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突然ディベートを教えなければいけなくなったら ーディベート未経験者のためのディベート教育論

突然ディベートを教えなくてはならなくなった

 最近、アクティブラーニングの導入などの影響で、専門的にディベートをしたことがないけど、担当しなくてはならなくなったという人から相談されることが多々出てきました。結論から言えば、やはり専門的なスキルでもあるので、実践してほしいのですが、真剣だしやる気もあるが、どうしてもそれが難しいという方がいる事も分かりました。

 そこで、あえてディベート未経験者の方がディベートを教える際にの注意点について、Art of Argumentの視点で実際に大学、企業、公官庁なでディベートセミナーを実施する方などにお聞きして、簡単にまとめてみました。いずれも、テクニック的な事ではありませんが、慣れていないとやりがちな話です。

なお、ディベートの全体像については以下の記事もご参考ください。
ディベートとは何かーディベートの教育効果

1.ディベート教育の目的設定
 ディベートを授業で教える場合、目的をはっきりさせることが何よりも重要です。ディベートは、聞く、話す、読む、書くという言語の四技能全てを使うトレーニングです。そのため非常に多様性に富んだ訓練です。ベテランのディベート教育者であれば、これらをうまく活用してどんな形でも対応できるかもしれませんが、今までディベートをしたことがないという方がディベート授業を作る場合には、目的を絞ってその中でこれらの要素を訓練していくように授業設計することが良いと思われます。

 そのためまずは授業の目的をはっきりとさせること、その中でディベートという方法がその目的を達成するために、どのように効果的なのかについて考えて使い方を決めましょう。

 例えば高等教育での代表的なディベート授業の目的例は以下になります
社会人基礎力
ゼミ等の導入(アカデミックリテラシーの実践、エビデンスの扱い方)
議論の訓練
語学教育

 それぞれの目標に合わせて、ディベートをどのように取り入れるべきかを考えてみましょう。語学教育なら、語学を話せるようになることが一番重要であるならば、あまりに自由すぎる環境は初学者にとってはハードルが高いので、議論といってもある程度の型を作った方がいいかもしれません。ゼミへの導入ならば、まずは議論するという事に慣れてもらえればOKという考え方もあると思います。

2.授業における「場」の設定の重要さ
 今まで学校現場や一般企業や公官庁などでディベート教えてきた経験からしますと、ディベートや議論に対してあまり良い印象を持っていない人が一定数います。その方は過去に議論で不快な経験をしていることが多いようです。この場合、単に食わず嫌いで、なんとなく嫌な思いをしたので議論は良くないと言ったような気持ちになっているパターンが多いです。

 このような人であっても、うまく場を作ってあげた場合には、「とても勉強になった。議論の大切さがわかった。」など態度が変わることが多々あります。せっかくディベートという授業をするなら、多くの人が教育効果を感じられるものにした方が良いわけですので、テクニックなどを伝達する前にこの授業が「議論を安心してできる場所」であるという場を作ることが授業を成功させるかどうかでとても大きいものだと思われます。

3.安心して議論ができる「場」の作り方とは
 場の作り方としては決まった答えはありませんが、最も重要なものとしては議論と人格を切り離すということを伝えることが重要でしょう。議論にネガティブな印象を持っている人は過去に議論でやっつけられた自分を否定されたなどのイメージを持っていることが多いです。

 答えの分かっていない問題については、異なる価値観を持った者同士が、共に真理を探求するものとして様々な議論をぶつけ合う必要があります 。その時に、相手の議論を否定するというのは、相手の人格を否定するということとは別物です。あくまで何かの意見に対して、別のこういう見方もあるという視点を出しているということに過ぎません。

 教室の中で起きた議論がきっかけで生徒の人格が傷つくことのないように、ディベートでは異なる立場を両方実践させるという事が良く使われます。(スイッチサイドとも言います)こうする事で、議論する事がロールプレイになり、人格と議論が強制的に分離してトレーニングとしての意識を強くすることできます。

 その際には、例えば「みんなはこれから議論するけど、立場は先生が無理やり決めるから、必ずしもその人の意見じゃないからね。」と直接伝えてしまいましょう。なお、間違っても試合の中で行われた議論に対して特定の価値観に基づいて強く否定する、糾弾するなどはあってはいけません。こういう意見もあるけど、ああいう意見もあるよねという風に選択肢を提示して、学生に考えさせるようにするのが良いと思います。

4.議論は使い方次第
 議論は大切だという意見、一方で議論では世の中は動いていないという否定的な意見などが対立している事を見ることがあります。個人的には0か100という考え方は間違ってるのではないかと考えています。議論も使い方によって良い時もあれば人を傷つけるような時もあるわけで、これは別に議論に関わらず科学一般でも言えることだと思います。

 そのため、ディベートの授業においては、単にテクニックだけに終始するのではなく、何かを「より良くするための方法論としての議論」というマインドセットを伝えることが大事なのではないかと思っています。

 ちなみに私としては一番重要な議論のマインドセットというのは相手に対するリスペクトだと思っています。建設的な議論が行われる時には様々な意見が出てくる、時には相手の意見を否定するようなことも言わなければいけない時があるかもしれません。ですがこの時互いにリスペクト に基づく信頼関係があれば、そのような厳しい反論があったとしてもお互いにそれを踏まえた上で新しい価値を生み出そうという協力関係が作れるはずです。

 議論をせずに生きていくという事は現実社会においては不可能だと思われます。であればこそ新しい価値を生み出すための議論ができるようにお互いに相手をリスペクトし合うという、ある意味当たり前のことですが、ディベートの技術を学ぶ前には、このことをしっかりと見られ共有していることが重要です。また、このことは実践の中においても折に触れて伝えていくことが良いのではないかと思っています。

5.まとめ
 ディベートの授業において、上述した「安心して議論ができる場」の設定が上手くいくかどうかで、ほぼ授業のクオリティは決まってしまうと言っても過言ではありません。この議論に対するマインドセットというのは、教室においては教師の果たす役割が極めて大きいものです。また、実はこれはディベート授業のみならず、会議一般についてもいえることです。

 過去にディベート研修で「議論ができない空気ってどんな感じ」というのを、皆で考えた事があったのですが、ある受講生の方が「上司の顔に答えが書いてある」というものがありました。かなり秀逸な回答だなと思いましたし、ありありと情景が浮かびました。

 議論という営みが、その能力を最大限に発揮するためには、テクニックよりも先に、「安心して議論ができる」ための環境整備がまず何より必要だと実感した瞬間です。

 スキルを身に着けるのには時間がかかりますので、未経験でディベートを教えなくてはならない状況にならば、スキルを与えるという姿勢ではなく、学生たちと一緒に議論を通じて共に学びあうという気持ちを持ちながら、「安心して議論ができる場の設定」に注力する姿勢が何よりも大切ではないかと思います。

 もちろん、更に価値ある授業にするためには、スキルも重要です。研鑽するための方法論については、またどこか別の場所にてお伝えできればと思います。

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