修論とその後

最後からの更新からだいぶ経ってしまいました。下書きは11月で止まっていたみたい。本当にばたばたしていて、3回目の春になってしまいました。今回はちょっとした振り返り。

修論について
ここまで苦しむとは思いもよらなかったというのが、一番最初に出てくる感想。theoretical frameworkそのものも、インタビューの結果と絡めて導き出す結論も、そもそもの英語も、最後の最後までぎりぎりまで粘ってなんとか自分で納得のいくものに仕上がった感じ。ほぼ毎日、朝から晩までパソコンに向かう日が続き、精神的に追い詰められた。Supervisorとのやりとりもはっきり言って、馬が合っていなかったこともさらに苦しめた。
だから、Masterが終わって本当にほっとしたし、Masterが終わっても全然、英語ができるようにならなかったし、劣等感をましましにした感じになった。そもそも、学部で全然違う科目を専攻していたのに、修士でいきなり新しい分野を勉強するっていうのが無理があるよね、って言いたいけれど、本当に優秀な同級生の論文を読むと思考がそもそも違うというか、私が全然知識がないとか、もうレベルが違うんですよね。日本だと大学(学部)の所属が優劣を区別するかのような扱いだけれど、知識があったうえで、理論に当てはめて、それを効果的に使えなきゃだめなんだなあと。。
修論は特にトラウマ笑、それでもbourdieuの基本的なコンセプトは多少、説明できるようになったし、社会学やって面白い、というのは良かった。

仕事について
せっかく来たからにはこっちの同業で働く経験がしてみたい!ということで、インターンシップなり、パートタイムのポジションなりにちょいちょい出してみました。あとは学生で収入がないのも精神的につらかったので。こちらで学生期間、無収入の期間を過ごしてみて、いかに仕事が大切かということが身に沁みました。結婚を機に退職って友人もいたけれど、仕事は自分を自分でいさせてくれるのだよと。
それで、面接までこぎつけたのは日本の機関のいわゆるカウンターパート(A)と別の同業者(B)だけでした。後になって、CVやpersonal letterの書き方がだめだめだったな(もっとわかりやすく書けた)と思っています。
Aは面接がスウェーデン語なのもあって、ばっちり準備していきました。自分ではよく答えられたと思ったけれどもこちらは1次面接でだめに。Aは1番興味を持っていたところで、インターンの交渉もしたことがあったところでした。
Bはそういえば出していたなーくらいにしか覚えておらず(そもそもAから面接の連絡があって舞い上がっていた)、面接には呼ばれないだろうと思っていたので、電話があった時はかなりびっくりしました。詳しい話は省きますが、就活はやはり運だよな。と思ったのでした。
実際に働いてみての感想は、同業者ならではの共通点があるなと思ったり、スウェーデンで働くというと、ワークライフバランス満点、bureaucraticじゃない、と思いがちですが、実はそうでもないんですよね、私がすごくJapaneseすぎるからかもしれませんが(働いていると自分、かなりJapaneseすぎると思う瞬間が結構ある)。。柔軟な働き方が認められるのはそうですが、裏を返すと柔軟性がこちらにも求められると思います。あと、担当業務の割り当てが人単位なので、私の業務は誰もわからないということもありますし、責任が自分だけにずっしり乗っかっている感じも最初は変な感じでした。
日本の細かいところにこだわる、というのはすごく海外で評価されるところで、日本の働き方は一般的に批判されがちだけれど、良い点もたくさんあるのだと思いました。正確さと効率化・簡易化のバランスって難しいなと。

スウェーデン語について
最初の内は、レベルも簡単だったからか、大学と並行していても全然、問題なかったけれど、どんどんレベルが上がっていくにつれて、かなりきつかった。。そもそも、修士と語学をそれぞれ100%のスピードでとるのだから、かなり無理があったなと。でも、修士が終わって、すぐに曲がりなりにもスウェーデン語で面接までたどり着けたのは一つの自信になった。
でも語学って、英語もそうだけれど、本当に終わりがないよね。スウェーデン語はまだまだ中級レベルだから、頑張れば伸びると思うけれど、それでも、しんどい。授業を取っていて、明らかに目に見えてついていけていない時、さらに自分が100%で頑張れていないって知っているから、その罪悪感とも相まって、きつい。伸びていないって、誰の目にも明らかで、相手すら気まずくさせてしまう。これを書いていて、改めて頑張ろうと思いました。

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