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探求文庫  #71〜73 (過去記事)

2021年の8月から始めたnoteサークル(現在はメンバーシップという名称に変更されたけど、サークル(輪)という言葉が気に入っている)、「探求クラブ」内での「探求文庫」。

探求クラブ内でも、「過去記事が全部掲示板をスクロールしてさかのぼるので読みづらいとご指摘をいただき、過去記事もすべてマガジンにまとめることにしました。

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探求文庫 #71 「願望実現」について

さて、今日の探求文庫は「願望実現」について、というテーマです。

僕は「願望実現系スピリチュアル」には、やや批判的な言動が多いのですが(笑)、何もそれを否定してるわけではありません。願いたいなら願えばいいし、叶えたいなら叶えるために努力をすればいいし、すべきだと思います。

しかし、往々にして人の人生というのは「うまいこといかん…」の連続なわけです。求めても叶わず、願っても叶わず…。

もちろん、そうじゃない人もいます。しかし、すべてが順風満帆だけに生きる人って稀です。多くの人が、魂の設定として、試練やミッションを課していまし、そんなすべて思い通りの人生なんて、なんも面白くないでしょう。

多分、スピリチュアルや自己啓発にハマる人は、求めても叶わず、願っても叶わず…な人生を送ってきて、最終手段(笑)としてから、または裏技ゲットのためにやってきた人ほとんどでしょうけど、結局同じこと。スピをやっても苦労する人は苦労するし、スピを知らないでも苦労する人は苦労する。

つまり、実は願望実現とやらに関しては、スピなんてどっちでもいいのです。カンケーありません。

しかし、共通しているのは「願えば願うほど人は苦しむ」ということです。人の苦しみは、すべて「欲」や「執着」であると、ブッタもかつて説いてます。だから、その煩悩の炎を消しなさい、と…。

煩悩の炎を消せるかはともかく、スピリチュアル(霊性)や精神世界には、その苦しみから救われる術や法は説かれています。

僕自身の話をします。

僕は現在、かなり「願いが叶っている」と思います。歌を歌って、文章を書いて、自由に仕事を自分で作って…。

でも、なんで叶ったのかというと、実は「煩悩の炎」を、消した、ってことはないけど、かなり“沈静化”したのは事実です。

若い頃の僕は「ミュージシャンになりたいなりたいなりたい!」と、激しく渇望していました。それはそれで活動力のエネルギーにはなりましたが、僕の場合はそれでは現実の「プロミュージシャン」は、いつもカツカツのセミプロどまりで、病気で大きなチャンスを逃したり…。

小説書き始めた頃も「小説家になりたい~」と、ミュージシャンの時ほどではないけど、やはり心の中から求めてました。そして、結果として、いつも公募は落選。小さなインターネット内の賞でおこづいかい稼ぎ程度(っても、むちゃくちゃ嬉しかったけどね)。

これは10代の頃「ヤリたいヤリたいヤリたい!」と、女の子に対して激しく(それはそれは激しく!)思っていた頃も同じで、激しく渇望すればするほど、その現実が叶わず、結果として苦しむわけです。(僕は異常にすけべだったので、己の性欲にはほんとに苦しみました…笑)

ちなみに、その辺の渇望がなくなり、女の子余裕ができればできるほどモテるようにはなりました。つまり、難なく願望実現(ヤリたい)を叶えられるようにはなりました。

ミュージシャンとか小説家とか、僕は「なりたいもの」が多すぎて、強く執着していましたが、瞑想をしたり、山登りして、ひたすら自分と向き合ったり、黙々と畑作業をするような生活の中で、どんどん「なりたい自分」がなくなりました。

言ってしまうと、「ミュージシャン」も「小説家」も、なりたいという気持ちはなく、それで成功したいとか、それで活躍したいとか、生計を立てたいとか、そんな夢も希望も無くなったのです。

そして、僕はひょんなことから、瞑想指導や、スピリチュアルに関する講師になりました。そして、なんとなくその中で、歌を披露したり、過去の小説を発表したりして、だんだんとその規模も増えて、アーティストという側面が今や出ていると思います。

結果、「あれ?夢が叶ってるのか?」と思うのですけど、それすら実はどうでもよくて、ただ僕は「今、ここ」の感覚に生きてきたことと、「なんとかなる」と、いつも宇宙を(自分を)信頼していただけですし、これからもそうです。

願いは持っていい。とことん希望を持っていい。でも、それを「忘れる」くらいに、何かに没頭し続けることが、軽やかに人生をシフトさせるコツ、だと僕は思います。

「なりたい自分」をイメージしていいと思います。ただ、その後は宇宙へのオーダーも、神様だの龍だのへのお願いもいりません(笑)。ただ、いつも自分で在ること。全力で、自分であり続け、なんでもいいから、そんな執着が吹き飛ぶくらいに「今」を生きる。「いつ叶うか?」なんてことも考えない方がいいというか、考えるだけ無駄です。ちなみに僕は小説書き始めてから15年。歌を歌い始めてから30年経っています。

いろんな人が、いろんな「夢の叶え方」を伝えているけど、正解なんてないです。ただ、自分に合ったもの、フィットしたものを参考にして、自分なりの方法で、願いを叶えていけばいいと思います。

探求文庫 #72  じっくりやる。急いでやる。

何事も「丁寧に」「じっくり」「味わって」と、僕はそのようなメッセージを発信していますし、やはりその意識はとても大事です。それには当然「時間に余裕」「心に余裕」がないとできないので、今ここに集中しつつも、常になんらかの“余力”を残しつつ(特に体力や身体性)、我々は日々を生きていくことが大事だと思います。

ただ、実はその「時間に余裕」が、逆に僕らの精神状態を、「惰性」という、「今ここ」とは最もかけ離れた状態に運ぶことになる場合もあるし、「時間がないからこそできる集中」というのもあるのは事実です。

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