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生きるって難しい。

こんにちは、わをんです。ただ誕生し、周りの人を見ながら大きくなり、少しずつ自分の世界を広げていく、この人の世界。

ただ生きていく事が、すごく難しい。

これが一冊の本だったら。
最初のページが始まりで、終わりのページまで何ページの人生か、と手に取った瞬間に分る。

これが映画だったら。
何時間でどんなあらすじなのか、見る前から宣伝で知っている。

これがゲームだったら。
システムやシナリオ・ゲームの目的を理解しながらプレイする。

じゃあ、人間の人生は?
誰かに教えてもらえるような目的はない。何をやっても自由。働くも勉強するも、何を楽しみにするのかも、すべてが自由だ。

自由だからって何をしてもいいわけじゃない。
人に害を与える事。自分だけが良い思いをしようと人に悪意を働くこと。基本的にそういうことが駄目なことだ。

私が産まれて以降、ずっと住んでいるこの日本という国は大災害に飲み込まれてきた。そしてそれをなんとか乗り越えてきた。幸いにも戦争はなかった。義務教育を受けて当たり前。いつか職についてして当たり前。多くの人は当たり前と言う常識のレールに乗って、行動していた。

そしていつしか、そのレールから外れる行動をとる人が大部分になった。
不登校・ひきこもり。今は各学級に一人二人の不登校がいて当たり前。教室に入れないと嘆く児童・生徒がいて当たり前だ。

就職問題。学校を卒業して就職しようと思っても思うように就職活動ができず、正社員として働くことができなかったり。決して高望みをしているわけでなく、パートタイマーやアルバイトとしてしか働けないという人が多くなってしまった。企業側が安くて便利な道具としての人材しか求めていない利己主義に走っている。

生活面でも、結婚生活が耐えられず、離婚したくてもできない人。あるいは熟年離婚したけど、その後の生活が思う程年金がもらえないなどの問題や離婚再婚を繰り返す一部の人たち。

生活と言う土台・基礎がしっかりしているからこそ、人生が成熟し豊かに成長できるのであって、食べることに全エネルギーを集結しなくてはいけないような人生をずっと過ごしているのなら、その生に何の意味が?

コロナ渦で最後の大打撃を食らい、住居費を払えなくなって、野宿を始めた人が炊き出しに並んでその日初めての食事にやっとありつけたという報道を見た。

近所の子ども食堂には、とあるシングルマザーが子連れで来て、温かくて栄養バランスのとれた食事がこんなに安価で食べれるなんて!と日参していると聞いた。そこでは米5キロを無料で配布している試みも始めたと。

この国の公共性はこれからどうなってしまうのか?家がない人が食べ物を求めて炊き出しに並ぶ?いつまで?

この人たちのための公共事業を今すぐにでも始めるべきでは?安心して住める家、1日3度の食事。オリンピックで捨てられたお弁当はこういう人たちに配布することもできなかったの?保管にお金がかかるからと捨てられたマスク代はこういう人たちのためのお金にならなかったの?

今までの人生に何があって、路上生活になったのかはっきり言って分からない。この人たちが過去に不正・犯罪行為に携わっていて生活が困窮する結果に結びついたのかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。

この人たちに落ち度がなく、たまたまこの時代に生まれたから、この生活をすることになったとしたら?

それはその人のごうだ。宿命・運命・星回り。いろんな言い方ができるけど、結局は等価交換で結ばれるような原因と結果としてはっきりわかるモノなんて、何もない。

日々の私の苦労なんかこの人たちにとってすれば些細な事だ。でも日々の私の悩みだって、私には大きなものだ。

生きていればいろんな悩みがある。生きるって難しい。




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