東大寺転害門・鏃 (矢尻) などのPhotograph

画像1 東大寺転害門 (てがいもん 天平時代 [奈良時代] 国宝 世界遺産の一部) 正面 (西面)
画像2 天平時代 (奈良時代) の八脚門で現存しているのは、この転害門と法隆寺東大門のみ。八脚門 (やつあしもん・はっきゃくもん 大棟 [おおむね] の直下に4本の本柱 [ほんばしら] が有り、前後の吹き放ちにそれぞれ4本の側柱 [がわばしら] が立ち、側柱が計8本あることからの名称)。
画像3 1872年 (明治5年) 撮影の写真 (横山松三郎撮影) が重文に指定されています。🔍 文化庁公式ページ https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/548893
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画像5 構造が分かりやすい側面 (北面)。法隆寺東大門と同じ「三つ棟造り」(下部写真にて後述) 「二重虹梁蟇股」 の構造 ( https://note.com/artandmovie/n/n006b05aebd73 )。 (二重虹梁蟇股 [にじゅうこうりょうかえるまた] / 虹梁 [こうりょう 虹の如くカーブした梁] が上下二段設置されています。蟇股 [かえるまた] とは梁や棟木等の横木と合わせて設置し、蛙の股に似た形に装飾化された部材)
画像6 南東 (東大寺境内) から見た図
画像7 東側の屋根裏を南側面から見た図。西側にも同じ形式で逆V字型の屋根裏が有って、一番高い所に棟木 (むなぎ) が通り、門全体の大棟はその二つの棟木の更に上に有ります (三棟造 みつむねづくり)。壁面では埋め込まれている蟇股も虹梁の上に単立しています。
画像8 西側の屋根裏を南側面から見た図。中央の一間には八幡神の神輿を置く為か (下写真にて後述)、 小組み格子の天井が張られています。
画像9 宇佐八幡から勧請 (かんじょう) され、東大寺大仏建立以来の鎮守と言われる八幡神の神輿が、例年10月5日の手向山八幡宮の「転害会」(てがいえ) の時に正面の床石にある四つの礎の上に置かれます。
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画像11 節が露出している南西角の側柱を土門拳が愛好しました。北西すぐの案内所の解説の方によると、風雪で磨耗していく木材をこの柱に関しては特に交換していないからとのこと。
画像12 中世の戦乱による矢弾の跡。
画像13 鏃 [やじり 矢尻] がそのまま残っている箇所もあります。
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画像15 基壇石や礎石に複数有る径数センチの陥没 (西面)。世界各地の遺跡で見られるこの種の陥没を盃状穴 (はいじょうけつ) と呼ぶとのこと。何らかの民間信仰の痕跡ではと言われます。
画像16 東面基壇にも盃状穴が複数あります。
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画像18 「史跡東大寺旧境内」の説明板。今の境内に含まれない範囲も遺跡として国の史跡指定。 / 記事写真2019年2月12日撮影 / 10日未明記事公開 21年8月22年11月更新 /📖🔁 ブログ内記事 (東大寺全国宝建築写真) https://note.com/artandmovie/n/n8f0622c17453

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