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「上手い」だけではつまらない

どんな人でも、自分の不出来さに不甲斐ない気持ちになることがあるでしょう。

しかし、自分なりの個性があれば、「上手」「下手」という枠を超え、唯一無二の存在として評価されることがあります。

その典型例のような画家が、アンリ・ルソーです。

ルソーはもともと税関史で、画家デビューは何と41歳。正規の絵画教育はほとんど受けたことがありません。
そのためルソーの絵は良く言えば素朴、悪く言えば稚拙な仕上がりのものばかりです。

彼について検索すると、「ヘタウマ」、「素朴派」、「日曜画家」といったワードが山のように出てきます。その理由は絵を見れば納得です。

 

フットボールをする人々

この絵では、人々は盆踊りを踊っているかのような奇妙な動きをしています。
『フットボールをする人々』という題名がなければ何をしているのかよく分かりません。遠近感もめちゃくちゃです。


風景の中の自画像

こちらは『風景の中の自画像』。画家の異様な大きさが目を引きます。
一方、川辺にいる人々は異様に小さく、画家の大きさが強調されています。
気球や万国旗といったカラフルなモチーフもあって、子ども向けの絵本のような、ファンタジックな光景です。
 

ご覧のように、ルソーの絵はあまりに独創的です。
1886年に彼が初めて展覧会に出展したとき、絵の前で聴衆が笑い転げていたというエピソードがあります。
現代の展覧会で笑い転げている人は滅多に見かけませんから、当時はよっぽどインパクトがあったのでしょう。
 

ルソーは落書きをするかのように自由気ままに描いているように見えますが、わざとヘタウマに描いたわけではありません。
彼な意外にもリアルに描くことにこだわっていました。

たとえば肖像画を描くときは、縮尺を正確に表現するため、人物をメジャーで細かく採寸していました。
下の『詩人に霊感を与えるミューズ』を描くときにもメジャーを使っています。

『詩人に霊感を与えるミューズ』

描かれているのは、詩人アポリネールとその恋人のマリー・ローランサン。
ローランサンは、詩人にインスピレーションを与える女神に見立てられていますが、女神はこの絵が気に入らなかったそうです(彼女の気持ちがよく分かります)。

 

熱帯嵐のなかのトラ

こちらの絵で注目すべきは、植物の表現です。
よく見ると植物の種類毎に色が塗り分けられており、様々な色相の緑が使われています。
よく見ると葉脈まで描かれているものもあります。
葉っぱがほとんど正面を向いているところは素人っぽいですが、対象を丁寧に描こうとする姿勢が見て取れます。

彼は故郷フランスを出たことがなかったため、熱帯のイメージを作り出すため、身近な動物や植物を熱心に観察していました。
ルソーは近所の動物園や植物園に足しげく通い、観察とデッサンを何度も繰り返したのです。


ルソーが描くものは、人物も動物も植物も、どれも決して本物そっくりとはいえません。
それでも彼の絵には、リアルな表現に自力で辿りつこうとした痕跡があります。
この下手と上手いの絶妙なバランスが、ルソーの絵の魅力です。

ルソーがもっと下手だったら、ただの下手な絵になりかねません。
逆にルソーのデッサンがとても上手になってしまったら、何の印象も残らない作品になっていたでしょう。

制作熱心で未熟なアンリ・ルソーだからこそ、一度観たら忘れられない幻想的な世界が表現できたのです。


ルソーが最も世間に評価されたのは、『夢』という作品です。

この絵には詩人アポリネールによる副題が付けられています。

「夢 美しい夢の中でヤドヴィガは、優しく眠りにつき、善意の蛇使いが奏でる笛の音を聞く   月が花、青々とした木々に映ると、野生の蛇が楽器の楽しい音に耳を貸す」

部屋でまどろんでいた女性、ヤドヴィガは、蛇遣いの奏でる妖しい音色に導かれて、月夜のジャングルにやってきます。
ヤドヴィガは画家のかつての愛人。蛇遣いは画家自身なのでしょうか。
蛇遣いの笛の音は、鑑賞者の私たちをもジャングルに引き込みます。

ルソーが描き出す、現実にありそうでない不思議な光景は、まさに「夢」の世界にぴったり。
ルソーが「ヘタウマ」だったからこそ生まれた傑作です。

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