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掌編小説 「戦わない、生き方」

「負けたんだ…」

 ほんの一瞬で人の気分は変わってしまうものだが、恭介はそんな人間の脆さを自分自身の心境の変化で痛感した。

 自分は、負けた。
 恭介はそう思った途端に全身の力が抜けた。

 つい数分前まで、いつもの日常の中にいた。いや、むしろ気分はよかったくらいだ。何一つ問題はなかった。
 妻が書店に行きたいというので、買い物がてら立ち寄った。買い物では、魚屋で旬のものが安価で手に入り、まだ午前中だというのに、今夜の食事のメニューに心躍らせているほどだった。

 恭介はカメラマンであり、写真集を出版している。
 とはいえ、個展や写真集だけで食っていけるほどの知名度もなく、雑誌の取材や、個人の撮影など、細々とした仕事が収入のメインだ。

 書店に行くと、ついつい写真集の棚へ足を運ぶ。同業者近況をチェックをしたいわけではないが、自然とそういう目を持ってしまう。

 地元の大型書店でも、恭介の写真集は置いてあった。最初に出版した写真集が、そこそこの売れ行きで、数年前に出版したにも関わらず、常に一冊二冊は今だに置いてあった。
 二冊目の写真集は、あまり売れなかった。少し自分の好みに走りすぎたのかもしれない。大衆性から逸脱した個性と評価があったが、それはある意味皮肉だったのかもしれない。
 三冊目の写真集は、前回の反省を活かし、より大衆にも親しまれるようなテーマで臨んだが、結果はさらに悪かった。
 出版の世界では、“売れない”という実績が付くと、出版社はオファーしない。これはどんなジャンルの書籍でもそうだ。

 本離れが進む昨今、出版社の経営は常に火の車で、自転車操業に近いと聞く。だから確実に売れる見込みがあるものしか出版したがらない、と知り合いの編集者が言ってた。
 恭介はいつものように、写真集コーナーを眺め、知人の出版した作品を手に取り、パラパラとめくる。
「お、いいじゃん」
と思うものもあれば、
「イマイチだな」
 と好き勝手に批評してしまう。これは商売柄仕方ないことかもしれない。

 ふと、自分の写真集を探す。一冊目の写真集は常に置いてあったはずだが、どこにもなかった。
(ああ、ついに取り扱わなくなったか…)
 十分に予想していたことだったので、悲しいとか、悔しいという気持ちはなかった。とっくに忘れていた、とはまでは言えなくとも、日々向き合うべき仕事があるので、過去の作品にしがみつく気はない。むしろ今までよく置いてくれたものだと思う。

 こんなにたくさんの新刊や出版されるのだから、売れない本で売り場のスペースを占領されるのは、書店にしても溜まったものではないだろう。出版社と同様に、書店も苦しいのだ。だから一冊でも売れる本を置きたい。
 妻がお目当ての本を手にレジに行くというので、恭介は持っていた友人の写真集を棚に戻し、写真集の売り場から離れようとした時だった。

(お前は負けたんだんよ)

 そんな言葉が頭の中に響いた。一瞬、どこから聞こえたのかわからないその言葉に、思わず後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかったし、それが自分自身の言葉だと言うことはわかっていた。
 しかしその言葉は数秒間で、恭介の頭の中を埋め尽くした。
(負けた?)
 自分の思考が分裂していた。負けたんだという言葉に対して、何に対して負けたのか理解できない思考がある。
 しかし、少し考えたら単純にわかった。自分はレースに負けたのだと恭介は理解した。 

 恭介自身、誰かを押しのけて何かを得ようとするタイプではないし、自身の写真集への執念も執着もなく、売上や部数というものに無頓着に近かった。
 彼はいつも目の前のことに興味があり、リリースされたものは過去でしかなく、目の前の今に向けてカメラを向け、シャッターを切ることだけに興味が注がれていたし、生活を保障してくれるだけのクライアントがいた。
 
 しかし自分は、負けた。出版という競争で、敗者となった。レースは自分の負けにより、終わった。
 そして勝ち進み、勝ち続ける同業者がいて、そのレースは続いてるようだった。だからレースが終わったのではなく、自分が“脱落”したのだと思った。

 ビリでも走ってるうちはまだレースに参加していて、結果は誰にもわからない。大穴や大どんでん返しもある。しかし、脱落した以上、自分にとってのレースは終わったのだった。

 しかし、何より恭介自身はレースに参加したつもりもなく、今までレースを走っていたことに全く気づかなかった。元々、誰かと競い合おうなんて思ってもいなかった。
 だけど知らないうちに、自分はレースにエントリーされていて、走らされていて、負けていたのだと知った。
 負けたということよりも、自分がそんな戦いたくもないレースに知らずうちに参加していたことに恭介は愕然とし、写真集のある棚の前で、呆然と立ち尽くした。

「まだここにいたの?なんか買う?」
 レジで買い物を終えた妻が戻って来て、棚の前でぼんやり立ち尽くす恭介にそう声をかける。
「あ、ああ…、いや、行こう」
 気のない返事をして、ようやくその場を離れる。最初に一歩を踏み出す時は、体が鉛のように重たく感じられ、自分の体でないようだった。
 自宅に戻る間も、何だか上の空で、曖昧な相槌を打ったせいで妻から不満の声が上がったが、恭介は考えを止めることができなかった。

(俺は、レースに勝ちたかったのだろうか?)
 自宅に戻り、仕事があるからと言って自室に入ると、恭介はドアを閉めたままの姿勢で考えた。
(こんな気持ちになるのは、密かに俺自身がレースに参加し、勝者になることを望んでいたいたからではないか?

 恭介は、ドアノブからゆっくりと手を話しながら、自分の心の奥を分析し始めた。
 しかし「勝者」とはなにか?どこまで行けば勝者なのだろうか?
 大きな部数を売っている同業者は、勝者なのだろうか? 自分の知る、アイツや、あの人は…。しかし、一般書籍のようなベストセラーになるほどではないし、世界的なカメラマンに比べると大したことはない。
 不思議なもので、自分より上と比べる限り必ず敗者になり、自分より下と比べると勝者になれる。勝ち負けは常に相対的なものでしかなく、絶対的なものはない。

 オレ自身も、オレより売れてない写真家と比べれば勝者だし、出版したくてもできない写真家と比べると大勝しているとも言える。恭介はそんなことを考えながらイラついた。
(なんだこれは?)
 自分は確かにプロのカメラマンとして商売をしているが、あくまでも勝敗のない、商業主義とは離れた芸術家として生きていた。しかし、しょせんは芸術家気取りでしかなく、頭の奥では勝ち負けや優劣を比較していたのだと気づき、自分の醜い性根に打ちのめされる想いだった。

 自分がいつも中途半端な立ち位置にいるのは、それが原因なのでは? なぜなら生粋の芸術家たちがしのぎを削る世界で、確固たるものを確立することもできず、そしてレースに対してもがむしゃらになっていないのだ。結果が出なくて当然だ。
 恭介はしばらくその事実を思い知り、椅子にもたれると立ち上がれないくらい疲労を感じていた。
 しばらく茫然自失していたが、ふとこんなことを考えた。自分だけではなく、ひょっとして多くの人たちが、自分同様に知らぬ間にレースに巻き込まれ、常に勝ち負けと優劣の中を生きているのではないだろうか?

 なぜそんなことを考えたかと言うと、息子のことを考えるともなしに思い出していたからだ。

 息子は今、中学三年生だが、もっぱらゲームばかりしているインドア派だ。
 しかし幼稚園や、小学生の低学年の頃までは、体を動かして遊ぶのが好きだった。
 かけっこやお遊戯で、楽しそうに走ったり踊ったりする姿を見て、嬉しく思ったものだ。
 しかしだんだんと、走ることが嫌いになったようだ。
 おそらく小学校に入ってから、走ることに順位がつけられるからだと思う。
 息子は体を動かす遊びは好きだったが、足は遅かった。恭介自身も、その気持ちはわよくわかった。彼も子供の頃、球技などはそこそここなせたが、走るとか飛ぶ、という単純な運動となると苦手で、走ることは短距離も長距離も遅かった。

 そして子供の頃、男の子で足が遅いというのは、ある種の致命的な、クラスでのポジションを決めてしまうのだ。遺伝で運動神経はかなり作用されるそうだが、息子の足の遅さは、完全に自分に似たのだと思う。

 足が遅くて、実際に嫌なことがあったのかはわからない。でも息子は明らかに走るのを嫌がるようになった。今では完全に非体育会系だ。あんなに楽しそうに走っていたとは思えない。

 もしも息子が比較や競争のない中で自由に走り回れたらどうなっていただろう? 小学六年の運動会を明らかなズル休みした際に、恭介はそう考えたこともある。
 しかし、それはなにも息子に限った話ではないだろう。

 人はこの宿命から抜け出せないのだろうか? どうして人は争わないとならないのだろうか? 勝者は賞賛され、敗者は見捨てられる仕組みは、変わらないのだろうか?
 もちろん、その問題提起は、このレースでの勝者になった者が言わない限り、ただの“負け犬の遠吠え”でしかない。だから恭介はこの思いを誰かに言うことはないだろう。しかし、この社会や人間という生き物の抱える業(ごう)に対して、怒りに似た感情を抱き、その日は仕事が手につかなかった。

(自分は、これからも勝負したいのか?)

 と尋ねられると、答えはNOだ。少なからず勝利の美酒は知っている。コンクールで入賞した時や、大きな評価を得た時。しかし、それは一過性のものであり、真の実力とはあまり関係ないと言うこともよくわかっている。なぜなら自分自身も、半分は運と、周りの人たちに恵まれたからだとよくわかっているからだ。自分よりも実力があるのに、実績がない写真家を何人も知っている。

 しかし、知らない間にレースに組み込まれるのに、どうやってレースから降りるのというのだろう? 
(いや、答えはわかってる)
 恭介は独り言を言った。そうだ。これは自分の問題だ。本当は、レースなんて存在しない。オレが、誰かの作ったレースに、なんだかんだ乗っかっていたんだ。知らない間に、なんて思ったが、自分は心のどこかでそれを理解していた。

 幼い頃から競争社会に組み込まれ、それが当たり前のこととして存在し、どんどん染まっていく。自分の人生の一部にあったはずの競争が、気がつくと競争の中の人生になっている。

 誰とも戦わない生き方。そんなことが本当にできるのかはわからない。なぜなら、自分がお金をもらうと言うことは、誰かからもらうということであり、そもそも食事をするということも、命をいただいているのだ。

 しかし、それでも戦いたくはない。幼い子供が、あの頃の息子が、無邪気に走り回っていたように、自分もただ目の前のことに、夢中になっていた。
 恭介はそう決意し、重たい体を立ち上がらせる。この決意がどれほど続くかはわからないが、ひとまずは、今日を全力で生きようと思った。

終わり


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