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シンデレラの話 〜幸運の尻尾を見つけること〜

シンデレラに馴染みのない私が、シンデレラから思うことを書いてみました。結局は自分思考の話に落ち着いたけど、その「きっかけ」を与えてくれた話…とでも言いましょうか。

シンデレラのアトラクション(2年前の回想)

アトラクションのひとつに「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」があります。シンデレラのストーリー展示を主としたもの。

シンデレラのストーリーは既にご存知の方も多いでしょう。ざっくりだけど、流れは大体こんな感じですね。

・幼少期に両親を亡くして、義母と連れ子である姉たちに虐められる。
・城で舞踏会が開かれて、魔法使いの力を借りながらも参加する。
・12時になり、シンデレラが城から立ち去る。ガラスの靴(片方)を落とす。
・ガラスの靴を手掛かりにシンデレラを見つけ出し、妃として迎えられる。

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2年前に来た時かな、偶然だけどココに立ち寄ったんですよ。その際に、改めてシンデレラの話を見て、スゲー!と思ったワケです。

シンデレラは、いつの日かきっと夢がかない、幸せになれると信じていました。

シンデレラが両親を完全に失い、義母と連れ子(姉たち)が本性を表して、一方的に虐められる時期ですね。

自分の明るい未来を想像するのに、手段とか根拠は要らないんだな…

当時は失意のどん底から少しずつ抜け出し始めた時期で、いま振り返ると、自分でそう受け止めたんだと思います。

何かイメージするにしても、論理ベースで突き詰めてしまう。説明できる形に落とし込めないと、納得できないんですよ。不安にしかないんですよ。もちろん、この思考があったから、大学の研究も頑張れた。ただ、当時の自分には、彼女は対極にいるような人だと思えた。

シンデレラと自分思考について

どんなに酷い仕打ちを受けても、幸せになる未来を信じた。考えてみると、彼女は常に自分と自分の未来に意識を向けて、物事を見ていたんだなと。もちろん、自分勝手な振る舞いでOKかと言えば、絶対に違うでしょう。どちらかと言えば、それは虐めていた義母と姉たち。

ただ、あまりに自分が犠牲になっているという感覚は、次第に被害者意識に発展してしまい、最終的には加害者側に転じてしまう。自分で自分を傷つけているワケですからね。加害者は自分自身で、被害者が自分から他人にすり替わっただけ。

自分はどうしたいのか?・自分はどう在りたいのか?

この類の問いは、すごく根本的で、生き方の根幹でもあると思います。そこから考え直してみると、次の一手が見えてくるかもしれない。これは、自分のように論理ベースで考えた場合の話です。

シンデレラの場合は、魔法使いとカボチャの馬車のシーンのように、ジャストタイミングに巡り会えた。出会いは偶然の積み重ねでもあるので、その偶然を良い意味で捉えられるかどうか。そのために必要なマインドなのかもしれません。

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個人的な感想(幸運の尻尾について)

ことわざに「幸運の神様には前髪しかない」があります(何となく調べてたら出てきた)。チャンスは瞬間的に目の前を走り抜けるので、これを捕まえるには前髪をつかむしかない。 通り過ぎた後を追いかけても、後ろ髪が無いので捕まえられない。そんな意味だそうです。

シンデレラのアトラクションも「フェアリーテイル」と付いているだけに、幸運のタイミングは何度も来ない。ただ、ハンターのごとく「前髪」を掴めるように身構える必要もなく、偶然レベルでも巡り会えた時に「尻尾(=テイル)」をきちんと掴みに行くこと(少し強引な解釈かもしれないけど)。

そのためにも、自分の未来(在り方)を決めるくらいはしておきましょう、ということかな。2年前はそれができなかった。周りの評価(他人思考)に支配されていた部分が多過ぎたので。いまこうしてブログを書いているのも、自分思考の一環ではありますからね!!

注記:乗せている画像ですが、投稿しても大丈夫とのことでした(ありがとうございます!)。シンデレラ城は、上手く撮れずネットから拝借しました。



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