いじめについて自分なりに考えた

TVでいじめについてとりあげていたのをたまたま見てふと考えた。

「そう言えば自分の小学校ではいじめが無かったな~、」と。

「それと逆で高校はいじめがあったな~。」とも。

その違いは一体何なんだろう?
と、またふと疑問に思った。

小学校の頃も勿論、気の弱い子はいたし、気が強い子もいたし、女子はグループを作って時にはいがみ合っていたし、喧嘩が好きな子もいれば、貧乏な子もいた。今の小学校はわからないけれど、そこまで大きな差は無いんじゃないのかなと思う。

いじめの始まりは多分、些細な喧嘩なのではないかと思われる。喧嘩までいかなくとも、誰かが誰かに対して怒りを表に出すことから始まると思う。

そこでその意見に賛同した人が加わり、相手への攻撃に加わる。そして気付けば人数が増えている。

私の小学校にもここまでは普通にあった。

大体いじめが問題にるなる学校とゆうのは、ここでA vs Bのチームの比率が片方に寄ってしまうのではないかと思った。

なぜなら、私の小学校では、その最初の二人(AとB)のチームの比率が同じくらいだったのである。最初はどんぱちやったとしても、少しすれば落ち着き、お互い良い距離を保つようになったり、仲良くなったりしていた。誰か不登校になることもなかったのはそのおかげだと思う。

誰かが「あいつ、うぜえ」と言えばいつも、
「そうだよね、うざいよね!」と言う人と、
「いや、あいつはすごく良い人だよ」と言う人とが、同じくらいの数いたと記憶している。

今思えば、「誰かをひとりぼっちにさせない」とゆう暗黙の了解みたいなものがあったなと思う。

逆に高校に入ると、いじめのせいで学校を辞めてしまう人もでる環境だった。
私は加わりはしないものの、何もしないとゆう立場をとってしまったことを未だに後悔してたまに思い出す。

あのときどうして辞めた人側についてあげられなかったんだろうと。

正直に言うと、私が辞めた人側についても私の後に誰も続かないだろうと思ってしまったからだ。

周りの人に対する信頼が薄かったんだと、今になって気付いた。

もし小学校の時の友達だったらそんな恐れは生まれてこないだろうと思う。味方したことでひとりぼっちになるとゆう危険が無かったからだ。

だから、いじめの原因は苛める側、苛められる側に問題があると言うより、そのクラスならクラスの一人一人がどれだけ信頼しあっているかとゆう事が問題なのではないかと思った。

TVでよくみるトピックであるいじめ問題。

よく学校の世界は社会の縮図だと言われるが、
子供達から見て、大人とゆうのは人との関係が希薄だとゆう様に見えているのかもしれない。

人との関係の築きかたとゆうのを、私は見直しても良いのかもしれないなと思った。
よく考えてみたら、人との良い関係とゆうのは自分の中でとても漠然としていた。