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サムライの島

「サムライの島」、なんて言葉は調べても出てきませんでしたが、この言葉はとても印象に残るキーワードであり、実際にその島に行って過ごしてみて、手応えある実感を得ています。

と言われてもなんのことだかわかりませんよね(笑)実は先日、「対馬つしま 」へ行ってきました。

の前に、

まず3月22日に京都で予定があり、18時半過ぎの新幹線で福岡へ。

翌日は、大好きなカフェに行き、

https://coffeecounty.cc/shop/fukuoka/

博多の「住吉神社」に立ち寄り、その後、福岡LOVE FMの「サキコ」さんにお会いしました。

不思議なご縁でつながり、ちょうど福岡に行くのでメッセージしたら、快くお会いしてくださることに。初対面でしたが、2時間あっという間で、楽しい時間となりました。

さて、翌日から、「探求クラブ」の仲間と、本題「対馬つしま 」へ。

てゆーか、まず「対馬」をご存知ですか?(Wikipedia

九州の北。長崎県に属してますが、実際に古代より福岡県の方が縁が深く、長崎から福岡へ移県運動もあるとかないとか?

福岡の博多港から150キロメートルの距離。韓国までは50キロです。国境の島。

韓国がこんなに近く。

古来から、朝鮮半島との移動の要所であり、国交もありましたが、戦乱の歴史があります。

そんな対馬への移動手段は、飛行機、フェリー、ジェットフォイル。

あえて、一番時間のかかるフェリーを選択しました。

博多港

朝10時の博多港を出航で、壱岐の島に立ち寄り、少し停泊し休憩しますが、対馬の厳原いづはら 港へ到着するのは14時45分。休憩を含めると4時間45分の船旅です。

どうして時間をかけたかったのかというと、少しでも古来に思いを馳せたかったからです。

壱岐の島まではそんなに揺れなかったのですが、壱岐の島を越えて、玄界灘に入ると、ゆれるゆれる。2週間ほど前に出雲から隠岐島のフェリーに乗りましたが、その比じゃない笑

波は2.5メートルでしたが、船が浮き上がり、ざっぱーん!としぶきをあげて落ちる時に船体に衝撃がある。

探求クラブメンバー4人と、計5人で行きました。誰も船酔いせずに済みましたが、周りに酔って吐いてる乗客もいました。

船員に聞いたら「最近の中では揺れた方ですね〜」とのこと。だから毎回こんなんではないです。

で、そのフェリー船の中で、我々の隣にいた対馬出身のおばちゃんに話しかけられました。現在は博多に住んでるけど、叔母が施設に入り、その手続きやら始末で行かないとならないとか。

話し相手に飢えていたのか(笑)、そんな身の上話をたくさん聞かされてました。

でも、対馬の話もたくさんありました。そこで「対馬はサムライの島」という言葉を聞いたのです。

「今でもね、船がたくさん西から来たら山へ逃げろって教えられるんよ」

鎌倉時代の元寇、が有名ですね。最近は「アンゴルモア」という漫画でも、その凄惨な様子が描かれています。

しかし、元寇だけでなく、朝鮮半島からの侵略とも呼べる攻撃はたびたびありました。「刀伊の入寇」も有名ですが、新羅や高句麗の、政府公認の海賊(国が飢饉だったから、他国からの略奪行為を認めたという…)がやって来ては、村々を焼き討ちされ、奴隷として女子供が連れ去られたりした記述があります。(韓国側はそんなものはない!日本のでっちあげで、むしろ日本が我々に海賊行為をしたと言い張ってます)

そしてそのような場では強姦は「兵隊への報酬の一つ」が外国の習わしですから、かなり血も入れ混じってると思います。

また、古くは663年の白村江の戦いや、戦国時代末期の秀吉の「唐入り」の際の朝鮮出兵、近代だと日露戦争のバルチック艦隊との海戦など、何かと「中継視点」であり、時に「作戦本部」になります。

対馬はいつも「対外国」との「戦争」の拠点なのです。

フェリーにいたおばちゃんから聞いた話では、どうしてサムライの島なのかと言うと、江戸時代に、本土ではなかなか侍になれなかったけど、対馬では誰でも武士になれたそうな。

なぜなら大陸との防衛の拠点であり、いつ大陸や朝鮮の攻撃に遭うかわからないので、戦闘員を配備しておきたかったから。

なかなか興味深い話をたくさん聞けました。

それと「昔から対馬の人の苗字は阿比留さんとか多いよ」と言ってたけど、厳原について、レンタカーをすぐに借りたのですが、その担当者の名前が「阿比留さん」でした(笑)

では、ここからは写真を交えながら、旅のレポートと共に。

厳原八幡宮いづはらはちまんぐう神社へ。こちらは対馬中心地の街中にあります。

ちなみに対馬は南北に80キロもあり、琵琶湖よりでかいです。とはいえ、その島の中にたっくさんの神社があります。

一ノ宮、はなぜか二つあるんですが、そのうちの一つ。

大きな木がたくさんあり、摂社もかなりいい感じです。

猫さんもいます(笑)

しかし、それにしてもサムライの島…。

その話を聞いたからなのか、何か「普通じゃない」。島に降りた時から感じていたけど、神社というより、「城」とか、そういう凛々しさが伝わってくる。

離島にはよく行きます。僕は「島」って好きです。名前も「大島」ですしね(関係ねえか)。なんといっても海に隔てられているせいでしょうか。都会のノイズがありません。

ここ半年くらいだけでも、石垣島、八丈島、小豆島、隠岐島、ちょっとちがうけど天草諸島とか。もちろん他にも沖縄本島や奄美や屋久島、伊豆大島なんかも行ったことがあります。

島って、独特の「ゆるさ」があります。のんびりした雰囲気。時間の流れが違うんです。

しかし、対馬にはそういう空気を感じませんでした。お隣の壱岐の島には2度行ってますが、やはり壱岐はゆるいです。でも、対馬にはそれがない。

キリッとして、緊張感があるというか、強い意志の伴った立ち振る舞いが島の空気を包んでいる、そんな感じです。

これは僕の私見というか、個人的な感覚でしたが、一緒に旅をしたメンバーも似たようなものを感じていたようです。いつもの「わーっ」とした、はしゃぐようなモードになりづらいというか…。何か「重たい」んです。

やはり、それはこの島の歴史の作ったエネルギーなのかもしれません。それほど、ここは“のっぴきならない土地”だったのです。

島自体は広く、チェーン店もたくさんあり、日本人が、日本の文化圏で生活してますが、僕はずっと「外国」にいるような感覚もありました。壱岐の島とはまるで違います。

壱岐の人が、対馬を「外海そとうみ 」と呼んだり「あそこは外国だよ」と言ってると聞いたこともありますが、その理由がわかった気がします。対馬は、日本列島に含まれておらず、大陸の延長なんでしょうね。地政学とか大陸移動とか云々ではなくて。

すぐ近くにあるお寺。万松院へ。

対馬を統治していた「宗家」のお墓があり、こちらも圧巻です。樹齢1200年のスギの木は圧巻。

しかし。まさしく「侍」ですね。

調べてみると、朝鮮からの侵略との戦い。戦国時から江戸時代は、朝鮮と日本側の板挟みで、何かと大変だった様子です。

その日は、西山寺の宿坊へ泊まりました。部屋で瞑想やかるくワークをしてから、

夕食は近くの居酒屋で。対馬の地酒を飲み、新鮮な魚介類に舌鼓を打つ。

やはり魚は美味い!

で、宿坊ですから、朝の坐禅があります(自由参加)。

5時50分集合、6時から坐禅。朝の清々しい時間となりました。お寺は「瞑想(坐禅)する人たち」が作った「気」が満ちていて、とても入りやすいですね。

坐禅後の、朝のボディーワーク

そして朝ごはん、の会場で、なんと知り合いにばったり!

対馬の宿坊での朝。寝起きすっぴんで食堂に行ったら、なんと大島ケンスケさんとばったり。「うひゃー久しぶり〜、ここで会うとは!」。 今回はそれだけじゃなくて、1日目の壱岐のモンサンミッシェルといわれる小島神社では、車から降りてきた中村恵子ちゃんと、照井りなちゃんともばったり。 いやぁ、東京から1000km離れた地での立て続けの再会にびっくり。なんだかうれしいわ💕

Posted by 佐藤 句実 on Sunday, March 24, 2024

編集者の「佐藤句実」さん。まさか東京から対馬に来ていて、同じ宿に泊まってるなんて、そんなのある?びっくりです。

そんなサプライズから、絶品の朝食を食べて、

むっちゃ美味しかった!

宿を出て向かったのは「宝満宮」とその奥宮

20分ほど、山歩きして、奥宮へ到着。

そこでは島全体を覆うような緊張感や凛と切り立ったエネルギーとはまったく違うものを感じました。

古い古い、祈りの場だったんだなと感じます。とにかく「優しい気持ち」に溢れました。

お次は和多都美わたつみ神社へ。

こちらはインスタ映えスポットにもなってますが、神社の奥の磐座とかも含め、とても素晴らしい場所です。

やはり、優しい。女性性をすごく感じる。

島全体を包む男性的な力強い意識の中に、凛とした、女性の強さ。

「真の強さ」とはなにか?ということについて、まったく新しい感覚を得ました。

これまではどちらかと言うと、人間としての強さは「内なる男性的な芯」と「外側の女性的な大らかさ」だと思っていましたが、真逆に近いものを感じました。

一言では言えないので、説明っぽい解釈ですが、

「どっしりと、全体に腰を据えた男性的な重さ」の中心に「すべてを許し、すべてを受け入れる覚悟と勇気を持った女性性」という感覚です。

男が、うちなる女性を守るとともに、女が、外の男を支える。

しかし、ポイントは女性性で、女性的な優しさは「甘さ」はありません。大いなる優しさと受容は、すべてを流し去るくらいの覚悟があります。

火と水を男性女性に喩えたりしますが、火事や火災より、洪水や津波の方が広範囲で被害が大きくなるようなものかもしれません。女性の持つすべてを押し流し、洗い去る力は、覚悟の現れであれ、だからこその優しさ…。

うーん、まだうまく言葉がまとまらないな…。

さて、話を旅に戻します。

和多都美わたつみ神社から車で10分ほどの距離に、有名なお店があります。
それが「あなご亭

ちょうどこの旅の前に、京都でお会いした師に「対馬に行くんですよ」と話したら、「アナゴの刺身がうまいぞ、食べた方がいい」と勧められていたのです。だから絶対に食べようと決めていました。

今これを読んだ人で、「え?アナゴを刺身??」と思った人もいるのでは。

僕も驚きました。見たことも聞いたことがなかったからです。アナゴといえば、

永遠の脇役、アナゴくん。なんと彼は26歳で、マスオさんより年下なんですが、この顔で26歳って、おいおい・・・!でも京大卒という高学歴…。

あ、

ちがうか(笑)

アナゴと聞くと、

こっちですよね(笑)。

こういうふわっとした、甘いタレで食べるやつを思い浮かべますよね?

それもそのはず。なぜならアナゴはすぐに独特の臭みが出るそうで、よっぽど新鮮でないと刺身では出せないのです。だからアナゴは蒸して「甘だれ」で食べるんですね。

それが、対馬では「刺身」で食べられるという。ただ、前日の居酒屋は「今日は入ってないんだよ」とのことで、この日のランチにいただきました。

アナゴの刺身。コリっとした食感で、上品な味わい。塩とワサビで絶品です。アナゴの肝もついてて、これまた美味。酒が欲しくなるけど、酒を飲まずに、純粋にアナゴを味わえてよかった。 

白焼き定食。あなごをシンプルに焼いただけ。感動でしたね。食い物でこんなん感動したのは久々です。

もし対馬に行ったら、とにかくアナゴを食べてみてくださいね。特にあなご亭はこだわりのアナゴを提供してます。定食で3000円って、ちょっと高いと思うかもしれないけど、まずは希少なアナゴであること、他の小鉢とかも全部美味しいこと、デザートとコーヒーがつくこと、お店の居心地も良く、接客も素晴らしいことなど考えると、決して高くないというか、もっと高額でも文句は言えないクオリティです。

で、ここでなんてまたまた先ほど宿でお会いした「佐藤句美」さんにバッタリ!。

(お写真は佐藤さんのSNSからお借りしました)

ちなみにこちらの手前の男性は、熊野を中心に、日本の歴史や神話を研究され、熊野市文化財専門委員長で「三石学」先生。朝、宿坊でも少しお話しさせていただきましたが、とてもおだやかな人柄で、とても素敵な先生でした。

さて、午後は雨。てゆーか、当初の予報だど、対馬滞在の日程はすべて雨予報だったのに、今まで降ってなかったのが奇跡です。

小雨の降る中「海神神社」行きました。

この鳥居の文字は、見たことのない漢字です。

こちら、海神と書いて「わたつみ」だったり「かいじん」だったりします。

けっこう登ります。

ここも素晴らしかったです。誰もいなかったので、歌ったり舞ったりしてました。

奉納、という気持ちはないですが、実は僕はあちこちで、一人だと歌ったり舞ったりしてます。したくなるのです。そこのスピリットたちと共鳴するような、そんな感覚を得ます。

にしても、やはり「優しい」のです。とにかく強い優しさを感じます。

その後、雨足が強くなりました。

大きな木を眺めて、早めにホテルへ。

この日は「対馬グランドホテル」へ。ここは対馬には珍しい温泉があるんです。

部屋の目の前に教会、そして広がる海。

部屋で、女性的なエネルギーを分かち合うヒーリングに特化したワークや瞑想をして、温泉に入りくつろぎ(温泉、クセのないお湯ですが、かなり良いです!)、夕食タイム。

こちらも郷土料理の「ろくべえ」。

聞いたこともないです。こういうのが食べれると嬉しいですね。

よう笑ました。

笑ったのは、僕の「あなごさんのモノマネ」があまりに似ていなかったから、なんですけどね(笑)

さて、最終日、

そんなに時間がなかったのですが、こちらの住吉神社へ参拝。海を目の前に、美しい神社でした。

それからお土産買って空港へ。そう、帰りは飛行機。

本当はジェットフォイルの予定でしたが、こちらの「探求クラブ掲示板」に書いた通りです。

飛行機も遅れましたが、それでも乗って仕舞えば30分で福岡空港。なんだか妙な感じです。文明の利器の便利さと同時に、なにか味気なさというか…(笑)

空から眺めると、対馬って不思議な地形です。

早めに博多に着いたので、筥崎はこざき 宮へ。

こちらも元寇の時に司令本部となった重要な歴史ある場所です。やはり「対馬」と繋がりがある旅で終えたので、来てよかったです。

2泊3日の旅を終え、僕は博多にもう一泊するのでホテルへ。メンバーは山笠で有名な櫛田神社へ行き、その後それぞれの帰路につきました。

ちなみに、ホテルは外国人だらけで、でこんな体験。

今日は、お惣菜やらなんやら買って、ホテルでのんびり。 この写真はエレベーター。 実は、写真を撮る直前まで、 中国人団体客とかぶり、 もみくちゃってほどじゃないけど、 満員だった。 みんな声がでかいのなんの(笑) 対馬にしろ、 博多にしろ、 ...

Posted by 大島 ケンスケ on Tuesday, March 26, 2024

外国人観光客。インバウンド需要で潤う人もいるのは確かだけど、それは長期的に、日本の未来を考えるとどうなのか?

で、その日はハイボール一本だけのんで、早めに就寝。翌朝、定番の原田海産の明太子を買って帰りました。

今回の対馬旅。今まで感じたことのない、異質な土地であり、光と闇、男性性と女性性の極を感じる旅でした。

ただ、ここは縄文時代から日本人が住んでいました。韓国は「対馬は韓国領」と言い張る人たちも多いそうですが、何も歴史的根拠はありません。一度も朝鮮半島や支那(中国)に統治されたことはありません。

侵略に遭いながらも、ずっと守ってきた国境の島。そして独自の文化を築いたのです。

島は広いので、まだまだ行けていないスポットが多いです。だからまたぜひ行ってみたいと思います。

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