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二人のテルさん


二人のテルさん

 私たち夫婦には互いに名前の似た母がいます。
「テル」と「テル子」です。

明治生まれと大正生まれで、年齢はひとまわり違います。二人のテルさんは、晩年ともに認知症を患い、それぞれには、さまざまな思いや葛藤の入り混じった家族との日々がありました。

 一人は、妻方の母である「テル」さんです。
「いやしまいなおし」の主人公のモデルになった人です。地域のカラオケ倶楽部に通うくらい歌が好きで、認知症を患った後も、ひとつの歌を忘れず、亡くなるまで口ずさんでいました。自分の思いをあまり表に出さない、人に優しい女性でした。医科大学付属の看護学校に首席で入学し、首席で卒業したのち、総婦長という多忙な立場にあっても、娘たちの服は手作りしてくれたという努力の人でした。私は甘辛くて艶々としたテルさんの「ごぼうのきんぴら」が大好きで、よくリクエストしたものでした。


もう一人のテルさん

 もう一人のテルさんは私の母 「テル子」さんです。
テルさんのおふくろの味が「きんぴら」なら、テル子さんのそれは、ギュッと絞った「キュウリ」のぬか漬けが浮かんで来ます。ちりめんじゃこを散らして生醤油で食べた茶漬けが忘れられません。

 英国のエリザベス女王と同い歳であったと、女王崩御の際に知りました。「いやしまいなおし」のテルさん同様、実母を早くに失くしました。養女に出たテル子さんは、戦後の貧しい暮らしの中、養父の勧める縁談を承諾し、農家に嫁ぎ、私を生み育ててくれました。

 長男の嫁という立場のテル子さんにとって、田舎の暮らしは苦労の多い日々の連続であったろうと想像します。私はテル子さんの涙を知りません。しかし、きっと誰もいない所で、亡くなった母を思い出しながら、ひっそりと涙を流していたのだろうと思います。

 私がまだ子供だった頃、「また学校の先生に間違えられた」と、テル子さんは何度かそう語ったことがありました。その顔は嬉しそうで、声は弾んで聞こえました。家庭の事情で叶わなかった学びへの憧れをずっと持ち続けた女性でした。

 しかし時に「思い」が我慢を超えて、私の前で溢れ出てしまうなど、気性の激しい一面もありました。我が子への読み書きに対する教育には厳格で、左利きの私は、鉛筆の持ち方から正月の書初めまで、厳しく躾けられました。今となってはいい思い出ですが、何度も書初めの墨が私の涙で滲むこともありました。

 気丈だったテル子さんの「本心」はなんであったのだろう。ある夜、テル子さんは私の夢の中でこう話しました。「寂しかった」と。その思いを受け止めた私は、初めて、厳しかった母を恨んだことを許してほしいと願いました。


「いやしまいなおし」より 『響き合う心』

母を恋うる歌

 長女に生まれて、早くに実母を亡くしたこと、母のいない寂しさを人には見せず、心の奥に仕舞い込んで、なお一生懸命に大人になろうとしてきたところは、二人のテルさんに共通することでした。今はすでにお浄土へ還っていった二人ですが、92歳と88歳の天寿を全うすることができました。

 作品「いやしまいなおし」は、二人の我らが母テルさんを恋うる歌であります。いっぱいいっぱい溢れる愛をもらった二人のテルさんに、深い感謝を捧げたいと思います。

なお本文は、「いやしまいなおしー認知症テルさんの本心ー」あとがきより引用(一部修正)しました。


うちが死ぬ時歌う「うた」は何やろう。
お母ちゃんは「うそ」言わはった。
「なんで?」うちは尋ねた。
「いやしまいなおしや」
お母ちゃんは今まで聞いたことがない難しいことば
言わはった・・・・・・
喜びも、悲しびも、 みんな生きたい。

認知症介護を底流に、三世代交流が紡ぐ
京都ノスタルジー
絵本「いやしまいなおし」 雷無良寿 作・絵


最後までお読みいただきありがとうございます。
冒頭の写真はまだ蕾硬い我が庭のミモザです。
でも春はもう手の届くところまでやってきているはずです。

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