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趣味は〇〇

「趣味はなんですか?」と聞かれたら。20代の頃は、即・「映画鑑賞」と答えただろう。写真、でも良いかもしれない。しかし30代に入ってから、はっきりとした趣味は無くなってきた。

「趣味と仕事は同じ。絵を描くことさっ!」なんてかっこいいことは言えない。ここだけの話?、家に帰ってまで絵を描きたくはない(笑)もっと別のことがしたい。
仕事は仕事。志の事と書いて志事という人もいるが。趣味というのは、もっと自分の楽しみだけで完結するようなことに思える。
趣味。。カフェめぐり?違うな。最近は仏教の勉強と坐禅、、趣味というものか?重すぎる(笑)。散歩とか・・。1日13㎞も歩くことは趣味なのか?徘徊ではないのか。

で、8月の誕生日。我が家に金魚がやってきた。息子がお祭りでもらった金魚を、アルアルで僕が世話をすることに。自身の誕生日プレゼントはちょっといい金魚の水槽だった。なかなか良い値段がして腰が引けたが、金魚鉢よりも、息子が初めて連れてきた?金魚を長生きさせたかった。
そのうち流木やら水草を入れていったら、だんだんと様になってきた。金魚を見ていたら、すぐ1時間くらいは経った。飽きないのだ。それからYouTubeなどで勉強して、より金魚に良い環境を作り上げることにした。
そのうち飽きるだろうと思っていたが、3ヶ月が経ち、今でははっきりと言える。
「趣味はなんですか?」
「金魚です」
無論、こだわりのある金魚や熱帯魚の飼育をしている人には足元にも及ばない。ただの子供の戯れた遊びのようなものだ。しかし、40年以上の人生において、初めて「明確な」自分の居場所を見つけたのだ。

大谷石なんか置いたりして

さて、僕はもう一度答えられる。
「趣味はなんですか?」
「山登りを少々」

9月末に愛犬モネが旅立った数日後、急に思い立って高尾山に出かけた。今までは、子供連れで出かけ、観光客用のケーブルカーから山頂にいくルートしか登ったことがなかった。しかしこの日は、裏道ルートの本格的な登山道を登ることにした。片道2時間強の困難な道だったが、僕の心は癒やされていた。木漏れ日や木の根っこの隅々に、モネの命の片鱗を見たからだ。僕は透明でノーリードのモネと一緒にトレッキングをしていた。

結構険しいです


それから月に2回ほど高尾山に出かけて、4.5本の登山ルートを歩いてみた。往復すると5時間はかかるが、だんだんと、「山に登らされている」感覚から、「山に登っている」という感覚になっていく。それでも所詮600mほどの山。登山というのもおこがましい。ハイキングだね。

だけど、これでも一応は富士山登頂もしているのだ。同郷の友人に連れられて、ものは試しというくらいな気持ちで挑戦した富士登山。当然3000mの山小屋で高山病になり(ほとんどの人がなる)、なんとか死に物狂いで山頂へ。そこでみた荘厳な風景は15年くらい経った今でも忘れない。

今日は富士山の夢を見たんだ

これでも20歳の時に、鹿児島から北海道まで、自転車で野宿しながら旅をした経験もある。体力は地に落ちたが(笑)、旅へのロマンというものが、山登りにはあるのかもしれない。

さて、今日の話。吉祥寺のmont-bellにて、山登り用のグッズを揃えた。靴は事前に用意して一度試した。そして、帽子、ネックウォーマー、パーカー、インナー、リュック、靴下などなど。何度か登っていると、やはり装備に不便なことも見えてくる。
それらの品をみながら、僕はだんだんと不安になってきた。「行きすぎてないだろうか」と。まだまだ若輩者の初心者の山に登ったくらいでカッコつけていいものか。そして、「趣味が講じて」と、ハマりすぎるのも違うような気がする。僕が山登りに望んでいることは、自分の心の静けさと癒しなのだから。紅葉が綺麗とか、山頂への達成感とか、そういうものよりも、もっと「懺悔」に近いもののような気がする。外の自然と内なる心が繋がっている。

歩行禅を進める塩沼住職

千日回峰行の塩沼住職の爪の垢を煎じて飲みながら、歩行禅として、友人にその歩数を距離にしてもらった。日本を横断し、果てはヨーロッパの巡礼まで旅をした。4,000㎞にはなっただろうか。1人、細々と。別に誰にも興味をもたれず、だからこそ、自分だけのために気負いすぎず、金魚を愛でるように山を登りたい。

「僕の趣味は、金魚と山登りです」。

おしまい。

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