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女性写真家ヴィヴィアン・マイヤーの視点への推測

ヴィヴィアン・マイヤー(ビビアン・ドロシー・マイヤー/Vivian Dorothy Maier,1926 -2009/US)
アメリカの女性フォトグラファー。
優れたストリート写真の作品を、実に15万枚以上の写真を撮影していたが、その作品を一切、世に発表しなかった謎の写真家。それがヴィヴィアン・マイヤーだ。

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今回は、その経歴から、私的にヴィヴィアン・マイヤーの視点をランダムな解釈で推測する。(ドキュメンタリー映画と、この解釈は、それとは異なるが・・ただ、映画も実に良く創られている)

「略歴」-Vivian Maierの略歴
ここで、正確な略歴は書けない。それは、ほとんどの情報が残っていないからだ。
それは、ヴィヴィアン・マイヤーの意図的なことかも知れないが、生涯独身で、特に友人もいた訳ではなく、大柄な体格だったことやその肖像は、自らのフィルムから判明できる。
ただ、1926年2月1日、ニューヨーク市生まれ、母マリア・ジャソード・ジャスティン(フランス人)と父はチャールズ・マイヤー(オーストリア-鉄鋼技師)という事らしい。(この出生記録が正確であれば、そうだ)、また、1930年の全米の国勢調査によれば、ボストン滞在時のマイヤーの一家の世帯主は、写真家のジャンル・ベルトランと記録されている。
確定されない情報だが、続けよう・・

1951年、マイヤーが25歳のときにニューヨークの工場で働き始める。
1958年、ノースショア(シカゴ)へ移る、それ以降、40年間、ベビーシッターや、期間的にわずかだが、介護関係の仕事で生活を立てていた様子だ。そのノースショアという地は、風光明媚、そして、比較的に裕福なコミュニティと言われている。
(1)ヘンリー・ダーガーが、ヴィヴィアン・マイヤーの生き方の問題への影響を与えているのではないだろうか?
それは、推測でしかないのだが・・
この同時代に、シカゴには、ヘンリー・ダーガー(Henry Joseph Darger, Jr. , 1892-1973/著書-非現実の王国で/アウトサイダー・アート)も住んでいたと言うことだ。二人に時間的な接点はある、ただ、ヘンリー・ダーガーが、世に知られるのも1973年の没後だが、それ以降となると、その視点や情報も入っていただろう。
ただ、ヴィヴィアン・マイヤーは、ヘンリー・ダーガーとは違い、自ら写真を公表しようというメモや、新聞広告まであるらしいのだが、最後の一押しが出来ない事で、頑なに謎の人物と、なっていったのかも知れない。

当時、マイヤーに、ベビーシッターをお願いした家族の証言では(この部分は、TVで紹介され、後日、ドキュメンター映画の部分にもなる)
「子どもたちを、説教(メアリー・ポピンズとは違う)はせず、よく、緑の豊かな郊外の世界に連れていって、外の世界について勉強させていた。」

(2)そして、「*ローライフレックス(Rolleiflex/二眼レフ)を持ち、マイヤーは、休日のたいていは、シカゴの通りを散歩しながら写真を撮っていた」と語る。
(註)*ローライフレックス(Rolleiflex)等の二眼レフは、構造的に上から覗くので隠し撮りもできるのだ。だから、バストショットとなる作品も・・

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(c)Vivian Dorothy Maier

そして、1970年代の短い期間、ヴィヴィアン・マイヤーは、トークショーの司会者フィル・ドナヒュー(Phil Donahue)の家政婦として働いていた。その証言からは、晩年のヴィヴィアン・マイヤーは、物を捨てられない女性だったらしい、ただ、その多くは写真のネガだったが、8mmフィルム、そして、*16mmフィルムだ、そして、撮影した人たちと会話したときの録音テープ(カセット)も大量にあったと言われる。
(3)16mmフィルム、これは、この時代(1970年代)には、報道として、放送あるいは業務にしか使われていない時代だ。
それは、同時代のジョナス・メカス(Jonas Mekas,1922-2019/映像作家・評論・詩人)の影響もあるのかも知れない。
(註)*16mmフィルム:このあたりは、後日、当時のインディーズ系の16mm映画等での、そのメカニカル面も含めた周辺をご紹介いたします。そして、ヴィヴィアン・マイヤーの16mmフォルムのコンテンツは、ある意味、インディーズ系のジョナス・メカス-Filmのようであり、また、ドキュメンタリー記録映像のようでもある。

 晩年は、そのドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(ジョン・マルーフ監督)からも、ベビーシッターされた方々の証言からも、トラブルや、貧しく、狂気さえも感じる回想シーンもあるのだが・・・ただ、それは、映画だからなのか?

(4)そして、付け加えるなら、コレクターのジョン・マルーフ(John Maloof)氏については、米国の著作権法では、写真の所有権は「著作権の所有権」とは別であると言われる、論争も。(これは、おま言うになるが)
ただ、この人物がいなかったら・・・

また、映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」の監督はジョン・マルーフ氏だ。
いずれにしてもだ、ヴィヴィアン・マイヤーの功績は、世界の人々や、現在の女性アーティストに勇気を与える。

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映画のようにはいかず、資料もほぼなく、ごく私的な推測の域で、ランダムな文章になってしまった。
ただ、その写真は、まさに、家政婦は見た・・・

(註)Vivian Maierの写真集は、Amazonから購入、また、Amazonサイトから内容の一部を見る事ができます。

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」- Trailer


(追記)ヴィヴィアン・マイヤー自身のドキュメンタリー映画(2013/日本では、2015-イメージフォーラム)が出るなど、次々に歴史にその名を刻んでいる。没後に著名になり、世界の人々や、アートをなさる女性に大きな勇気を与えてくれた筈だ、晩年まで、ある意味、頑なに強い生き方を尽くし、それが没後、功を成したと言える、女性フォトグラファーだ。
なお、写真作品集「Street Photographer」はAmazon洋書の写真部門で一位を獲得している。
私も、こんな乳母、いや、母親のもとで育っていればだ・・いや、もう遅いが・・


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