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法華寺ー宇奈多理神社ー阿弥陀浄土院跡


法華寺に始まる旅の記録も発表していきます。


🔶  法華寺ー宇奈多理神社ー阿弥陀浄土院跡

実は、長屋王邸の前に法華寺に行き、本尊の国宝十一面観音と、
同じく国宝の阿弥陀三尊画像を久々に拝観しました。

📷 法華寺南東の門 (参詣口)

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📷 法華寺南門から見た本堂

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本尊の十一面観音は、見るアングルによって、体躯をひねったポーズがはっきりわかるのが関心を引きます。

閉じられていた向かって右の厨子は本尊のレプリカが入っており、
普段は本尊が非公開なので、そちらを公開しているとのこと。

本堂南東の一郭の局 (つぼね) に、また別の十一面観音像が立っています。
(初めて私が法華寺に参った時は、この像が「本尊の御前立ち」だったとの解説の記憶がありますが今回はその指摘が無く、) 

近くの宇奈多理神社にかつて観音堂が有り、
この像はその本尊だったとの解説でした。

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📷 法華寺収蔵庫を北東から見たところ 

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国宝の阿弥陀三尊画像 (※1) は
境内西南の収蔵庫に西向きに安置してました。
等身大以上のかなり大きな絵で、そのことだけでも結構インパクトがあり
特に中尊の大らかな、言わば日本風の「平面化の美しさ」を、
画面の大きさが引き立てています。

現状では三幅がワンセットの「三尊」形式になってますが
描き方などから、本来中尊の阿弥陀如来は一枚で独立した単尊の画像だったと思われます。

注目したのは、中尊膝下の雲の躍動的な描き方です。
その部分は中尊画像全体の正面向きの静謐でゆったりした古典的なタッチとは異なり、
浄土教の「来迎」の観念がブームとなった時の来迎図や彫像の雲に似ており、
その頃に描き足したものだろうと考えました。

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📷 宇奈多理神社の鳥居 (東向き)

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法華寺の門を出て住宅地を南へ抜けると、かつて法華寺の鎮守社だったという宇奈多理神社 (うなたりじんじゃ) があります。

以前この森に入った時は、明るい昼間にも関わらず、中の暗さに驚きましたが、
今回はそれほどには感じませんでした。
他の場所でもあることですが、樹木が減ってきているのかもしれません。

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本殿の周囲は北・東・西の3サイドを塀が、南正面は木製の門柵のある長屋門状の建物が囲んでいます。
中の空間には子供たちが相撲を取るという土俵があるので、開放される時もあるのでしょう。
法華寺か平城宮の礎石を転用したという手水石も見えるものの、
塀越しや柵越しでは全体像は写真に明確には撮れません。

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西の塀からだけでなく東の塀沿いにも何とか歩けることがわかり ( 今後の状況はわかりませんが ) 、
足元に気をつけつつ本殿東側の塀に沿って歩くと、
外から流造の美しい本殿 (室町時代 国の重要文化財) が、横からですが良く見えました。

📷 本殿

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📷 本殿東側面

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📷 本殿西側面

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東隣に、神仏習合の証と言うべき、
十一面観音と伝わる石像が立っているのも間近に見えました。

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この位置に十一面観音を祀るお堂があった名残の石仏と言われます。
( 廃仏毀釈で廃絶されたお堂から移されたのが、先ほど述べた法華寺本堂の南東にある木造の観音像です。)

かなり摩耗している上に、足元から大きくヒビが入っており、
これは廃仏毀釈の時に破損された傷なのではと思いました。

西方の生駒山の東山麓にある往馬大社では、お堂で十一面観音像が祀られ、
堂外からはっきり見えるほどの燈明に照らされた観音像を拝したことがあります。

経緯の違いが関心を引きますね。


📷 宇奈多理神社境内から東を望む

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「阿弥陀浄土院跡」は、かつて法華寺の子院で光明皇后の追悼儀式のために761年に創建され、浄土式とされる庭園がありましたが、
遺構は地中保存の形式で、見た目には広大な農業地と、その中に同院庭園のものと考えられる立石が一つ、南端に表示板と石碑があるのみです。

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名所旧跡めぐりの経験から、
ここを探し当てるのには時間がかかるだろうと思っていましたが、
「宇奈多利神社」の森のすぐ南東のかなり広い空き地がそれだとわかり、
ちょっと拍子抜けするくらいの気分でした。

神社の南に隣接する「東院庭園」を含めて、

(この辺りが光明皇后の父親、藤原不比等の邸宅だったことを考え合わせると、なおさら)
機能的にも相互に密接に関連した施設であろうと感じました。

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いまは遠目には古墳のようにも見える森である
宇奈多理神社の地形は、
かつて「島」だったという説が有ります。

東院庭園にある、
発掘調査により復元された、曲水状のせせらぎが
宇奈多理神社のある北側の方向から来ていることや

宇奈多理神社の地形が、周囲よりやや高くなっていること
などを思い出しました。

さらに、
そこに祀られていた「十一面観音」という存在自体が、
そもそも片手に水瓶を携えた姿であり、
( 東大寺の「お水取り」も「十一面観音」に水を捧げる行事であることなど、)
水との関わりが深く、

( そんな十一面観音を祀っていた宇奈多理神社の現状には
水との関連を感じさせるファクターが殆ど無いようですが、)
元々は「島」のごとく、水と何らかの関連があった存在と考えた方が自然な感じさえします。

ただ、お寺などによくある「弁天池」の中にある小島は
その名の通り、弁才天を祀ったケースが多く、
十一面観音を祀る島というのは、あったでしょうか。

むしろこの点に独特の宗教観を見るべきなのかもしれません。

たとえば、
東大寺二月堂の「お水取り」が十一面観音を祀りながらも、
「藤原氏と対立していた長屋王を追悼する」意図を持っていたとする見解は、

この藤原不比等邸跡の十一面観音の施設にも当てはまるかもしれません。

東大寺二月堂が、長屋王一族の葬られたとする生駒山の方を向いてるとすれば、

宇奈多理神社にあった十一面観音堂は、おそらく南を向き、
その方向には、すぐ目の前に
長屋王一族がそこで滅ぼされた邸宅がありました。


〔随時更新。20年12月,21年2月更新〕


(※1) 
🔍 文化庁「国指定文化財等データベース」
国宝法華寺阿弥陀三尊画像に関して、貼れる写真がないかと思い、文化庁の公式ページ ( http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/ ) から調べましたが、
検索は名称、材質等を正確に入力しないと出ず、
(「阿弥陀三尊画像」と書いた入力などでは出ませんでした。)
自分でリストをめくってこれに辿り着きました。なんと、写真は載ってません (19年3月)。
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp

〔関連リンク〕
🔍 法華寺公式ページ http://www.hokkeji-nara.jp/
🔍 阿弥陀浄土院 研究報告 https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2366/1/BB01552706_096_098.pdf
🔍 平城宮跡資料館公式ページ「東院庭園」 https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/page/toin.html

🔍 奈良新聞 ページ「法華寺阿弥陀三尊公開」に関する記事  https://www.nara-np.co.jp/news/20161028090826.html  

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(21年1月2月3月更新)

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