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背伸びする君に踏み台を

涙のような雨のふる夕方、楽屋口の見える廊下でした、弾けないギターのコードがひとつあるという話。

診断結果を元に。

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ぽっつり降り始めた雨粒がどんどん地面を濡らしていく頃。楽屋にすぐ戻れる距離、廊下で台本を黙読していた少年の手元に影が落ちた。周りは撮影の準備で慌ただしい。
すぐに動くと思った影は動かなかった。
「ふじくん」
「どうした」
「ギター弾ける?」
窓や地面を濡らしていく雨粒の音も耳に入れながら傾けると、唐突な問いが入ってくる。唐突なこと、関係ないことはよくあること。
「適当に触りはするけど、"弾け"ないよ。自分の好きなように弦を弾くだけ」
「そっか」
話しながらも追っていた文に加筆した方が良さそうな部分を見つけて校正の印をつけていく。返事に打たれた相槌にふと、ふじは相手に顔を向けた。
「自分の気のせいならいいんだけどさ、なんか落ち込んでる?」
「あたり」
「…聞くだけならできるよ。それでよければ隣に座りなよ」
向き合った瞬間にぱっと逸らされた顔で確信を持ちつつ問えば、相手はすんなり認める。聞いてほしいけど、葛藤が拭えなくて始めから「話を聞いてほしい」と言えなかったのだろう。話すまで相手がどう出てくるかは予測しかできない。話も聞くまでは判らない。
「ふじくん、やさしー」
「それはどうも」
「他の人だったら"聞くだけ"なんて言わないから、そゆとこほんと頼れる」
「自分はそれしかできないだけだよ。それでどうしたの」
茶化すように言いながら、ふじの直ぐそばへ太腿に手を添えるようにスカートを押さえて座る。肩が触れるか触れないかぐらいの距離。
ちらと隣を改めて見てからふじはまた台本に視線を戻しながら返事をして、自分からは内容を指摘せずに話し掛ける。
小さく息の吐く音が雨粒に紛れて聞こえた。
「ほんとのお兄ちゃんじゃないけど、仲良くしてた年上の男の子がいたの」
「うん」
「そのお兄ちゃんがギター弾いてて、でももう聞けない」
「うん」
「せめて音だけは忘れたくなくて練習したんだけど、エフマイナーが弾けなくて」
感情が乗って重めの空気が彼女の口から出る。台本越しに隣をうっすら見れば、曲げた膝の上に顎を乗せるようにして丸まっているせいで小さな体がより小さくふじには見えた。
「弾けたら…忘れないってわけじゃないのはわかってる。でも、少しでも長く覚えていたいの」
今度は膝に額をつけて静かに話す。どちらかといえば、口にした、と言えるくらいには空気にそっと音を置いているような出し方だった。
「焦ると余計に忘れてしまうよ。聴覚の次に視覚らしいからさ」
台本を閉じてふじは前を見る。スタッフが慌ただしく機材と共に往来を繰り返していた。
「"覚えていたい"って思いがあるなら弾けるいつかまで残るよ」
「いつか…」
「何をいつできるかはそれぞれのタイミングだから。でも、練習してるなら弾ける時があるってこと。できない、なんて断定した未来が据えられているわけじゃないよ」
むしろ、できないのが曖昧。
そう区切ると、ふじは彼女に顔を向けて、きゅっと瞼と口を閉じた顔をする。同時に両手を広げて肩を竦める様に、彼女はあっけに取られる。
「お待たせしました、藤さん、室井さん来てください」
「はい」
呼びかけに二人とも反応してすぐに返す。室井はまた藤に顔を向けると、目をきゅっと細めて笑った。
「弾けなくてもいいから、今度いっしょに弾こ」
「はいはい」
藤も笑い返して、室井から差し出された手に引かれて撮影場所に向かう。
ゆっくりと降る雨の雲が薄くなったのか、暮れかけの橙がおぼろげに混ざっているような色に外が染まっていた。

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