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不協和音

その朝は、異様な狂気から始まった。
大袈裟な話ではない。今までにない狂気と不穏な空気が満ち溢れていた。そこから逃れるように、息子を連れ出して、保育園の発表会へと向かった。

不調和音。
古典音楽の巨匠バッハは、実のところ、その時代において最も革新的な作曲家だったそうだ。なぜなら伝統的な教会音楽において、存分に不協和音を取り入れたミサ演奏を手掛けたのだ。その心を乱される音色は、到底神父や訪れる村人たちには受け入れられるものではなく、非難を受けた。それでもバッハは信念を貫いた。

まさに今朝の気配は、不協和音そのものだった。家族の物語を奏でるのに、あれほどの音色はあるだろうか。私もいろいろと覚悟したところはあった。それから夜を迎えて、子供たちはめいいっぱい遊び、満足したかのように眠りに落ちた。ようやっと訪れた静けさに、我々親は、自身の時間を取り戻そうとしている。

昼間、ママ友のご近所宅に遊びに行った時のことだ。とても心のこもった手料理とワインをいただきながら、横では、同じ年頃の息子同士が、笑顔で遊んでいる。一歳になったばかりの娘は、リビングを徘徊してはおもちゃを物色していたが、お友達の祖母がピアノを弾き始めると、目を輝かせて近寄り、隣に座ってリズムを取り出した。身体を支えてあげると、お尻をフリフリしたりもする。息子が一歳の時には無かった反応だったので、夫婦で驚いていた。
娘は楽譜を指さしたり、喜んで奇声を上げたりしていたが、ついにその小さな手が、鍵盤に向かった。

ババーーン!♫

爆発したかのような不協和音が鳴り響くと、娘は興奮して、祖母のリズムに合わせて鍵盤を叩いている。

ダダダ!!♬
ダダーーン♪

キャハハハ(笑)。

バイエルの楽譜となんら関係ない不協和音の連続が、不快どころか、魂からの喜びが溢れているように思えて、小さな身体を支えながら、その様子を見守っていた。
圧倒されていたのだ。私は。

今朝の不協和音を思い出していた。胸を掻きむしるようなその音も、その奥には、神様の奏でる真実が潜んでいるのかもしれないと。それが心地よいか不快なのかを感じるのは、人間の価値観やエゴであって、視点を変えれば、多くの発見と、未来の示唆が含まれている。

私は、過去と現在と未来の「罪」を背負う。そして、再び新しい朝を迎え、その喜びに涙を流す。まるでPERFECT DAYSの主人公・平山のように。かけがえのない一日。その、震えるような喜びを。

この日の夕方、五歳の息子は初めて補助輪なしで自転車に乗れた。フラフラとした後ろ姿は危なっかしくも、ペダルを必死に漕いで、まるでシャガールの絵のように宙に浮いて自転車を走らせた。
息子は「新しい世界」に触れて感動していた。出来た!出来た!と。

私は、今日という日を生涯忘れないだろうと思った。


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