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巫女の舞

また夢の話です。
最近は特に鮮明に覚えてます。

昨日、NHKの「100分で名著」のフロイト特集を観てたんですね。フロイトは夢の精神分析の第一人者で100年前の礎が、現代のセラピストや研究者、哲学者の進化のために役立っているとのこと。すごいですね。
ユングについては曖昧なのですが、集合的無意識と、夢に神秘性を取り入れてた分析は、僕自身の解釈と合うような気がします。(フロイトとユングは師弟で、1人の女性を取り合ったというスキャンダルな関係でもあったそうです)。
僕自身も10年近くコーチングやカウンセリングの勉強をしてきたので、本職のカウンセラーから、直接ご講義してもらおうかな。

フロイトは「願望」という観点で夢を分析しました。そして、この番組で出演されていた京都大学の立木教授は、「精神分析は、今日までとは違う明日を手に入れること」と言われてました。本当に心に刺さります。

さて、今朝見た夢は、どのような願望があるのか。はたまた「おぞましい、計り知れない無意識」に対する心の対処があるのか。それとも、ユングのような神秘性があるのか。
はたまた天国からの啓示、なのか。
共通して言えるのは、「自分自身で意味を見出す旅」のようなもの、ということでしょう。納得するのは自分。世間で見聞きするいろんなヒントを得て、ハタと気づく何か。

長くなった前置きほど、大した夢ではありませんが・・汗。

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ある村では、神社の大きなお祭りが準備されています。僕はお手伝いをするために、円形のホールのような集会所に向かいました。すでに100人近くのが集まっています。
主催の人が、いろいろと説明しています。参列者の誘導の手順から、草刈りのした方まで。何か狐のお面のようなものも配られました。
僕の隣には屈強なおじさんがいました。彼とは友達で信頼を置いていました。彼と共に、これから祭りが始まる神社の参道に向かいます。
すでに、たくさんの参拝者が列をなし、やってくる神輿?のようなものを待っていました。お坊さんがたくさんいて、誘導しています。「こっち!」「そっちはだめ!」。
L字型に曲がっていた人の群れが、真っ直ぐに整ったところで、楽隊の音が聞こえてきました。
古風な音色。だんだんと近づき、激しくなってくる。
印象的な色彩の巫女たちが列をなし、優雅に、しかし狂ったように踊っていきます。その様に見惚れてしまうと、人並みに押しつぶされそうになりました。隣にいた屈強な男が「大丈夫だ!」と言って支えてくれました。僕はとても眠たくなって、その場で倒れそうになってます。目は全く開けられません。ああ、舞を見たいのに、、と思って必死に目を開けようとしますが、睡魔には勝てません。
倒れ込む僕を、屈強な男は担ぎ上げて、集会所につれていってくれました。僕は目を閉じてましたが、巫女の舞と、その行き着く鳥居の姿ははっきりと見えました。
小高い丘になっている鳥居を、カタツムリの渦を巻くように、巫女や神官や、僧侶が並んでいます。何かの儀式が始まったようです。
僕は、なんとなく(怪しさ)を感じました。これは神道や仏教とは違う、もっと新興的なあやふやなものなのか。それとも土着的な、その土地、その村、その自然が生み出したものなのか。
何かの狂信的なものに、若干恐怖を感じつつも、それを目を閉じながら、一部始終凝視していました。

場面は変わり、それから数日後なのでしょうか。すっかり静寂を取り戻した村と集会所に、僕は荷物を預けに行きました。生活にまつわるけど、普段は不必要な荷物をそこにおいて、バックひとつまとめて、自転車でどこかへ向かうようです。受付の方が、何かをチェックしました。まるで、Uber eatsの仕事みたい!。これからどこに向かうのか。村の家々の修繕なのか、山菜を取るのか。。
僕はペダルを踏み・・目が覚めました。
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この夢における、願望とはなんでしょうか。無意識とはなんでしょう。夢は、ビジョンと言われる抽象的な感覚を、演劇のようにまとめ上げ、理解する、処理するとも言われますが、それは西洋的な解釈の一面なのかもしません。現実から夢を作るのではなく、本当は夢から現実を理解している・・ほうがしっくりきます。

強烈に印象に残る、巫女の舞、屈強な男、その後の静けさと、巨木と自然・・・。その感覚を鮮明にしつつ、また100号の絵に向き合います。

おしまい。

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