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神仏の器・夢の話。

瞑想にもいろんな方向性がある中で、私自身が念頭に置いていることは、神仏の器として、心身ともに清らかでいることを祈っています。
自分の身体は、自分だけのものではないこと。何かの役割を持って生まれたとしたら、それを全うするために、大切に扱わねばならないこと。
千日回峰行の塩沼住職も言われていました。「与えられたこの命で何ができるのか?」と。謙虚さと感謝を念頭に置いていると言われていました。

今朝3:30に目が覚めました。とても印象的な夢でノート3ページに渡り記録しました。
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私は、ある寺院へ赴きます。家族から何かを頼まれたようです。しかしそこは厳しいしきたりと厳戒態勢でなかなか入れないと聞きました。森を越え、恐る恐る山門に着くと、一人の無愛想な大男が境内に案内してくれました。
案外すんなり入れたものだと安心しているうちに、広く大きな本堂に招かれました。さらに奥には、生活空間のような座敷の部屋があり、そこに立派な仏壇がありました。
私はいつのまにか、80歳くらいの老人になっていました。その美しい仏様に感極まり、「ありがたやありがたや」と祈っていました。
すると、案内してくれた大男が、頭が痛いと言い、突っ伏しってしまいました。私は哀れになってきて、仏様に「私のことは良いですから、彼の痛みを安らげてくださいませ」と祈りました。
祈り続けるうちに、大男は眠りに落ちました。すっかり日も暮れて、私も横に寝ることにしました。

遠くで掃除機の音がして目が覚めると、もう一人の男が部屋を清掃してました。そして、私の「足の裏」を掃除機で吸い込み始めました。びっくりして問うと、「あなたの足はとても汚れている」と答えました。確かに私の足は、草鞋で歩いてきたせいか泥まみれでした。私は「確かにおっしゃる通りです。昔祖母に、“帰ってきたらまず足を洗いなさい“とよく言わてきたことを思い出しました。ありがとうございます」とお礼を言いました。

男は、私の顔をまじまじとみて、座り込み、ボソボソと語り始めました。「オレは父親として自信がない。よそ様に非難をされているんだ・・」と。何かがあったようです。すっかり気落ちして肩を通していました。私は、透明な心でその男の話を最後まで聞きました。そして「あなたは悪くない。問題は相手方にあるんですよ」と思いました。
しかし、黙ってました。黙っていたほうがよいと判断しました。
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そして、目が覚めました。ずいぶんとリアルな夢でした。毎日毎晩夢は見ますが、ここまで啓示的なものは久しぶりです。
ここでまず思ったことは
「仏様の美しさ」
「祈りの対象」
「身を清めること」
です。
天から、そのように生きなさいと言われたような気がしました。特に足が汚れていて恥ずかしかった気持ちは、優しかった祖母の言葉を思い出させました。明治大正生まれの信仰深い祖母でした。彼女から受け継いだ仏壇に、毎日祈っています。
何かが通じたかもしれません。

神仏の器になれるよう、一つ一つ心身を整えて、これからも生きていきたいと思います。簡単なことから、ひとつづつ。

おしまい。

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