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ビクター・ウィリングの表象を考える

ビクター・ウィリングの表象を考える

ビクター・ウィリング(ヴィクター・ウィリング/Victor Willing,1928-1988/英国の画家)

その作品は、混沌とした社会を絵画での表象している画家だ。
そして、ヌードのリサーチで著名な作家である。
そして、「彼の世代のスポークスマン」と呼ばれた。-David Sylvester CBE (1924- 2001/英国の評論家)


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by Victor Willing

略歴とアートワーク

1928年、エジプトのアレクサンドリアで生まれる(父は軍人)
1940-1945年、ロイヤルグラマースクール。その後、ギルフォード芸術学校で1年間学ぶ。
その後、彼は北アイルランドとドーバーで王立砲兵隊の少尉としてプロジェクトについた。
その後、ロンドン大学のスレイド美術学校(Slade School of Fine Art)に入学したが、1949年に、ギルフォード美術学校に1年間戻る。
そこで、ウィリスーコップ(Willi Soukop,1907-1995/英国の彫刻家)の下で彫刻を学んでいる。当時の仲間はエリザベス・フリンク( Elisabeth Frink CH DBE RA,1930-1993/英国の彫刻家・版画家)だった。彼は、女性の胴体と頭(個人コレクション)の2つの完成した石の彫刻を制作した。
そして、また、ロンドン大学のスレイド美術学校(Slade School of Fine Art)で学んでいる。それは、ウィリアム・コールドストリームが教鞭とったいた時代だ。
その年の仲間には、マイケル・アンドリュース、ヘンリー・インランダー、ジェームズ・バー、そして、ユアン・ウグロ、クレイギー・エイチソン、ポーラ・レゴ、マイルズ・マーフィーたちだった。
ウィリングは、彼の冒険的な才能と知的熱意で仲間の学生から賞賛され、評論家のデビッド・シルベスター (David Sylvester CBE,1924- 2001/英国の評論家) によって「彼の世代のスポークスマン」と呼ばれた。
彼は、1949年にフランシス・ベーコン(Francis Bacon,Francis Bacon、1909 - 1992/イギリスの具象画家)の最初の展覧会の1つに深く魅了されている、その影響も大きだろう。

そして、ポーラ・レゴ(後の妻)は、出産、子育てのため、英国を離れてポルトガルに移住した。

1957年、ポーラ・レゴ(後の妻)は、出産、子育てのため、英国を離れてポルトガルに住んだ。娘のキャロラインが生まれた後、ビクター・ウィリングはその地で彼女に加わる。そして、レゴの両親は協力的だった。そして、二人は家族で静かに暮らすことができた。Ericeira(ポルトガル)で、彼らは描き続けた。
ビクター・ウィリングは、ヘーゼル・ウィッティントン(最初の妻)から、離婚した後、1959年に再婚した。
1962年から、彼らはロンドンに拠点を置き、Camden Townのアルバートストリートに家を構えた、それは、ポーラ・レゴの父であるホセフィゲイロアレゴが彼らに与えた。
ウィリングは2回目の結婚の間、何人かの愛人がおり、その愛人の何人かは、描かれていた。と言うより、モチーフとしてのモデルさんに気持ちが入り込んだのかも知れないが・・・

破壊されたり、塗りつぶされた絵画も多い・・

この時期には、実に多くの絵画が制作された、ただ、ほとんどが破壊されたり、塗りつぶされた。
サバイバル作品は、自画像と立ち姿とヌード(1957;未完成の三連祭壇画の2つの部分)が含まれる。彼の晩年の作品とより密接に関連する、より冒険的であり、不安定な抗力、無題とした、その作品が批評家の友人によって不利に見られたとき、ウィリングは、ひどく落胆し、彼自身が「ずんぐりしたヌード」の絵画に戻ったと述べた。
1980年以降、テートギャラリー(TATE)、アーツカウンシル(Arts Council of Great Britain, ACGB)、サーチコレクション(Saatchi Gallery)などの重要なコレクションに出品された。彼の多くのドローイングも広く展示され、収集されている。
1985年にヘイワードギャラリー(Hayward Gallery)Annual(アーツカウンシル主催)で展示された。ただ、この1980年代は、ビクター・ウィリングの絵画のサイズは、小さくなっているのだ。それは・・・

多発性硬化症で苦しみの日々 - Victor Willing

1966年に多発性硬化症と診断され、1988年6月1日にロンドン北部のハムステッド(Hampstead )の自宅で、長い闘病(多発性硬化症)の末、亡くなる。
1999年にテートギャラリーの「ニューディスプレイ」に5点の作品が出品され、2000年にはロンドンのマールボロファインアートで個展が開催された。
2010年、カスカイス(Cascais/ポルトガル)にあるCasa das Historias Paula Regoで開催された。

その家族に視点を置くと・・・

フェミニストアーティストのポーラ・レゴとの2回目の結婚で、彼には2人の娘と、息子のニック・ウィリング(Nick Willing,1961- /映画やテレビの監督、プロデュース、ライター)がいる。ニック・ウィリングは、2017年に両親についてのテレビ映画Paula Rego、Secrets&Stories(ポーラレゴ、秘密と物語)を監督している。
また、ロン・ミュエク(Ron Mueck, 1958- /イギリスのスーパーリアリズムの彫刻家)は、先妻(ヘーゼル・ウィッティントン)の子息にあたる。才能を感じる一族だ。

VICTOR WILLING FILM

ビクター・ウィリングの紆余曲折(うよきょくせつ)は、その作品で語られている・・・
いずれにしても、残した物は大きい。

・この後、ランダムになりますが、ポーラ・レゴとの子息の映画監督のニック・ウィリングへと家族とアートの視点で続きます。

#学術 #現代アート #ビクター・ウィリング

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