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2020年天皇賞・秋の回顧と訪れたサードインパクト

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 令和2年の天皇賞・秋が終わり、アーモンドアイが遂に日本競馬界の悲願であったG18勝目を飾った。彼の絶対皇帝シンボリルドルフや、英雄ディープインパクトですら成し得なかったG18勝目という大いなる試練を乗り越えたことに対しては、多大な賛辞と共に批判の声も降り掛かるに違いない。その批判とはとどのつまり、牝馬が最小変則ローテーションで主に東京競馬場にて行われたG1に挑み、その壁を乗り越えたことは決して王道を征く旅程とは言えなかったという批判だ。恐らく少なくない数の人(特に古くから競馬を愛する人達)が内心思っているであろうこの批判に対して、これから反対意見を先ず述べ、そこから見えてくる日本競馬界を取り巻く問題点についても言及してみたい。

そもそも、競馬というギャンブルの本質とは何かについて検討する。

 競馬とは、一体誰のためのものであろうか?馬主か?ベットするファン?それともJRAのためのものだろうか。自分の考えるその答えは、当然それら全てであり、競馬の本質とは伝統と革新の綱引きであると考える。伝統の意味するものは、競馬とは馬主のためのものであろうとする力の方向性であり、革新とは競馬とはファンのためのものであろうとする力の方向性で、JRAはそれら両方の力の誠実なる裁定者でなければならない。そのどちらか一方だけが強すぎても、競馬というスポーツの寿命を縮めることになるのは先ず間違いないであろう。

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 サンデーサイレンス

 革新という意味においては、サンデーサイレンスという日本競馬の始祖が極東に降り立ったことは、日本競馬にとって真に革新であったし、以後の歴史を鑑みれば、ファーストインパクトとも言えるものであった。事実、革新がファンのためのものであるという文脈においては、サンデーサイレンスの第一世代が隆盛を極めた頃、競馬というギャンブルの売り上げは今より多かった。そして、2002年、ディープインパクトという名の英雄がその偉大なる始祖の子種を受けてこの世に生を受けた。ディープインパクトの誕生は、深い衝撃であると同時に、日本競馬界におけるセカンドインパクトであったと言えよう。

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 ディープインパクト

 その後、日本の馬主と生産者達はその偉大なる血脈を如何に後世に受け継ぐかという点において、躍起になった。そしてこの地点から、伝統と革新のバランスが崩れ始める。馬主や生産者達は、その血を如何にアップデートして後世に残すかという点において盲目になってしまったせいで、綱引きにおける伝統の力の占めるウェイトが高まってしまい、サンデーサイレンス第二世代における競馬の売り上げは現実問題、大きく落ち込んでしまった。ここからは私見だが、これは決して、それらを司るべき裁定者たるJRAの犯したミスではない。サンデーサイレンスという偉大なる始祖の血が飽和しないよう、セントサイモンの悲劇を日本では決して起こさぬよう採った苦肉の策であったと自分は考える。そして、その努力は見事結実し、2020年、アーモンドアイがG18勝を成し遂げ、無敗の三冠牡馬と牝馬が同時にこの世に生まれ落ちた。彼らサンデーサイレンス第三世代の誕生こそ、未来からの視点を得た時、恐らくサードインパクトであり、今後の日本競馬を照らす道標となることであろう。

 話は少し変わるが、サンデーサイレンス第三世代を今後支えていくに違いないディープインパクトの後継種牡馬について、言及しておきたい。

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 コントレイル

その筆頭となるのが、無敗の三冠牡馬コントレイルであることは恐らく疑う余地のない所であろう。しかし、コントレイルだけでは駄目なのだ。何が駄目かといえば、コントレイルだけでは、ディープインパクトの血、換言すれば本質的な能力を完全には後世に受け継げないのだ。何故ならば、コントレイルのお母さんは米国血統の粋の様な血統構成をしている為、コントレイルの配合相手を考えた際、純粋な米国血統の繁殖牝馬には付けづらいという不安が浮上する。恐らくコントレイルの繁殖相手としては、当初は無難に、ヨーロッパ牝系がメインとなるであろう。(余談だが、その結果コントレイルの直仔として先ず成功するのは社台ファーム産馬だと思われる。)

そして、米国牝馬への種付けを考えた時にコントレイルの生む間隙を埋める種馬として、フィエールマンの存在が浮上する。

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 フィエールマン

フィエールマンは、母がフランス牝系である。ディープインパクトとフランス牝系との配合で、それほど強いインブリードも持たずに成功した競走馬はこれまで誕生しなかった。コントレイルがディープインパクトの欧州的な末脚の伸びに米国的なスピードの持続力を掛け算して誕生した怪物だとするならば、フィエールマンはディープインパクトの欧州的な末脚にさらに母父系のニジンスキーから発生する溜めの効く末脚を足して生まれた怪物だといえよう。コントレイルが両親から受け継いだ能力を2×2で4にしているとするならば、フィエールマンは2+2で4にしているイメージだ。フィエールマンこそ、ディープインパクトの本質的な部分の能力をより色濃く受け継いでいると考える。それをこの天皇賞・秋で自分は確信した。

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 アーモンドアイ

 話を戻すと、競馬というギャンブルの本質が、伝統と革新の綱引きであると考えるならば、アーモンドアイの存在から日本現代競馬の問題点が浮き彫りとなる。その問題点とは、主要な馬をクラブが保有していることから来る多様性の欠如である。つまりは、主要な馬をクラブが保有していることから自分達のクラブが保有している他の有力馬を回避させ、任意の有力馬がG1を取る可能性を自力で上げることが可能であるという問題点である。アーモンドアイもこの例に漏れず、シルクホースレーシングは他にも有力馬を多数抱えているにも関わらず、天皇賞・秋の出走頭数は結果として僅か12頭であった。この問題点の更に根深い所は、アーモンドアイの様な強い牝馬が繁殖に入った際、その仔の所有権を同じクラブが優先的に得るという点である。これが極まるとひいては、馬主の多様性と、生産牧場の多様性、繁殖牝馬の多様性の欠如を招くと考える。

 一方で、アーモンドアイは伝統が起こした革新への内なる起爆剤とも感じられる。つまりは、これまでの停滞した伝統を、本来伝統サイドに属する筈の厩舎や調教師やクラブ関係者らが、G17勝の壁を打ち破ることで、再び円環させんとす、内から外への革新の指向性をも感じ取ることが出来るということだ。

そして、奇跡的にも壁の破壊と時を同じくして、革新の種は芽吹き、無敗のクラシック三冠馬たるコントレイルとデアリングタクトは共にノーザンファーム以外の生産者から誕生した。

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 結論として、アーモンドアイの快挙により、日本競馬の方向性が伝統から革新へと揺り戻されることをファンは大いに、素直に喜ぶべきだと考える。一方で、旧来的な勢力が決して王道とは言えないかもしれない方法でG18勝目を成し遂げた事のツケとして、アーモンドアイは新世代の二頭、第三世代の厩舎と調教師が育てた二頭と、世代交代のラグナロクを戦う義務があると個人的には強く感じるし、ファンも恐らくは、それを望んでいることであろう。

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そして、その競馬界全体から託された期待に応えられるか否かは、これからの時代、特に若い世代の競馬ファンを中心として、ファンの力にかかっているし、それは競馬を愛する者としての責務であり、サードインパクト後の我々に課せられた試練とも言えるのかもしれない。

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