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クレモナのバイオリン物語

バイオリンは、貴人のような佇まいで、近寄り難き美しさ。なのに、惹きつけられて、魅入ってしまう。

興味はあるけど、どこから入っていけば分からない。無縁のまま、いままで過ごしてきたけど、去年訪れた職人展示会で、バイオリンの職人に出会ってから、俄然と「知りたい」という欲求にとらわれた。

職人の仕事が「どこまでも手で作る」ということは、頭でわかっているはず。でも、やっぱり、渦巻きの曲線部分でさえも、手で彫る姿に、目を奪われた。

バイオリンのわたしの知識といえば、名匠アントニオ・ストラディヴァリ。彼の故郷がクレモナで、この街から、名器と呼ばれるバイオリンを始めとする弦楽器が生まれた、ということくらい。

アントニオ・ストラディヴァリ
絵葉書より

クレモナへ行けば、ちょっとだけでも、バイオリンに近づけるかもしれない。たまたま、同じ方向に用事があったのに便乗して、街を訪れてきた。

クレモナのパトロン

小さな街クレモナ。中心街を歩いていると、そこ、かしこに、「バイオリン工房(Bottega di Liutaio)」の看板が目につき、小さな工房には、道具と、木と、バイオリンが並べられていて、まるで、おとぎの世界。

バイオリン博物館というものがあり、歴史的にも価値のある名器が、ずらりと展示されていて、壮観。

バイオリン博物館

いまでこそ、クレモナ生まれの名器を、このクレモナで見ることができますが、時の移り変わりとともに、世界へ四散してしまい、1900年代後半まで、街には1挺(ちょう)もなかったんです。

1961年12月19日の朝刊の見出し。

Cremona ha uno Stradivari.
クレモナが、1挺のストラディヴァリを所有しました。

前日の12月18日に、ミラノにおいて、正式にクレモナが所有する旨が公文書に記載されましたが、この日は、偶然にもアントニオ・ストラディヴァリが224年前に他界した日、命日に当たります。

バイオリン博物館

功労者は、クレモナ観光局長のアルフレッド・プエラリ(Alfredo Puerari)局長。世界に散らばっていた楽器を呼び戻すために、尽力を注いだ人物です。

最初の記念すべき1挺は 1715 Joachim と名のつけられたストラディヴァリ。

クモナナ街の所有になってから、その名を「クレモネーゼ(Cremonese)」と改名され、現在に至ります。

クレモネーゼとは、クレモナ人とか、クレモナの。という意味で、クレモナ街のシンボルとなります。

1966年
爽やかな初夏を思わせる5月15日の朝刊に、
こんな見出しが飛び込んできます。

Ecco a voi L'Andrea Amati anno 1566
ほら、ここに、1566年のアンドレア・アマティがありますよ。

ここでもまた、アルフレッド・プエラリ(Alfredo Puerari)観光局長が活躍します。

楽器と弓を専門とし、自らもコレクターとして知られていた、ニューヨークにあったレンバート・ヴリッツァー(Rembert Wurlitzer)社所有のものを、ストラディヴァリの第一研究者で、ヴリッツァー社の修復家だった、シモーネ・フェルナンド・サッコーニ氏により、クレモナに運ばれます。

このバイオリンは、1500年代に活躍したクレモナのバイオリン職人アンドレア・アマティによる、シャルル9世(Carlo IX)。

フランス国王の宮廷のために製作されたため、そう呼ばれている、装飾も美しい名器です。

サッコーニ氏が運んだバイオリンは、もうひとつありました。

アンドレア・アマティの姪にあたる、ニコロ・アマティが製作したもので、Hammerleと呼ばれるものです。

2挺の名器は、すんなりとクレモナ市民の手に渡ったわけではありません。

 所有者であった、レンバート・ヴリッツァー氏に、そもそも、バイオリンを手放す意思はなく、交渉は難航し、何度も暗礁に乗り上げていたのです。

しかし「バイオリンが欲しい!」と望んでいる相手は、クレモナ市民全員。

とうとう、折れて、クレモナ街に戻ってきたのです。

しかし、ここで、またも難問が立ちはだかります。

アンドレア・アマティの名器シャルル9世(CarloIX)を購入するのがやっとで、姪のニコロ・アマティの名器ハンメルレ(Hammerle)を購入するための資金がない!

当時のイタリアは、まだリラの時代。ドルとの為替相場には、相当な開きがあったはず。

そこでクレモナ市民に「アマティのための1ドルを!」と呼びかけ、資金を集める運動が始まります。ここに、観光省も加わり、ようやく、ハンメルレ(Hammerle)もクレモナ街に入ってくることができたのです。

バイオリン博物館

スイスの支持者

1979年9月28日。
当時の市長エミリオ・ザノニ(Emilio Zanoni)氏が
市民に声明を発表します。

ヴァルター・シュタウファー(Walter Stauffer)財団が、グァルネリ・デル・ジェズ(Guarneri del Gesù)のバオイリンを購入する予定です。

市長からの、「購入しますよ!」という、事前報告です。購入する前から、バイオリンの名は、すでにシュタウファー (Stauffa)と決まっていたようです。

シュタウファー財団は、当時、数年前に創設されたばかりの新しい財団。創設者は、クレモナを愛してやまないスイス人、アーネスト・ヴァルター・シュタウファー氏。現在はシュタウファー音楽院としても彼の名は知られています

翌年の1980年5月20日に、正式にグァルネリ・デル・ジェズ(Guarneri del Gesù)のバオイリンが、財団所有になり、予定通り、シュタウファー (Stauffa)と名付けられました。

本名は、バルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ。「ジェズ=キリスト」という名の付く、グァルネリ・ファミリーのひとり。

彼の作ったバイオリンのラベルには、ギリシャ語でキリストを表す「IHS」と記載されていたところから、ジェズという名が、付けられたとのことです。

その後も、2003年には、起業家であり弦楽器のコレクターでもあった、ハーバート・R・アクセルロッド氏から、ストラディヴァリのクリスビー(Clisbee がクレモナへ。


シシリア出身の両親を持つ、イギリスで活躍した作曲家でバイオリン奏者でもあった、レモ・ラウリチェラ氏から、ストラディヴァリのヴェスヴィオ(Vesuvio)がクレモナへ。

1961年まではゼロだった、クレモナ生まれのバイオリン。約40年の間に、少しづつ、クレモナのコレクションは増え、現在は、12挺を所有しています。

バイオリン博物館

クレモナと、ガリレオと、モンテヴェルディ

クレモナの名匠アマティ・ファミリー、グァルネル・ファミリー、そしてストラディバリ。さらには、ベネツィアのサン・マルコ寺院の楽長を務めたクラウディオ・モンテヴェルディもこの街の出身です。

ある日、ガリレオが、甥にバイオリンをプレゼントしたかったけど、なにが良いのか、どこで入手できるのか、情報もツテもない。そこで、神学者でガリレオの支持者のミカンィオ氏に相談してみた。

ミカンィオ氏。「わたしにお任せください」

二つ返事で、繋がりのあった、ベニスのサンマルコ寺院の音楽長をしていたクラウディオ・モンテヴェルディに相談してみた。彼はクレモナ出身。

ブレッシャ(もう1つのバイオリンの街)のバイオリンは、入手が簡単ですが、バイオリンで一番良いとされるのは、クレモナのものになります。

ということで、誰が製作したものかは記載されていませんが、甥にクレモナのバイオリンを贈ることができたようです。

バイオリン博物館

ガリレオというと、科学の父というイメージがあるけど、パドヴァ大学で教鞭を取っていたこともあるから、そのときの出来事でしょう。

思ってもいない方向から、こんな風に登場してきて、しかも、一見繋がりのないような、モンテヴェルディもでてくるし、当時の様子が、生き生きと想像できて楽しい。

いまのクレモナは、音楽院に通う学生、バイオリン職人、バイオリン奏者、観光客と、小さいながら、インターナショナルで、活気のある街。

当時の観光局長から始まり、クレモナ街の市長、スイス人でありながらクレモナに財団を設立したシュタウファー氏、バイオリンの所有者を探し交渉する重い責任を担った方々など、色々な人が関わり合い、いまのクレモナがあるんですね。

木に包まれた音楽ホール

もうひとり、クレモナに欠くことのできない、重要な人物がいます。

作家:ANGELO VERROCA

クレモナの実業家ジョヴァンニ・アルヴェディ(Giovanni Arvedi)氏。今年で84歳を迎える、アヴレディ鉄鋼生産工場(Acciaieria Arvedi)の創設者であり、最高責任者です。

イタリアの実業家に叙勲される功労賞に「カヴァリエーレ・デル・ラヴォーロ」というものがあります。長年の功績が讃えられ、イタリア共和国大統領により与えられるもので、受勲された方は、敬意を込めて「カヴァリエーレ」と呼ばれます。

ジョヴァンニ・アルヴェディ氏も、「カヴァリエーレ」のひとり。彼が若い頃に、農業に従事していたとき、機械は「手と足」を使うのでなく、「脳を働かせて」使うものだと気づき、農業に機械を導入し、単純作業を機械にさせることで、効率を格段に上げます。

これが彼の起業家としての初めの一歩。その後、34歳のときに、アヴレディ鉄鋼生産工場をクレモナに立ち上げます。

仕事が軌道にのり順調に成長するのに伴い、財団を設立。

バイオリン博物館

クレモナのバイオリンの歴史や、コレクションを展示し、さらには、展示されているバイオリンを聞くことのできるコンサートホール、音の研究所などの複合施設である、現在のバイオリン博物館の建設を後援します。こけら落としは、2013年9月。意外と最近の話しです。

コンサートホールは、ジョヴァンニ・アルヴェディ・ホール(Auditorium Giovanni Arvedi)と呼ばれ、フェスティバルや、週一回開催されるミニコンサートのときなどに使われます。

このホールが、とても素敵なんです。

Auditorium Giovanni Arvedi
絵葉書より

数年前に初めて見学したときに、いつか、絶対、ここでバイオリンの音を聞きたいと願い、今回やっと実現しました。

まず驚くのが、木製のホールだということ。

Auditorium Giovanni Arvedi

ホールの形は、バイオリンの形のように、流線的で有機的。

Auditorium Giovanni Arvedi

そして音がすごくいい。

調べてみると、音響設計家の豊田泰久(とよた やすひさ)氏が音響を担当したそうです。

バイオリン博物館のパンフレットより
バイオリン博物館のパンフレットより
建設中の様子

わたしが行ったときは、2003年にアメリカから戻ってきたストラディヴァリのClisbee 1669が主人公でした。

警備員の護衛付きで、ピアノの上にバイオリンが置かれています。

Auditorium Giovanni Arvedi

このピアノはイタリアのメーカー「ファツィオリ(Fazioli)社」のもの。この会社もまた職人仕事でピアノを製作している素敵な会社。このホールでこのピアノ。嬉しくなります。

Auditorium Giovanni Arvedi

このホールで聴く演奏は、自然のなかで、音に包まれるような感覚。時間のない、音だけの世界。

Auditorium Giovanni Arvedi

バイオリン博物館のページに、毎月のコンサートの詳細が発表されます。当日でも切符は購入可能。お昼の12時から30分程度なので、気軽に聞くことができます。

クレモナへ響く、バイオリンの音色

さらに、もうひとり。クレモナに拠点を置くバイオリン奏者の横山令奈(Yokohama Lena)さん。面識はありませんが、クレモナのことを調べていて、こちらの動画と出会いました。

2020年春のイタリアは、正体不明のコロナが蔓延し、病院は逼迫した状況。日夜とわず働き続けている医師や看護師、見えない敵と戦い入院している人々、心配する家族。

彼らに勇気を与え、感謝の気持ちを込めて、病院の屋上で、バイオリンを奏でています。

楽器の音色は、そのときの自分の気持ちや環境により、感じ方や伝わり方が異なると思いますが、わたしには、細くて繊細ななかに、凛とした強さのある音に聞こえてきました。3分程度の動画です。ぜひご覧ください。

クレモナの街は、街を想い、街を愛し、街のために貢献する人々がいて、幸運な街です。


話はだいぶ飛びますが、ソフィア・コッポラ監督・脚本の映画「ロスト・イン・トランスレーション」。スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットが、日本の焼肉屋に入ったときのこと。写真で掲載されているメニューは、同じようなお肉が並んでいるのに、料金が3パターンある。違いがわからず「うーん」と唸るシーンがあります。

わたしのシャーロット体験は、クレモナのバイオリン博物館で起きました。焼肉とバイオリンを同じテーブルに並べるのは、心苦しくはありますが、素晴らしいバイオリンが、ずらりと並べてあるのに、すべてが同じようで、違いがまったく分からなかったのです。

バイオリン博物館

木の素材とか、作り方とか、専門的なことは、読んでも、ぜんぜんわからない 苦笑。だったら、バイオリンの物語を知ろうと思ったのです。バイオリンに名前が付いていることすら、知りませんでした。

クレモナの物語を共有できれば嬉しく思います。

ほかにも、まだ書きたいことがあるのですが、長文がさらに長文になるので、バイオリンにまつわる話しは、次回も続きます。

(たぶん3部作の)最終章には、職人展示で出会った、バイオリン職人のインタビューをお届けします。

バイオリン博物館

最後まで読んで頂きまして、
ありがとうございます。
続編も、ぜひお立ち寄りください。

参考文献:
Lo Scrigno dei Tesori The Treasure Trove 
Fausto Cacciatori
Edizioni Museo del Violino

Nella Bottega del Liutaio
Donatella Melini
Librereia Musicale Italiana


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