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File.21 元「ギネス認定最年少イリュージョニスト」が大人として描く夢は 山上暁之進さん(イリュージョニスト)

2000年代初頭、「てじなーにゃ」のフレーズとともにテレビに数多く出演、一世を風靡したイリュージョニストの山上兄弟。二人は今も現役でイリュージョンを披露しつつ、さらに声優、俳優業などもこなして、その活躍の場を広げている。あの人たちの「今」について、山上兄弟の「弟」である暁之進さんにお話を伺った。
取材・文=青木直哉(「旅とジャグリングの雑誌:PONTE」編集長)

山上兄弟2020兄・佳之介(左)との「山上兄弟」

——インタビュアーの私は1991年生まれの29歳、テレビでも小さい頃から活躍を拝見していました。私の世代の人なら、誰に聞いても「てじなーにゃ」と言えば通じます。ただ、人に会うたびに小さい頃のことを言われたりして、嫌な思いをしたりはしなかったですか。

「嫌だ」と思うことはないですね。「あ、まだやってたんだ!」と言われると、「いや、やっとるわい!」とは思いますが……(笑)。むしろ近所の子供を見るように、「大きくなったね」と言われたり、「てじなーにゃ」と言えば多くの方がご存知なのは、本当にありがたいです。

——当時はみんなテレビを見ていましたもんね。今はどのようなお仕事をされているんですか。

変わらず兄弟でイリュージョンをやりながら活動していますよ。新宿末廣亭や浅草演芸ホールなどの寄席にも出演しています。

——やはりイリュージョンの仕事が多いのでしょうか?

そうですね、基本はイリュージョンのパフォーマンスです。時々タレントさんにお教えしたり、声優、俳優業などもやっています。

——マジックはいつから始められたんですか。

5歳の時です。マジック自体は兄(山上佳之介さん)が先に始めていて。マジシャンの父の公演に兄が子役として出ていたんですが、それを客席で見ていたら、「僕もやりたい」と。……言ったみたいです(笑)。あんまり覚えていないんですけど。結果、半年後の2001年4月にデビューしました。

——憧れてからデビューまでが早い。マジックはお父様に教わったんでしょうか。

そうですね、父が「こう動くんだよ」とネタを教えてくれました。ただ、技術よりは、礼儀、マナーの指導の方がはるかに多かったです。マジックは自分で練習しておけ、と。当時はものすごく忙しくて、練習する時間もそれほどなかったんですよね。テレビに出演していて、CM中にトランプマジックを教わる、なんていうこともザラでした。

——すごいですね。

イリュージョンも実はあんまり練習しすぎると逆によくないんです。道具が壊れやすくて。それでいて車1台が買えるような値段の装置もあったりして。中に入る役だった僕は、当日にやり方を教わって、2、3回練習して、あとはもうぶっつけ本番だったりしました。故障した時は基本的に家で父が修理するんですが、修理の回数を少しでも減らしたかったんです。あと当時、成長期で、本番になる頃には身体が大きくなっていて、もう次は入れない、なんてこともありましたね。同じイリュージョンの装置にも、2代目、3代目があったりして。

——装置そのものに関する苦労もあるんですね。マジック以外のことをやりたいと思ったことや、今、そのように思うことはありますか。

小学生の時から「将来の夢は野球選手」と言っていたり、なんでもいいや、ぐらいの感じではいました。でも、マジックが嫌だと思ったことはないです。やめようとも思わないですね。これが主軸であるべきですし、他のことに替えたいとも思わないです。ただ声優、舞台、ドラマ、映画と言った別の芸能の仕事はこれからもしていきたいですね。

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——小さい頃から今までいろいろなことを経験されていると思うのですが、特別、面白かった仕事はなんでしょう。

小学生の時は毎日いろんなところに行って、夏休みもほぼ無しで全国を回っていましたが、特段面白かったことというのは……なかったんですよね(笑)。観光をする余裕なんてなくて。大阪の現場から京都の現場へ、そのまますぐ東京に帰ってくる、みたいなこともよくありました。
最近の方が面白いかもしれないです。企業のパーティで、車の部品を使ってマジックをして欲しい、と頼まれたり、数年前のテレビの企画で、お金を持たずに兄弟でカンボジアに行く企画なんかもありましたね。ストリートでマジックをして稼いで、目的地まで行くんですよ。自分で稼ぐ以外には水すら与えられない、という大変な企画でした。だけどカンボジアの方々は、自分の生活だって厳しそうに見える方でも、すごく親身に、水やお金をたくさんくださるんですよ。心の綺麗な、豊かな国だと思いましたね。

——稽古は普段どのようにしているのでしょうか。

練習することがある時は、事務所の下の倉庫でやっています。たとえば寄席で新しいコンビマジックを披露する場合とか。でも、失敗しない程度まで練習したら、あとは本番で披露してしまうことも多くて。見せるまでは、反応や反省点なども分からないですから。イリュージョンでも、音楽に合わせてやる時は決まった尺があるので練習しますが、やりすぎると壊れるので、箱は使わずに動きだけを練習したり。それこそ、タイミングや動きを入念に話しあって、あとは本番でそのままやろう、なんて時もあります。

——それは意外ですね……。寄席の仕事は現在(2020年10月取材時点)あるんでしょうか。

6月から、ソーシャルディスタンスを保ちながら月に5〜10日ぐらい興業がありますよ。寄席は見慣れているお客さんも多くて、ネタおろしには最適ですね。出させていただけることが本当にありがたいです。

——やはりコロナ禍の影響は大きかったですか。

凄まじかったですよ。3月から10月ぐらいまで、お仕事は全部キャンセルでした。

——生活の変化もありましたか。

3月からの3ヶ月は、YouTubeの更新はしていましたが、ほとんど家に篭りきりで。お金に関しては国から出た持続化給付金を切り崩しながらの生活で、自粛が明けた時に向けて準備をするしかなかったですね。

——デビュー以来、そんなに期間が空いたことはなかったですよね。

ないですね……。コンスタントに月に何回か仕事があって、寄席にも絶対に行っていましたから。久々に出演したら、兄弟揃って感覚が狂っていました。ただ面白かったのは、手が全然回らなくてヤバイな、と思ったものの、口だけはどんどん回った、ということですね(笑)。長年やっているので、そういう対応は身についていて。

——そこだけは変わらないんですね(笑)。では最後に、今後の展望はありますか?

作品を映像にしたいということと、ラスベガスで公演をすることですね。日本で収まるのはもったいない、海外でもやりたい、と僕が思い始めていて。それとオリンピックの開会式、閉会式のような大きなイベントにも出られたら、という構想もあります。なので演出を手掛けるような方々に送る映像の資料を作りたいということもあって。

——ラスベガスに行かれたことはあるのでしょうか?

ありますよ。子供の頃ゲストとして呼ばれて出演した事もありますし、マジックのコンテストに出た事もあります。ラスベガスは、イリュージョンも何もかもダイナミックですよね。特定の人のためにステージを作ることもあって、ステージの段階から既に世界観ができていたり。大人になった今、もう一度、改めて挑戦したい。ただ、当時は子供ということが真新しかったから受け入れられていたけど、今はもう大人ですからね。何ができるのか、と問われた時、テーマとして、「日本の素晴らしさ」と「イリュージョン」を掛け合わせたものが海外で公演できたら、と思っています。逆に海外での活躍を逆輸入するような形で、日本の方にもまた、僕たちのことを知っていただけたら、とも思っています。日本での仕事、テレビ、俳優、声優の仕事ももちろん続けていくつもりです。
本当に今、皆さん大変な時期ですが、今回支援していただいたお金で、次のイリュージョンを制作したり、メンテナンスしたりに充てられるのも、とてもありがたいです。収入がないと何もできないですからね。

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イリュージョンの世界だけでなく他の分野でも着実に活躍を続ける暁之進さん。子供の頃の姿が強く印象に残っていただけに、大人になった今、世界にむけた夢を語る姿が余計に頼もしく見えた。

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山上暁之進(やまがみ・あきのしん)
2001年に「山上兄弟」としてデビュー。翌年、世界最年少イリュージョンニストとしてギネスブックに認定される。2003年、第22回FISMイリュージョン部門4位入賞。「てじなーにゃ」のキャッチフレーズでさまざまなメディアに取り上げられ一世を風靡する。2008年2月、イギリスで開催されたジュニアワールドマジックチャンピオンシップでグランプリを獲得。舞台出演、声優などさまざまなジャンルで活躍。現在は落語芸術協会に加入、寄席にも出演している。
公式サイト http://witch-magic.com/yamagami-b.html

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