ディベート甲子園「名講評・判定」スピーチ“列伝”第六回 志村哲祥さん

第23回ディベート甲子園(2018) 高校の部 ・準決勝 第2試合
[論題]
「日本は国会を一院制にすべきである。是か非か」
*参議院を廃止するものとする。
肯定側 創価高校 否定側 開成高校
主審・志村哲祥さん(全日本ディベート連盟 理事)
動画はこちら

第1部 講評・判定スピーチ■

<1.> 講評

はい両チームともお疲れ様でした。判定を下します、主審志村です。
非常に高度な、本当に高度な試合でした。流石に試合もここまで来るとすごい応酬があったかな、と思います。 ところで、今回観客の方に多く来ていただいております。

「私は選手ではありません」「見学をしに来ました」「顧問です」「保護者です」等々の方、どれぐらいいらっしゃいますか?いっぱいいますねえ~。その中で、「ぶっちゃけ何言ってんだかわかんなかったかもしれない」って方いますか?結構いますね、ありがとうございます。

ディベートは別にわけのわかんないことを話す競技ではございませんので、その辺についてもそういった話をしていきます。よろしくお願いします。

<1.1> ディベートにはルールがある

まず全体的な話から入っていきますと、ディベートは実は、よくわからないルールに従ってすごく高度なことをしているっていう競技ではありません。例えば今回の試合の中で何か現状の問題がとか、現状分析がとか、解決性がとか何かあったと思うんですけども、ちょっと説明します。何が言いたいかというと、ディベートは、こういうことをする競技です。

「あることをするかしないかっていうことを、論理的に、根拠に基づいて決めよう」っていうのがディベートです。

その時に我々はこう考えます。人間が何かを意図的に新しくしよう、もしくはやめようって決める時には何か現状に変えたいものがあるから、もしくは問題があるからと考えます。

例えば、今からこのおにぎり食べようかなとかあると思います。その時には、おにぎり食べようと思うからには、今お腹が空いているという問題があります。お腹が空いてなくってもうお腹いっぱいっていう時に食おうかというと、食わないですね。

そこで何かをするときにはまず、現状の問題は何だろうという事を考えます。それだとおにぎりはお腹が空いているっていう現状の問題ですし、今回の論題であれば、迅速さが足りない、長期政権がとれないという部分が問題になります。これを、内因性とみんなは言っていました。

一方でその問題が本当に論題によって解決するのか?例えばお腹が空いた、おにぎりを食べる、お腹が膨らむのはわかりやすいです。
でも今回に関して言うと、「だってそれが本当に論題を導入して解決するのか?」というところに関してはちょっと難しいですよね。そこが本当に解決するのかどうかっていう解決性。そして、それは大事かどうか?

おにぎりを食べよう、お腹が空いた、でもお腹がいっぱいになったけれど大丈夫かな、太っちゃうかもしれないってなるわけですよね。それが今度は大事かどうかという事で重要性という問題があります。というわけで、何かをしようという側は、「今問題があります、それが解決できます、かつ大事です」っていう3つを推してきます。

一方、論題なんか導入しない方が良いっていう側は、何やってるかというとまず、「現状にあんまり問題ない」って言います。「いやお腹別に空いてないし…」。そして次に、リンク、発生過程。「何かをやっても結局悪いことが起きますよ」ってことを言ったりとかします。自分たちの側は。例えば「おにぎりを食べてしまったら太ります」という事ですね。

一方で、ここで固有性っていう概念があります。今問題がないということ、お腹が空いていないということのほかに、 もし太っちゃうというデメリットをあげたらですね、 今とても痩せてる人がすごい太る場合には問題なんですけれども、既に100kg越えてる人が101kgになってもですね、あんまり関係ないと思います。そういう部分がすでにもう問題起きているだなんてことに関してあるかどうかってことを考えていきます。

で同時に肯定側と同様に、それはどう深刻かということを考えていきます。 この3つの要素とかを踏まえて話し合っていくのがディベートっていう競技になっております

<1.2> メリット、デメリットの概要

さてじゃあその3つの論点に整理してこの試合の中を見ていきましょう。
まず肯定側。おそらく観客の多くの方が何話してるかわからないと思うので、軽く中身を見ていきます。

肯定側はこういうことを言っていました。まずスタンスとして、現状の分析、どういう問題があるかどうか、ということを話されました。
流れとして「現在、この90年代以降小選挙区制が導入されて二大政党制になって、大きな政策転換を迅速に行うことが目的になってます」と。地方分権とか。で、イギリス型の二大政党制が導入ってなっているんですけれど、ただ問題はこれっていうのは、二大政党制というのは基本的には二院制と相性が良いという感じの事を言っています。

そしてメリット。安定した政権運営という事を言っています。
現状の問題として何があるかということを言っていると(お腹が空いたとかですね)、何を言っているかと言うと、まずねじれてる場合とかも含めて基本的に野党っていうのは与党に賛成するインセンティブが無い。
反対した方がいいに決まっているので基本的には対抗する、と。具体的な例でいうと児童福祉法みたいに通ることが確定してたのになんか時間がなくなっちゃったりとかでされた廃案とかがある。

また同様にですね、また別の話があって、実際法案成立について見ると、ねじれている時ねじれていない時で、法案成立率がだいぶ違うという話をしています。 という、決まらない法律があるという問題と、短命政府になっちゃうという問題があります。結局その人が能力があるのかどうかを別として、国会完全に空転するほどねじれるとうまくいかなくなっちゃうという話があります。辞めるか総選挙するしかない。その結果頓挫する政策があって、一朝一夕じゃ終わんないものがあるんだけれど…具体的に何かよくわかんなかったけれど…あるんだけれどもそれがいけなくなっちゃうという話をしています。

そして解決性。これが本当に解決するかどうかっていう観点で見てみると、まず前者の「通すべきなのに通んなかった法案がある」ということに関しては単純に国会の審議が迅速化するので、通りますねっていう話がありました。これに関しては否定側から反駁がなかったので、まあ通るのかなっていう風に思っています。ジャッジはほぼ全員。

一方で政策の安定化という部分に関して見てみると、ここでですねイギリスの例が出てきています。イギリスでは何か増税とか国民に痛みを伴うような 政策があったんだけれど、どうも何か特殊な事情によって5年間で延期になった場合にうまくいった感じがありますっていう話が出てきました。これは後で理由出されましたけども、後で言います。
…という現状の問題と、それがこうやって解決されるという問題がありました。

ここまで聞いて分かったと思うんですけれども、実はですね、肯定側のメリットは若干羊頭狗肉です。言ってることとラベル若干違います。
ラベルは安定した政権運営と言っていますが、中身は何かというと2個ありまして、安定した政権運営の話は後半で出てきますけど、前半はなにかというと、迅速さとか、廃案になっちゃわない法律があるってことを言っていて、実はちょっと安定性とあんまり関係ないかもしれません 。

というとちょっとラベルがわかりにくくて混乱した部分があるかもしれませんが、実は肯定側の話は2つあります。1つは、大事な法案が廃案になっちゃわないことと、もう1個は安定して政権運営されることが大事であるということです。で、この重要性が2個あります。1つは迅速さが大事、さっきの話ですね、迅速さが大事だよって話があったりとかしたりとか、あとまあ少子高齢化中国とかってことがありますっていう話があります。で不作為の問題があるという話をしていました。

要は児童福祉法みたいな感じで、やらないことがまずい。であればまずリスクを取ってしまって問題があれば修正すればいいじゃないか。 あとから直せばいいっていう事を肯定側は言っています。

そして次に、一定期間は仕事をするって大事だよねと。
短命に終わっちゃったら結局正当に評価なんかできないから、ちょっとある程度やらせてみて、様子を見ようよ。あとで評価をしようよということを肯定側が言っています。という現状の問題とそれをどう解決するか、どう大事か、ということを肯定側は言ってました。

否定側。
まず現状問題はないんだよ、どううまくいってるのかということを見てみると、参議院というのは、十分、差を補っていると。具体的に言うと、国民の世論・意思を入れて反映する、修正する機会を持っているという話をしています。

そして、例えばどういうことがあったかというと、放送法の例がありました。ちょっと中身をとしてはどうも「捏造した時に行政処分を下しますという条文があったんだけどそれは恣意的に運用できちゃうから良くなくて、これを直せました。良い事です」。

…本当に良いことなのかどうかは実はこの試合の中決着つかないまま終わっております。パッと聞くと、「捏造に罰則があるっていい事のような気もするんだけれど、まあマスコミが困るってのはわかるんだけど、それ知る権利なのかな?」うーん…と思ってます。まぁでもなんか修正はされたらしいです。

世論の、でもう1個ですね、これはそのまま残ってる物なんです。世論の形成って事があります。現状参議院は何しているかと言うと、衆院で議論をした後にちょっとしてから参院って話があります。その間に国民は、「こういう問題があるんだ」ということを認識して、じゃあ自分はそれについて賛成かな、反対かな、こういう観点があるなということを考えると。そういう世論を熟成するさせる期間というものが存在しているんだけれども、で、世論って漸次変化していくと。時間が経たないと熟成しないという事を資料で言っていまして、この点、特に反論されてないのでそのように熟成があるという感じですね。

そこで安保法案の話がありました。参議院段階でデモとかそういうのが起きたりとかしました。批判がなければそのまま通ったかもしれない。この安保法案に関しては政府の単独暴走をなくせるような感じになったんですよ、ということを言っています。という、今問題はないということの証明。

一方導入しちゃうと、この論題で何が起きるかという話を見ていきますと
情報開示。ねじれ国会になった時には、、、まずそのちょっと離れた話として、ねじれるっていうのは政府が何か間違ってるから国民は罰する意味でねじれさせたっていう話がありました。そのあとで情報公開、ねじれると審議で国政調査権を盾にして情報化されるという話があります。

実際にやったかどうかは別として、かなり情報が政府から出てくるというメリットが現在あるっていう話があります。これが論題を導入すると無くなっちゃいます、というところが発生過程です。本当になくなっちゃうのかということは実は立論中では明示されてないんですけれども、まあどうもそこに関してはそこそこはなくなっちゃうかもしれない。

そしてインパクト、深刻性。何がどれぐらいまずいかっていう話を見てみますと、無くなっちゃうと。もうチェック機能とか修正機能が。無理押しが起きる。戦争の危険が生じる。国民の議論・世論を反映できない。また、よくわかんないけど国民の権利と平和主義に反する。…なんか大変そうです。
で、大きな決定は国民の前で行おうということを言っております。

正直平和主義に反するって言ってますけど、この問題を導入したらなんか戦争が起こるって感じじゃありません?まあ何かまずいって憶測をたてました。

というわけで、実は相当膨大な論点が今回選手から出されました。
聞き取れなかったよという方いらっしゃるかと思いますが、実はこれですね、10回ぐらい練習試合すると誰にでも聞き取れますんで、本当かよっていう顔していますけれども、できますので、もしよかったらぜひやってみてください。社会人も出れる大会があります(笑)

そういう 感じで双方とも争いがありました。で、まずですね、そこで今言ったのは最初の段階の立論でして、ここから反駁っていう、相手にそれは違うんじゃないかということを言うところが出てきます。

<2.> 判定

<2.1> 論点評価: メリットの評価

肯定側から見ていきますと、まず肯定がですね大きく2つのセグメントがあります。一つに関しては迅速さ。廃案にならない、大事なことが決まっているって話です。これに関して実は具体例は児童福祉法しかありません。そして、5か月遅れた。これがどうまずかったんだろう?誰か死んじゃったのかな?虐待されちゃったのかな?何かの危機に陥った人がいたのかな? しかも5ヶ月後に成立してるらしい。これ、どれぐらいまずいのか?ということ、実はこれがどうまずいのかってことを証明するのが深刻性です。重要性です。それが無い。その結果ジャッジはこのへん、判定が分かれていることの原因になります。

例えば、「5か月も遅れちゃったら、子供かわいそうだし結構これも深刻な問題だし、こういう事起きるんじゃないのかな、なんか廃案率上がってるし」と思うジャッジはこれを大きく取りますし、「いや証明されてないし5ヶ月後に成立したなら別にいいじゃん」って思ったジャッジはこれをあまり評価しません。そしてこの部分に関してはただですね、そんなに争いはないんです。とりあえずここはそういう点じゃあ見解が分かれるって事です。

その先。長期化の大事さ、という部分です。ここに関してはたくさんの反駁がありました。例えば 否定側からは「いや与党も野党…?野党も与党に歩み寄るから大丈夫」って話があって、でもなんか法案審議前に廃案になっちゃってるって歩み寄りも何もくそも無いっていう部分もあったりとかですね、あと…ねじれていることの理由とか、あるいは党内対立が起きるから結局決まりませんよっていうことがあったり、4年でそもそもできますかっていう問題があったりしました。党内対立は今でもそうじゃないかっていう話があったりとかしまして、まあそうかもしれないという部分があります。

で、4年じゃ無理ってところとキャメロンの例ですね。かなり詳しくやりました。そんな資料の対応を用意してるのかと。イギリスが4年で上手くいったっていう話があったら、「いやイギリスはこれ内閣にすごい権限があって、新しい省庁っぽいものを作れちゃうんだ」と。それでうまくいったんだっっていう話が合って、ほお~っていうところで(笑)で、否定側は特に反論無かったので、あぁそうかイギリスがうまくいったのはイギリス固有の例なのかもしれないな、ていう部分もありますが、一方で、とはいえ現状、やる間もなく政権終わっちゃったら評価のしようもない人が残っていますんで、まあやらせてみてなんとか考えるって部分に関しては淡く残ってるねって取ったジャッジもいます。

というわけで、メリットに関して見てみるとそもそも発生するかしないかというところで見てみると、例えば前半部分の「廃案を無くす」「迅速に審議をする」「ちゃんと物事を決めていく」というところに関して、「まあ起きるよね」と取ったジャッジと「起きるかもしれないけどその重要性が全く不明」と取ったジャッジがいます。後者に関しても、そもそも長期化した結果良くなるのかっていうと、解決性ですね、なんか中国の問題だとか財政再建、少子高齢化ってありますけれどこれが本当に論題通りにすれば、なんか参院無くすだけで年金問題とか全部解決します!…本当かよ?って感じですよね。

そんな部分に関してみると、「いや、それ解決性あるとは言えないし、なんかキャメロンも何か別の例だし」という考えてみると、あんまりこれ発生しないんじゃないか、って取ったジャッジもいれば、とりあえず解決するかどうかは別として4年間やらせなければその端緒にもつかないと。 大事な感じに取ったジャッジに関してはここは残してるっていうジャッジもいます。
というわけで、肯定側の事に関して言うと、「ここの部分残ってるよね」って取ったジャッジ、「残ってないんじゃないか」と取ったジャッジ、「ここは大事」と取ったジャッジ、かなりバラつきが出ています。ばらつきが出ている理由は、実はこの中に複数のメリットが存在しているということと、それぞれの証明が十分じゃないというところ、あとは、どうでもいい論点に反駁するぐらいならもっと大事にして欲しかった反駁観点があると思いますよ。どうですかね?という感じで肯定側は終わっています。

<2.2> 論点評価: デメリットの評価

否定側。実は否定側も同様にジャッジの見解は分かれております。

まず世論。何が大事かということは最初に肯定側さんが質疑で聞いてくれました。何が大事なのと言うことを聞くと、世論の反映が大事なの? 修正が大事なの?それとも納得感が大事なの?って話をしていてですね、まず、世論の形成に関してはそこは特に反駁が無い。ただし世論が反映できてるのかって言われると、いや結局安保法案とかなんか納得してないじゃないですか?って話があったりとか、あとは放送法もこれ本当に世論の反映なの?っていう話とかあったりします。

そして情報開示に関しては、特にこれ反駁無いんですけれども、ねじれている時だけできるらしいですね。そしてこの結果何が良いことがあったかというとちょっとよくわかんないていうところがあったりもします。
そして、世論の熟成、世論の反映。なので世論の熟成部分と情報開示に関しては残っているけれどそれが反映されるのかどうかということに関してはまぁ、され…今って少なくともただ、現状のままのほうが論題導入後よりは反映されやすいんでしょうねと取ったジャッジが多い感じではあります。なので、デメリットに関して言うと、流れは同意されている部分が結構強いとジャッジは考えておりますが、それが本当に大事かどうかがいまいちわからないという部分も残っております。例えば放送法に関してはなんとなくなんですけど、これ多くのジャッジが「それ大事かどうかよくわかんない」という風に思ってます。一方で安保法案とかに関してみても、なんか、とりあえず何か修正機会があったらしいということに関してはわかりました。問題はその後です。少なくとも何かしらのチェック機能・修正機能があるってことが分かった。なんとなく大事っぽいてのは分かった。

ここでですね、1個致命的なドロップがあります。何かというと、ここでジャッジの判定がやっぱり崩れる原因になります。「あとから直せばいいじゃん」。…これです。ここの部分に関して、あとから直せない証明が実は否定側はしていなくって、かつ、例えばですね、ここで取り返しがつかなくなります的なことがあれば別なんですけど、特にそういう事もない。 ってすると…ただですねこれ明示的に後から直せばいいということを立論中と二反で言っちゃっていて、あんまり反駁されてないっていう部分もあって、て言うと、そんなに大きくは取らない、とするべき感じもあります。そうした場合に、否定側のストーリーは残っているがそれが挽回可能なのか、あるいは重要性はどれくらいなのか、深刻性は?ってところで、ジャッジの判定はやっぱり分かれるというふうに感じられます。

<2.3> コミュニケーション点ならびに判定結果

というわけで、ここまで聴いておわかりの通りこの試合、判定はかなり割れております。かなりって事はそういう事です。3対2ですね。はい(笑)。

さて、もちろんこの試合に勝った方は決勝へ進み、負けた方はここで一旦終わり、ということになります。 一方で ぜひこの試合だけでとらえないでいただきたいという事があります。
 
まず皆さんに「絶対にやって欲しい」ということがあります。これがジャッジ皆さんから寄せられた意見を言います。何かというと、これは渡辺徹さんという、後で主審をする人の意見の受け売りなんですけれども、彼が言うのは、囲碁ってあるらしいですね。私やったことないけれども。で、囲碁って、下手な奴は音のするほうに石を打つってことがあるらしいんです。全体の局面とかとは関係なく、とりあえずここ反駁されたから反駁しちゃえってしちゃう。

でもジャッジをしてほしいんです。練習試合とかでもいいので。特に対外的なやつで。かつ、練習試合、本当のジャッジの後ろについてジャッジをしてほしいんです。

それをすることによって「ジャッジが知りたいのは本当はこのポイントなんだけどそこが放っとかれてる…!」っていうのがあります。 例えばこの試合、ジャッジが判定基準で使ってどうしようって思ったことは何かっていうと、例えば、「やらないよりはやらせた方がいいのか、それとも違うのか?」という部分とか。あとは、そうですね結局「迅速さが大事なのか、それとも慎重さが大事なのか?」っていう一番肝心な所の比較がないというところですね。そういうところ、などなどによって本当にジャッジが知りたいところ。あとはあるジャッジはこう言っています。「悪いかもしれないけど先に進めるメリット」「悪いから止めようっていうデメリット」どっちが本当に大事なんだろうかっていうことをジャッジは知りたいのに、結局そこは放置されたままジャッジに任されている。ジャッジに任せるということは運を天に任せるという事です。ジャッジが一番知りたいところを我々が知っておかないと判定は分かれます。当たり前です。

もう1個あります。ジャッジをして欲しいという理由。ディベートで身につく力は、もちろんたくさんの情報を集めて複数の観点からこれこれこういうことがあり得る、ということを学ぶっていう面もありますが、最も大事な方法は、その複数の情報を総合的に評価して、最終的にどっちの道を選択するのか?っていうことを身に着ける事です。ディベートは、筋トレとかと一緒です。トレーニングと一緒です。適切な方法でトレーニングをすることで意思決定とかの精度を上げていって、日々の生活(っていうのは基本的に全部意思決定です)それをできるようになるっていうのがディベートです。なので意思決定をするっていう練習をしないと、ジャッジの練習をしないと、ディベートの効果は片手落ちです。

ぜひ皆さん、このあと何があるにしても、絶対続けていただいてジャッジをしてください。さもないと勿体ないです。せっかくここまで来て。で、そういうわけで実はこのジャッジの中にも…あそうだ、皆さんですね。今日一緒に沢山来ていらっしゃっている保護者の方、顧問の方に是非、帰ったらお礼は言ってください。社会人になったらわかると思うんですけれども、平日にわざわざ有休を取ってここに来るって、結構しんどいです。

でもこれはきっと皆さんの将来に関して言うと、すごいメリットになると思うので、我々は頑張っています。ちなみに今回の審判団は結構豪華メンバーです。医者・裁判官・会計士・コンサル・コンサルって感じです。なかなかのメンバーですね、はい。

これだけ集中的な資本投下をしていますので是非ですね、やっていただければと思います。よろしくお願いします。で、そんな感じでディベートっていうのは精度の高い意思決定、論拠に基づく意思決定をしていて、どっちかって選ぶ感じになってきます。

とは言え勝敗つけますんで、そろそろ判定に移っていきます。
まずコミュニケーション点から発表です。

肯定側
立論:18点
質疑:19点
応答:18点
第一反駁:15点
第二反駁:16点
合計86点

さっき言った、ちょっと音のする方に石置いちゃってる感があり、点数が若干後半下がってきてしまってるところがあります。

否定側
立論:17点
質疑:15点
応答:17点
第一反駁:17点
第二反駁:16点
合計82点

という感じになっております。(どっちが勝ったかわかりませんね…)

今日のところ、今回本当に皆さん、自分の立場をちゃんと守って主張する、かつ相手の事に関しても適切に対応していって、ちょっとビックリするぐらい準備もしてあって、対応するっていうことができています。あと大事なことは「どこで決めるの?何が大事な決めるポイントなの?」ってところにまで目を向けていただいて、それをするためにはジャッジとかもしていただいて、最終的にこの試合の決着をつけるポイントをつけていただくのは良いかと思いますし、進んだ方のチームは決勝戦でそれを心がけて頂ければと思います。
どっちが勝っても盛大な拍手をしてください。
今回の試合結果は3対2。
勝者、肯定側創価高等学校。

~拍手~

観客の皆さん、両チームの健闘を称えて拍手をお願いします。


第2部 講評者へのインタビュー (編集部)

(編集部 久保)この度は、企画にご協力いただきまして、本当にありがとうございます。早速ですが、講評で伝えるべきこと、講評・判定をする際に心がけていることはありますでしょうか?

(講評・判定者 志村)聞いていただいてありがとうございます。
はじめに、そもそも試合のステージによって、私の場合は伝えること、心がけていることはかなり異なります。練習試合、予選リーグ、トーナメント、そして準決勝や決勝で、ジャッジスタイルを変えています。
そして今回の題材の準決勝については…今から言うことは複数のディベート甲子園のファウンダーの方がよく言っていたことであり、大切なことなので改めて明文化しておきます。徹さん(渡辺徹氏)も瀧本さん(瀧本哲史氏)も言っていたことになります。
選手の試合が終わると、判定講評スピーチがあります。ジャッジはそこからが試合開始なんです。では何の試合をしているのか。ディベートでは選手はジャッジを説得します。そういうゲームです。しかし、多くの観客がいるような試合、決勝とか準決勝とかのレイヤーの試合では、ジャッジは、選手と同時に観客を説得することが望まれています。それが伝えるべきことになります。

(久保)面白いですね。観客を説得するとは、どういうことでしょうか?この辺を詳しく教えていただけますと。

(志村)はい。「聞きにきてくれている人を、仲間にすること。それがオーディエンスの多いステージのジャッジのミッションである」、ということですね。

正直競技ディベートなんてのはマニアックすぎるしカルトっぽすぎるんですよ。オタクたちが様々なジャーゴンを織り交ぜながら、何言ってんだかわからない呪文みたいなのを早口で詠唱しあっている。どう考えてもやばい。(笑)でもね、やっていることはすごくいいわけです。

そしてこの場を誰が成り立たせてくれているのかに目を向けて欲しい。謎な活動に打ち込んでいるのを容認して見守ってくれている保護者、わざわざ休みの日に生徒を引率してきてくれている顧問、様々なリソースを出してくれているスポンサーや協力先、これをいい感じに伝えてくれるかもしれない報道の方々、そして一般の観客。その人たちに、実は選手たちはこんなにすごいことをしていたんですよ。こんなにおもしろいことなんですよ。そして、これをすることはみんなの人生や社会に対してこんなに有益なことなんですよ、ということを翻訳しないといけない。そして、これからもよろしくと。子供さんや生徒さんがこの素晴らしい活動をこれからも続けていけるように応援してください、と。

ある意味営業トークです。でも大会の中でこの営業トークができるのは、させてもらえるのは、大きな試合の主審しかいないんです。「ディベートを続けたらどうだ、やってみたらどうだ」と、親御さんや顧問が生徒に言ってくれるようになる。それが判定講評のジャッジに課せられる、勝利条件の一つです。そのために観客を説得する。

(久保)なかなか、難しいですね。

(志村)とても難しいですね。パブリックスピーチに近いものもあります。それに、あくまで「選手に判定理由を適切に伝える」というジャッジの枠内でのチャレンジになります。ディベートの意義やメリットなんてちゃんと話していたら時間がいくらあっても足りない。あくまで試合の中で出てきた材料を生かして、議論を整理して拾い上げて判定ポイントを伝えながら、なんかこれ第三反駁みたいですよね、そしてディベートの枠組みや意義も伝えていく。意外と選手の人も無自覚だったりすることが多いので、触れていく。そしてなんとか、選手にもも観客にも、その試合の議論と判定ポイントを理解してもらった上で、「この競技を続けてみよう、促してみよう、応援してみよう」と思ってもらえるようにする。それを意識して、心がけています。

(久保)ちなみに、それで言いますと観客がいない試合では、また違ったものになるんでしょうか

(志村)観客の有無や時期、そしてディベーターの熟達度によって、判定講評スタイルはかなり違います。たとえばもうセミプロみたいなディベーター同士の練習試合であれば、ディベートの基礎とか意義とか触れる意味もないので、判定講評も超早口で、議論の評価を網羅的に伝え、他のジャッジであればこうともあるいはこうとも解釈されうるから、この点気をつけて準備した方がいい、などとかなり実践的かつ辛口な講評が主になりますし、初めて間もないんだけれどすごく頑張って地区大会に来れました、という感じであれば、とにかくその学習と試行錯誤とチャレンジに敬意を表して、そしてある意味で試合内容を教材にして、より先へ進んでもらうためのレクチャー的な講評になったりもします。

ディベーターの説得すべき対象はジャッジだけなんです。ただ、それが1人か3人か5人かとか、誰がどういうタイプのジャッジかとかいうジャッジアダプテーションはあったりもします。一方、ジャッジの説得すべき対象は複数いるんです。選手だけの場合もあれば観客も含まれる場合もある。しかも何十人もいたりするし、初心者だったりプロだったりする。別の意味でのアダプテーションが必要なんです。誰がこの判定講評を聞いているのか、この判定講評の意義、目標、エンドポイントは何だと設定するのがよいのだろうか? と、常に自問自答しながら、複数人ジャッジの場合には他の審判の意見も聞きながら、設定して、各試合判定講評に臨んでいます。

(久保)確かにジャッジは説得する相手が多様です。その点については、難しさがありますが、それはジャッジ自身のトレーニングでもありますね。最後に、実施時の感想・ハプニングなどはありましたでしょうか? もしあれば、どんなお気持ちでしたか?

(志村)気づけばもう四半世紀ディベートをやっているので試合でのハプニングはたくさんありますが…(笑)。試合中に選手が体調を崩してしまった時があって、果たしてその人のケアをすべきなのか(※注: 志村さんの本業は医師)、審判を続けるべきなのか、判断に窮した時は一番困りましたが…私が言いたいのは試合前には絶対に睡眠は削らないほうがいいよということです…でも判定講評に関してのハプニングはあまり記憶にありません。

感想というか、伝えたいことは、みんなジャッジをしようよ、っていうことですね。中高生も、大学生も、選手だけやって満足して終わってしまう人がいるんですが、それは本当にもったいなさすぎるんです。ジャッジをたくさんすることで…ジャッジも試合の中で選手に成長させてもらえるし、ディベートの本来的な価値である意思決定の力とか整理とかが養成されていく部分もあると思うのです。



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