動かされているところもありまして、結局のところの九州の話だとかにしても肯定側のフェイクの話だとかにしても、やはりその情報の発信に責任が伴わないような社会というのはそれはまずかろうと。であるから、人ははっきりさせていくことが今後は必要なんじゃないかという価値観によって肯定側に入れると、いうのが肯定に入れられたジャッジです。

一方で否定側に入れたジャッジとしては、やっぱりその肯定側の問題っていうのはかなり小さいんじゃないかと評価していて、それはその内因性アタックを大きくとるとという話なんですけども、そこを取って、あとEUの話についても、まあ結局のところEUの話って、アンケートは出てるけども、じゃあこれで普遍的にフェイクニュースによって業務の意思決定だとか投票行動だとかっていうのが影響されてるっていうのがこれだけで言えるのかっていうところについて、かなり疑義をもって、否定側の発生過程の筋は別に切れてないよねということで否定側の方が量的に大きくなるよね、という取り方で否定側に入れたジャッジもいるという事です。

はいちょっと時間も来てますので判定も申し上げないといけないんですけれども、冒頭申し上げました通り、ディベートをやっていく上でね、皆さんが続けられたことって、皆さん自信がディベートに対して高い意欲とモチベーションを保ち続けていただいたことと、周りの様々な方から支援があったことだと思います。そういったことを、支援を受けた恩を返したりだとか、社会に還元したりだとか、皆さん自身がディベートで得た経験をディベートという枠内で終わらせないためにもやはりそのここで得た経験だとかを活かしてぜひ社会でね、役立てていっていただければな、という風に思っていますし、そうしていただければ私共としても大会を開催している冥利に尽きるというものです。その上でね、もっといや俺は力を私は力を付けたいんやという人がもしいらっしゃったら、それはディベートって無限に上がありますから、またそこはそこでね、お会いできればうれしいなというところです。

<2.3> コミュニケーション点ならびに判定結果

はい、では冒頭申し上げました通り、票が割れておりますが、そのまえにコミュニケーション点の方を申し上げます。

肯定側から行きます。

肯定側 
立論:20点
質疑:19点
応答:15点
第一反駁:18点
第二反駁:22点

マナー点の減点0
合計94

20、19、15,18、22、の合計94点です。

続いて否定側

否定側
立論:17点
質疑:14点
応答:17点
第一反駁:15点
第二反駁:20点
マナー点の減点無し
合計83

17、14、17、15、20の83点です。

今回は、先ほど申し上げましたが論点が割れていて、かつ、肯定側寄りに取ったジャッジと否定側寄りに取ったジャッジがいるわけですけれども、3票獲得しているのは肯定側の創価高等学校となっております。

~拍手~

観客の皆さん、両チームの健闘を称えてもう一度拍手をお願いします。

第2部 講評者へのインタビュー (編集部)

(編集部 久保)この度は、企画にご協力いただきまして、本当にありがとうございます。今回の講評は私も現場で聞かせていただいたのですが、思いが伝わる講評判定で記憶に残っています。冒頭のディベート辛くないか?という発言には驚きました。

(講評・判定者 榊原)ありがとうございます。ディベートは楽しかったり、役に立つということはよく言われますが、私自身もそうですが、実際に試合に出ている選手の視点では辛いことも多いと思うんです。そこで、そんな視点から話をはじめてみました。

(久保)ジャッジの講評は落語のように個人の個性が出るというのが、この連載の趣旨ですが、まさにそれが良く出ているような気がしました。それでは早速伺っていきたいと思いますが、講評で伝えるべきこととして意識されていることはありますか

(榊原)判定の理由・根拠を提示するのはもちろんですが、次の試合に臨むにあたって何をすべきか考えるための材料を提示することが大切だと考えています。選手目線で言えば「負けたのは仕方なくても、じゃあどうすれば良いのかわからない」といった心境のまま試合が終わってしまうのが一番の不幸です。

特にNADEの試合の講評では、日ごろの部活動の時間で何をすれば良いか?ということをスピーチするようにしています。例えば、4人チームで一人だけ議論の理解度が突出しているようなチームなら「原稿はチームで話し合って改稿すべき。その話し合いを日々の活動でしてほしい」といったアドバイスを、あるいは立論の読み方に比べて応答が未熟な選手であれば「立論の読み練はもう十分なので、チーム内で応答の練習をすべき」などといったコメントをします。

メジャーなスポーツなどに比べると、競技ディベートは準備や練習のノウハウについての情報が得にくいことは否定できませんから、議論内容についての指摘と同等か、場合によってはそれ以上に、このようにネクストアクションを示していくことも重要だと認識しています。

(久保)講評・判定で心がけていることは何でしょうか。

(榊原)次がある、両チームともこれがシーズン最終試合ではない場合は、単に改善可能な点を伝えるだけでなく、どういう話があれば評価・判定までもが変わり得たか、という視点からの話を入れるようにしています。特に、複数人ジャッジで試合に入って票が割れた際には、自分と異なる投票をしたジャッジに対して「どういう話があると議論の採り方が変わりましたか?」ということを尋ね、その回答を講評に反映するよう努めています。NADEの試合の場合は、コミュニケーション点で低得点を付けたパートがあった際にも「どうすればよかったか」を個別に言及しています。

他方、どちらかのチームにとって節目となる試合の場合は、とにかく敗退したことを過度に気にしないでくれ、ということをいろいろな角度から言っています。「シーズン通しての自分の取り組みと成長を振り返ってみてほしい」といったコメントをするジャッジは私以外にもいると思いますが、私の場合はとにかく大会後に自己嫌悪に陥るようなことにはなってほしくない、という気持ちがあってのコメントですね。ただ、選手の側からすれば「成長とか関係ない、負けは負けで悔しいだろ!」という気持ちもあるんじゃないかと思いますし、それは私もよくわかります。そういった感情もフォローできるようなもっとふさわしい講評があるんじゃないか?なんて近年は思案しているんですが、難しいです。

(久保)最後に、講評・判定スピーチの実施時のご感想や、何かハプニングなどが、ありましたらどうぞ。

(榊原)今回取り上げて頂いた2019年準決勝の試合についていえば、試合内容と関係ない部分のスピーチはある程度事前に考えた上で放ったものなのですが、この事前の検討段階では非常に悩みました。私は知的な話をするには教養がないし、心に残る良い話をするには情緒がないということで、じゃあ一体何ができるんだ?というところで止まっていました。

それを経て、自分に人一倍ありそうなものと言えば競技ディベートに対する愛憎混じったこの気持ちなんだから、それを昇華して講評にするしかねえ!と考えました。

さらに、先ほどの話とも関連しますが、3日目まで勝ち上がってくるようなチームはやはり競技ディベートに相当な執念があるでしょうから、両チームの長きに渡る激闘を讃えつつも、その心に安寧をもたらすことができなければ、と思っていました。高校生当時全然真面目にやっていなかった私ですら、ディベート甲子園で敗退が決まった時は強烈な喪失感がありましたからね。

試合内容自体は両チームともボリュームと採りやすさを両立したスピーチをして頂いたので、講評する側としては物量の割にやりやすかったです。そのこともあり、ハプニングなどはなかったという認識なのですが、ただただ自分が言いたいことを講評と関係なく放言する場になってしまったのでは、という気持ちも未だにあり、今回トランスクリプトと向き合うには勇気を要しました。

(久保)そういった気持ちがまさにこの講評を作ったんですね。私自身もそうですが、自分の講評判定が記録に残すという判断は勇気がいることですよね。ただ、そのことがディベート普及はもちろん、これからジャッジをやろうとしている人の背中を大きく押してくれると思います。

(榊原)ジャッジがジャッジをやっている動機は多様ですし、またそうあるべきです。私などは、まだ見ぬ未来のチャンピオンをいち早く発見したくてやっている部分なんかもあります。選手へのリスペクトさえあるのなら、より多くの方にジャッジにトライしてほしいです。

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