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パサージュ論-ヴァルター・ベンヤミンの断片から(全3篇 3-1)

パサージュ論-ヴァルター・ベンヤミンの断片から(全3篇)

パサージュ論からのごく私的な断片

19世紀にパリに現れた物質文化からのパサージュ論(ヴァルター・ベンヤミン)、そこから、人の欲望と夢、そして、ユートピアの可能性の考察・・・そこからの断片、まとまりの無い、ごく私的なエッセイ的な断片・・・
パサージュ=都市の近代化に伴い、ここから、発生する人工的なユートピアを目指すかのような空間、これには、思考するアートな空間と感じる。このパサージュ論は、断片の集合であり、ベンヤミンによるコレクションが主体である。資料を放り込んだという袋状の書籍かも知れない・・・

Empty Garden

そして、後日、このメモの断片をEmpty Garden(空虚な庭)として、デヴィッド・リンチのブルー・ベルベット、デレク・ジャーマンの庭と共に、考えてみたい。

パサージュ論からの断片#1

「パサージュは外側のない家か廊下である、夢のように」ベンヤミン
パサージュとは、移行、街路、また、通過点である。
それは、境界を跨ぎ越えることの解釈ともできる。

ベンヤミンの視点では、時代の社会背景からの舞台として、19世紀の都市(Paris)の発生を指す。
「19世紀とは個人的意識が反省的な態度をとりつつ、そういうものとして、より保持されるのに対して、集団的無意識の方は、より深い眠りに落ちていくような時代なのである」と説いた。

ベンヤミンは、資本主義社会が19世紀の都市の隅々に構成し散りばめた幻像(ファンタスマゴリ)に、今後の社会がそれ以上のものを付け加えるのは不可能ではないかという視点と、その後は、「複製の時代」を予想した。(複製技術時代の芸術-ヴァルター・ベンヤミン)
この場合、幻像(ファンタスマゴリ)とは、人やその社会を取り囲む、イメージの集合体だろう。

次回は、パサージュ論からの断片#2 に続きます。そして、パサージュ論からの断片#3 に続きます。

その後、「空虚な庭」として、デヴィッド・リンチのブルー・ベルベット、デレク・ジャーマンの庭と共に、考えてみたい・・お時間の許す折に・・

#パサージュ論の断片 #ヴァルター・ベンヤミン #学術 #複製技術時代の芸術

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