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細川周平編著『音と耳から考える』序文

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その1

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その1

2021年10月25日に発売する細川周平編著『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から、編者による序文を公開します。本の構成に沿って全10部に分けています。本の詳細はアルテスパブリッシングのサイトをご覧ください。

「音故知新 音と耳からの出発」

 「おと(音)」の語を辞書で引くと「物の振動によって生じた音波を、聴覚器官が感じとったもの」とある(『デジタル大辞泉』)。物、振動、音波、聴

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その2

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その2

 第一部「響きを聴く─認識と思索」には、音楽の外へ関心を拡げる音研究の基本姿勢を知るのにふさわしい四論文を集めた。いずれも民族音楽学や民俗学で周辺的な扱いしか受けてこなかった方法論と対象を試している。共通の基盤が『鳥になった少年』(平凡社、一九八八)の著者、音楽人類学者のスティーヴン・フェルドのいう「音識論acoustemology」にあると私は考えている(「音響認識論」という従来の訳語は、造語の

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その3

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その3

 第二部「聞こえてくる音」は、ヨーロッパの伝統的な「音楽」観を拡張したひとつの発端であるサウンドスケープ論(マリー・シェーファー『世界の調律』平凡社、一九八六)の最近の展開を四つの章から見渡す。発案者であるカナダの作曲家は、聴かせる目的で人が作り、別の人が意図して聴く〈音楽〉ではなく、人間以外の発音体や、意図せず人が作り、また偶発的に聞く/聞かされる日常的な〈音〉を体系化し、その意味を考え、できれ

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その4

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その4

 第三部「戦前期昭和の音響メディア」は、民族音楽学、トーキー、ラジオの誕生を同時代の関連した出来事と捉え、複製技術のインパクトの大きさについて改めて考える。この時期の音楽や映像メディアの革新についてはさんざん議論されてきたが、ここでは音楽学者の現地録音、音響学者の視聴覚体験、大阪のラジオ番組という切り口から、時空間を超えて音を記録する、再現する、伝達するテクノロジーの初期の利用やイデオロギーについ

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その5

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その5

 第四部「音が作る共同体」は、対面関係の集団や地域で作られ聴かれる音を主題としている。第三部で主題とした複製技術に関わるが、精神病院、温泉地、農村に寄稿者は向かい、その文脈はだいぶ違う。聴き手は概して顔見知り同士で(少なくとも共通の目的でその場にいて)、いろいろなレベルで閉じた空間(病院、観光地、村)を共有している。近くの他人と同時に同じ音源を聴く体験が重要で、それぞれ治療、慰安、連絡の実用に供し

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その6

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その6

 第五部「芸能化の文脈─ラッパと太鼓」は第四部と反対に、元は空間限定だった民俗的な演技演奏が、共同体を超えていくベクトルを話題にする。具体的には、合図や儀式の実用的な音を、聴衆を意識した公のパフォーマンスに作り替える文脈で、演じる側と聴く側の美的欲求がどう生まれ、かみ合い、芸能として再編成されたのか、という問いである。聞こえていた音が聴く音に変わる際、ある意味がそぎ落とされ別の意味が付け加えられる

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その7

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その7

 第六部「鼓膜の拡張─音響テクノロジーの考古学」以降は、主にテクノロジーを介した音を扱い、まず一九世紀半ばに発明家の間で湧きあがった耳の補助具についての論をここに集める。この分野ではフリードリヒ・キットラーの『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(筑摩書房、一九九九)、ジョナサン・スターンの『聞こえくる過去』(インスクリプト、二〇一五)が画期的で、歴史に残った完成品から見れば失敗のように見えて

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その8

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その8

 第七部「ステレオの時代─聴く、録る、売る」は、日本でレコード盤とオーディオ装置が中産階級の生活に浸透した一九六〇年代から七〇年代に関する三つのモノグラフを集めている。その時代、ステレオはハイファイと並んで、オーディオ世界の輝けるキーワードだった。機械録音から電気録音へという三、四〇年前の転換期と同じく、新しい技術には反対者もいて、録音の音像に関する議論になった。またステレオ録音を可能にしたオープ

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その9

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その9

 第八部「物語世界論への挑戦」は、映画とゲームのふたつの映像の理論で支配的だった物語世界diegesisの概念を根本から問い直す論考を並べている。両者を読み比べると、一九六〇年代の映画記号学が開拓した物語分析のパラダイムが、半世紀ぶりに革新されつつある感を得る。
 長門論文は、シュルレアリズム的映画作家として知られるヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』が、映像内の世界、映像とつながる外の世界、映

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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その10

『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その10

 第一〇部「デジタル・ミュージッキング」は、コンピュータによる音楽作りについて三人の実践家が経験を語っている。ミュージッキングとは「音楽する」ことに関わるすべての実践を指すクリストファー・スモールの造語で(『ミュージッキング』水声社、二〇一一)、コンピュータはそれまでの楽器や楽譜、合奏の人間関係や場所とは根本的に異なる行為を前提とする。既に半世紀近い歴史を持ち、性能の向上とともに要求される素養も発

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