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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト-中間のご報告- 絵画とファッション「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」白いドレスの破壊力について。

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。また、これから、応募ご希望の方も、個々の多様な、、ご自分の視点で、気軽にご応募くださいませ。

・絵画とファッション「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」白いドレスの破壊力について。
タケチヒロミ(Roulottes)さま 応募ありがとうございます。

(評)筆者の視点、そして、その生き方を上手くまとめた、アカデミックなエッセイだ。
作者の白のドレス、その清楚な中に、実に大きな思い入れがある、一枚の絵画が筆者の生き方を導くのだ。
その流れを、TATE(London)や、ラファエロの流れから、自らの視点や言葉で、まとめてある。
そして、後半部に至って、いわゆる「美術史は、後から語られる」という部分に、自らの体験を持って感じる、そして、著名な作者である以前に、また、その時代性でもなく、「作品」からの極が、筆者にとって大切な表象であった、と結んでいる。
それは、現代アートに於いての、まさに、的をついた視点なのだ。
(註)例えばだ、アウトサイダー・アート(アート・ブリッド:障害者や美術教育を受けていない生の美術)について、無名な作者だが、こう言った著名な画家たちとミュージアムに収まる、すごい作家だという評論もある。しかし、そもそもが、一般的なアートとアウトサイダー・アートを分ける必要もないのだ、それは、ここで筆者が書いているように、その「作品」が問題だからだ。
アウトサイダー・アートで著名な、ヘンリー・ダーガーの作品(著書:非現実の王国で/その少女達の挿絵等が没後に著名になる)の発生も、ある意味、少女たちへの偏愛と言えるのだろう。
「白いドレスを着た少女たちを庭で眺めていたい」とヘンリー・ダーガーの没後、発見された作品を比べている訳ではないが、問題は、その作者の視点(極)を反映された「表象された作品」そのものだろう。

筆者の項目をダイジェスト的に追うと・・
・「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」
 ドレスのデザインからもヴィクトリア時代ならではの懐古的でロマンティックな特徴が見て取れ・・
この刻目のいくつかのキーワードに筆者の思い入れがこもっている。
そして、そのロケーションは、つづき、時間軸をヴィクトリア朝の時代(1837-1901)まで遡る。
その時代の名画の解説も付随する。

・ラファエル前派とは。19世紀イギリスなのになぜラファエル?

ここで、筆者は、「ラファエロ(伊)以前の初期ルネサンス絵画を理想とする画家たちの前衛的なムーブメント」の記述の後、イギリス独自のムーブメントに至る。
その解釈のプロセスも、誰にでも分かりやすい。       
(註)ラファエルは、英語読み-Raphael

そして、16世紀のラファエロ(イタリア語読み)については、おがたさわ氏の文章につながる。

・絵画とファッション
この項目では、その時代とファッションのあり方を解説している。白いウェディングドレスの始点だ。
「ヴィクトリア女王が結婚式を挙げたのが1840年。これをきっかけに、女王が結婚式で着た純白のドレスが婚礼衣装として広まりました。現在の白いウェディングドレスの始まりの時代です。」
そして、当時、欧州で流行したジャポニズム文化にも触れている、この部分の範囲は、絵画皆ならず、初期の写真、また、当初のカラー写真であるオートクロームにも、大きな影響を与えているのだ。
筆者は、その学際的(知の共有)なイメージと文化面も押されている。
そして、「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」はどうも「ラファエル前派」ではなく、作者、サージェントは実はアメリカ人であり、「印象派」と・・・と結ぶ。
いわゆる、美術史は後から語られるという部分だろう。
「この美しい絵がこの世に生まれ、時間と国を超えて巡り逢えたことが尊い。」
問題は、受け手が感じる作品の極なのだ。

・この絵に魅せられた女の数奇な運命
それ以降、筆者は、「白いドレスを着た少女を庭で眺めていたい」
そして、デザイナーでもある筆者は、それまで秘めたる表象の視点(極)をウェディングドレスとして、形状化していく訳だ。
「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(Carnation, Lily, Lily, Rose) - John Singer Sargent(1856-1925)
一枚の絵画が、動機付けとなり、筆者の才能も合間って、ウェディングドレスに向けられる、その視点と表象を賛美したい、そんなプロセスのあるロジックで書かれたエッセイだ。「どこへ、インテリジェンスを置くか?」この視点が筆者の生き方への重心だろう。

(今後のお知らせ)
このコンテスト #2020年秋の美術・芸術  は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画をされている秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。         
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間は、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にシフト致します。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。(註) #2020年秋の美術・芸術  は全角ですので、よろしくお願い致します。


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