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誰も見てない「お水取り」

毎年3月恒例の東大寺二月堂修二会、通称お水取り、

去年2018年は13日未明と、14日から15日にかけての行法を見学してきました。

13日未明の1時過ぎ頃には、
二月堂から西におりたところの「閼伽井屋」〔あかいや〕という建物の中にある、
 (「閼伽」は、サンスクリット語のアルギャ〔水、価値あるもの〕が語源との説有り。 )
「若狭井」と呼ばれる非公開の閼伽井から、二月堂本尊の十一面観音への御供えの水を汲み取る儀式が行われます。

東大寺修二会の通称が「お水取り」であるのは、この儀式が由来です。

実地に行ってみると、大変奇妙なことに気がつきました。

マスコミやネットでも、この点に触れているのを見たことがありません。

二月堂への長い石段を、修行の僧侶たち (練行衆) やお付きの人々が降りてきます。
閼伽井屋の前の辺りに寒いなか集まっている参観者たちと、
太い松明を抱えた寺男に先導された練行衆たちとの間、
石段の下のスペース (※1) に灯りを持った寺男たちが立ち、かがり火も焚かれ、
降りてくる僧侶たちの足元を照らしています。 

「灯りの人たちが先導して、閼伽井屋まで水を汲みに行くのか」
と思ったのですが、
そこから歩く気配がありません。

ただ煌々たる松明やかがり火と、スピーカーで拡大された楽の音と、
これも儀式の一部なのか、大きな笑い声も聞こえますが、
皆、閼伽井屋から20メートルほど南東のあたりで立ち止まったまま
数十分ほどの時間が過ぎます。

松明の空間とは対照的に、閼伽井屋の方は明かりが無く、
私はそちらにもチラチラと目を配ってましたが
白い狩衣のような衣装の人影が数人、松明のあたりから閼伽井屋に行き、引き返すのが
薄暗いなか、見えました。(※2)

(しかし、気づいたのは私だけであるかのごとく、
数十人の参観者でそちらを見ていた人はいなかったようで、
カメラを練行衆に向けている人々 [フラッシュなどの発光は禁止でしたが。] も、
暗く音も無い閼伽井屋へは目もくれていません。)

この人たちが先立ちとなって、いよいよ松明の一団が閼伽井屋へ入る「お水取り」が始まるのか、と思いきや、

なんと練行衆の方々は、それ以上は閼伽井屋へは近づかず、
そのままもと来た長い石段を登っていくではありませんか!

あれあれ、水は汲まないんですか?

あるいは、何回か練行衆さんが石段を登り下りしてから水を汲むハードな儀式なのか?

と内心混乱していると、
楽の音は止み、スピーカーは止まり、暗くなっていた一帯に照明が戻り、
もうすっかり儀式終了モード、参観者たちも解散モードとなってしまいました。
午前2時くらいになっていました。

いつの間にか「お水」は汲まれていたのでしょう。

おそらく、参観者たちが松明のところに賑やかに集まる練行衆の方々に目を向けている間に

あの白い衣装の2人が暗い閼伽井屋から静かに「お水取り」を行って、
その香水を松明の一団に届けたのだと、あとになって気づきました。


(随時更新。11日更新)


※1   
そのスペースのすこし北、二月堂と閼伽井屋の中間に
興成神社があり、
石段を登ったところ、二月堂の南東に飯道神社、
二月堂の北東には、閼伽井の水を若狭から送るという
遠敷明神 (おにゅうみょうじん) を祀った遠敷神社があります。
いずれの三社も二月堂の鎮守として、修二会の始めと終了時に練行衆が巡拝します。

※2
あとで調べると、3回閼伽井屋を出入りして灯りもつけずに、そのつど水を汲むとのこと。
天秤棒で桶を運ぶ人は3回、石段を往復していたのですが、
見ていた時は、それが閼伽井屋で汲まれた水を二月堂へ運んでいる動きだとは、先に記した通り、意識してなかったと思います。
ただ、全体の状況として、それぞれの運搬直前での閼伽井屋の方の人の動きは覚えていました。
1回目は私には、誰もいないように見え、
2回目は1人左へ歩いた感じがしました。儀式の前まで立ち話していた若い男性参観者さんにそれを言ったものの、特に返答も無く閼伽井屋の方に顔を向けさえしません。
3回目に白い狩衣か直衣風の衣装の3人ほどが歩くのを見ました。


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(20年12月更新)




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