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やはり炭鉱の街であること

こんにちは、アーツトンネルの高木です。

4月28日現在、アーツトンネルは福岡市にあるアーティストカフェで展示を行っています。

アーティストカフェでの展示は、中村禎仁と長野聡史がそれぞれの作品を展示しています。

また、会場内には代表である佐土嶋洋佳、そして、メンバーの一人であるmaruikoのポストカードなどを展示販売しています。

そして、4月29日(月・祝)には、インディペンデント・キュレーターである原田真紀さんをゲストにお迎えしたトークイベントを開催します!

トークイベントは、田川のartを振り返りつつ、現在のアーツトンネルの活動を通して「筑豊でartする」ことを明らかにしていくことがテーマです。

事前の打ち合わせでは、田川市美術館の元学芸員でもある原田さんから、田川の美術について、様々なことをお話いただきました。

田川のartを振り返るとそこには炭鉱が・・・

福岡県にある筑豊地域は産炭地として栄えました。しかし、閉山とともに衰退し、現在に至っています。

田川はその筑豊の中でも主要な炭鉱があった地域。良質な石炭を求め、三井などの財閥が進出し、お金と人が集まってきました。

人が集まれば、文化的な活動も活発になります。

当時、田川の主要産業であった炭鉱。その中心にいた三井炭鉱の有志たちは、絵画や美術の同好会を立ち上げます。そして、それが田川のartにつながっていくのです。

アーティスト川俣正

原田さんとトークのポイントを探っていく中で、何人かのキーパーソンが、田川のartに影響していることがわかりました。

川俣正さんは、そのキーパーソンの一人。というか、川俣さんは日本の現代美術においてもキーパーソンの一人です。

インスタレーションアートの第一人者である川俣正さんは、炭坑で何かプロジェクトをしたいと考えていました。

鉄の加工や蒸気機関など、産業革命や技術革新には、石炭の存在があります。

石炭があることで、人は効率的にエネルギーを生み出し、進化する事ができた、あるいは、進化のスピードを早めることが出来たと言っても過言ではありません。

1996年、川俣さんはコールマインプロジェクト田川を立ち上げます。

そこで、北九州の鉄のアーティストとして活躍していた母里聖徳さんが、そのプロジェクトのアテンドをすることになり、母里さんの奥様の実家である田川の老舗の料亭である「あをぎり」がその拠点となったのです。

アーティスト立石大河亞

田川市出身の立石大河亞さんは、1994年、初めて美術館で個展を開催しました。立石さんは世界的なアーティストでしたが、その作品発表の場は、ギャラリーなどが中心でした。

公的な機関である美術館で初めてとなる個展を担当したのが、2024年4月から田川市美術館館長となった工藤健志さんでした。

工藤さんは田川市美術館が初めて採用した学芸員です。そして1996年に原田さんが学芸員として採用されます。

田川市美術館には立石大河亞の作品が多く所蔵されていて、2023年に関東で巡回していた大・タイガー展においても作品が貸し出されました。

アーツトンネルにつながる?

こういった歴史があり、そこからつながったり、つながらなかったりして、アーツトンネルの設立があります。

詳しくは、4月29日(月・祝)のトークイベントの後に、記事にまとめたいと思っています。

ちなみに、いいかねPaletteは、田川のartの文脈と、田川の音楽の文脈が交わっている施設でもあるなあと感じています。

田川の音楽の文脈についても、誰かトークしてほしいですね。今回は以上です。

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