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草枕とオフィーリア

草枕とオフィーリア

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」このフレーズで始まる草枕は、夏目漱石の作品群のなかで旅日記のような小説だ。 
温泉宿に泊まる、画工が語る、「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、そのうえ図々しい、いやな奴で埋まっている。元来何しに世の中へ面をさらしているんだか、解しかねる奴さえいる」そして、印象に残るのが、三章にある、このフレーズだろう。
「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」
旅の画工は、不思議な一面を持つ那美(宿屋の娘)に出会う。「私が身を投げて浮いているところを、―苦しんでいるところじゃないんです―やすやすと往生して浮いているところを、綺麗な画にかいてください。」「え?」「驚いた、驚いた、驚いたでしょう」女はすらりと立ち上がると、三歩にして尽くる部屋を出るとき、顧みてにこりと笑う。

オフィーリアは、長いあいだ憧れとも恐れともつかぬ想いで、ループし続けているイメージである。那美が謎めいた、生と死の美を想定されるかのようなイメージと共に、オフィーリアとしての役割を突如終え、普通の女性としての顔をあらわにした時、物語はそこで終わる。
物語は、そこにループして続いていく、それは、日常ではないからだ。

#イメージと文化 #草枕 #コンテンツ会議 #とは

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