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パサージュ論からの断片#3(3-3)

パサージュ論からの断片#3

ベンヤミンは「パサージュ論」の最後の編集までは、至らなかったといわれるが、完成形態ではないにしても、それは、それで、まとまりを持った作品理解として良いのかも知れない。書物の本質として、線的な時間性が成り立つからだ。

今も移行している。

ただ、その、パサージュは、都市に、また、街に、時間軸と共に存在したままで、今も移行している。

パサージュ(Passage couvert)

(註)一般的には・・
パサージュ(Passage couvert):ガラス屋根で覆われ、両側には商店が立ち並ぶ比較的狭いアーケード街で、18世紀から、19世紀にかけてパリを中心にヨーロッパ各地につくられ、一階部分には商店、その上には個人の住居があった。

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当時の絵葉書

ごく私的な思考回路では:

パサージュ=都市の近代化に伴い、ここから、発生する人工的な「空虚な空間」、これは、なんの空間だろうか・・デヴィット・リンチの映像のように、意味づけや分析はいらないのだろうか。幻像(ファンタスマゴリ)の中には、19世紀のパリの植物園-冬園(室内庭園)が含まれているのが、私的にはうれしい。(フレーム画像がパリの植物園)

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DSCN2992のコピー

Photo - artoday

繰り返すが、人工的なユートピアと考える

19世紀にパリに現れた物質文化からのパサージュ論(ヴァルター・ベンヤミン)、そこから、人の欲望と夢、そして、ユートピアの可能性の考察・・・そこからの断片、まとまりの無い、ごく私的なエッセイ的な断片・・・
パサージュ=都市の近代化に伴い、ここから、発生する人工的なユートピアを目指すかのような空間、これには、思考するアートな空間と感じる。このパサージュ論は、断片の集合であり、ベンヤミンによるコレクションが主体である。資料を放り込んだという袋状の書籍かも知れない・・・
そして、このメモの断片をEmpty Garden(空虚な庭)として、デヴィッド・リンチのブルー・ベルベットデレク・ジャーマンの庭と共に、考えてみたい。

そして、この先に、Empty Garden「空虚な庭=ART MIX」が続きます。

#イメージと文化 #表象文化論 #幻像 #パサージュ論

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