大学生活@スウェーデンが始まりました

スウェーデンでは8月の下旬(私の学校は8月30日から、彼の学校はその1週前から)から新学期が始まり、大学での勉強(修士)がスタートしました。今回はそのことについて書こうと思います。
時間がないので、読みにくい記事になると思いますが、ご容赦を。

大学生としてのこれまでの生活の流れ

Arrival Day
8月の半ばに'Arrival Day'なるものがあり、一度、大学に行く。文字通り、空港(アーランダ)から大学までシャトルバスが出ており、留学生は同日にアパートの鍵の引き渡しとかがある。その他、大学のオンラインポータルのIDやウェルカムパック(水筒、簡易ナップザック等)が配布される。

その後、入学直前(確か27日とか)にレセプションがあったが、今回はオンラインということで、当然存在感は薄く、私は見逃したが、学長とかからのお言葉があった模様。

ガイダンス(8月30日)
これはプログラム単位のもので、これがあるプログラムもあれば、なかったプログラムもあった模様。
簡単に言うと、顔合わせ、大学での授業についての助言、授業の説明、在校生の論文発表、という感じで、1日掛りのもの。
私のプログラムはこじんまりとしたもの(20人以下)で全て対面で、かつ、'International Masters Programme'なので、かなり色々と手厚い・丁寧な感じを受けた。そもそも、このプログラムがまだ比較的新しいらしい。何も知らずに入学してきたな、と思った(そもそも私の場合、ストックホルム大学か、ウプサラ大学かしか、地理的・専攻的に選択肢はなかったというのもあるけど)。

8月31日以降
ガイダンスも済み、授業に入る。大体、週に2~3日大学に通学、一コマは約2時間(途中に休憩が入ること多し)で、一日に多くても二コマ、大抵は一コマ、という感じ。
Lecture(講義)、Seminar(議論)、Workshop(?)で、授業によって比率は違うものの、LectureとSeminarを交互に受けるような感じである。課題(assignment)ももちろん定期的に出される。

授業の話

私の専攻は'教育社会学(Sociology of Education)'なのだが、この単語を聞いてどのような授業を思い浮かべるだろうか。教育の社会に与える影響?国境を越えた教育・学生移動?教授法?
これらは全部、イエスであり、シラバスにも書かれていた(気がする)。
ところが初日にいきなり出てきたのは…

マルクス、デカルト、実証主義、マックスウェーバー、subjectivism、objectivism、、、

「あったりまえじゃーん」って言われそうな気もするが、私はこれらに対する心構えが全くできていなかった。
幸い、義務教育+高校でやったことはあるので、おおよその話は分かる、先生の英語も聞き取りやすいので、話は追うことはできた(と思う)。

ただ、おおよその内容を知っているのだから、ある意味それらは理解できて当たり前、というか、本当のコアな部分は講義にはないのでは、というのを課題が出されて初めて感じることとなった。

いくつかのお題が出され、その中から好きなものを選んで、1~2ページのエッセーを書くことになったのだが、いざ、お題を読むと講義に付随するLiterature抜きでは書けない。講義はあくまで概要だけを語ってくれるのであって、本質は自分で追求することが求められている気がする。

前に彼と話していて「大学は学生に鞭を打って読書をさせる所。人間は結局、怠け者だからそういう場所が必要。」と言ってたが、まあ、確かにそうかもしれない。

いざ、読み始めても、マックスウェーバーの文章なんて、小説のような文体で書かれているわけではないので、すらすら読めるわけではない。
ましてやディスタンクシオンを読み終わったらすぐにエッセーの内容が思いつくわけでもない。
読んで、重要だと思うもの、必要な要素、関連性・相違点を考え、必要な部分を読み直す、自分なりの論理的な解釈をまとめて、英語にする、ついでに書式(APA)を整える。そしてやっと1~2ページのエッセーが仕上がるのだ。そしてそのエッセーは次回のセミナーで口頭で説明できなくてはいけない。

一番最初の課題は、いざワードを開いて書こうとしても、何を書いていいかわからなかった。
学生時代にTimeを読んで、クリティカルシンキングをして、英語でまとめる、という授業を取っていたのだから、わからないはずがない、とは思うものの、思い出せない。つまり、わからない。
分からなさ過ぎて、彼に「恥ずかしながらエッセーの書き方がわからない…書き方教えて」といって、教えてもらった。

数日間かけて、何とかこれなら出せるというものを仕上げて、締め切りの一時間前(23時くらい)に提出する。

翌日のセミナー。
「それでは最初にしたい人?」
「…」(教室シーン)
(生徒)「誰も話さないから私話しますね。私のペーパーでは…」

彼女の話を聞いて、自分のペーパーが大きく的は反れていなさそうと知ってほっとする。

「次に話したい人?」

話したいわけではないが、早めに話したほうがネタは尽きないので手を挙げて話し始める。だらだらした話方になってしまったのが良くなかったが、その後、他の生徒にコメントも出来たので、まずまずの出だしか。。

というか、全力でこの状態なので、ダメだったとしても仕方ない。
もし単位を落とすことになったとしても、全力で頑張ったからいいのだ、再履修・再提出・再試験をすればいいのだ、と思う。
全力を尽くすことがとにかく大事。

ということで、大学が始まってから、常に読書に追われている。
この記事の冒頭で、読みにくいかもしれないがご容赦を、、といったのはこのブログを遂行している暇はないからだ。

ちなみにクラスメートは心優しくて、それでいて優秀だ。社会人経験の人、学部を終えてすぐに入学した人、社会学の背景がある人、ない人。
背景は違っても、みんなどこでその知識を仕入れてきたのか気になるくらい、知識も考え方も豊かだ。
そんなクラスメートに負けじと、私も地道に、読みにくい文献を読み続ける。

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