見出し画像

川崎フロンターレ歴代外国籍選手列伝(2004ー)

どうも!かわこと申します!

なにやらJサポ界隈でタピオカミルクティー並みに流行していて、各クラブのサポがここぞとばかりにnoteにまとめているこの外国籍選手を振り返るやつ、こりゃ便乗するしかねえ!!!!パクるしかねえ!!!てことでやります。サポ歴が浅いのでなんとか記憶に残っている2004シーズン以降で思い出してみます。
(あんま記憶にないなって選手と在日枠の選手、つまり外国籍選手と言っておきながらブラジル人のみ。まだ在籍している選手は除いています)

ついてこい!!!!!!!

アウグスト(2003−2005)

今思えば川崎フロンターレ伝統の「超攻撃的サイドバック」の源流とも言える選手で在籍した3年間で30ゴールを記録していた。不思議とエウシーニョがまともに見える。当時、見ていた印象は「めちゃくちゃ走ってる人」だった。小学生の頃に見ていた選手なのでそこまで細かくプレーを覚えているわけじゃないのであまり喋れることはない。それでも、鹿島で優勝して、当時J2の川崎に移籍してきて、昇格に貢献したという点でフロンターレの歴史を語る上で欠かせない人物。
3年前くらいにクラブ創設20周年ということでOBマッチに参加するために来日していたんだけど、体がいい感じにおじいちゃんに近づいていた。

なぜ上裸だったのかは知らない。

マルクス(2004-2006)

当時の新潟のエースがなぜか川崎にきてジュニーニョ、我那覇と共に敵の守備を蹂躙しまくってた記憶しかない。守備はしたくないけど攻撃ではめちゃくちゃ楽しそうにするブラジル人の典型みたいな選手。守備をちゃんとさせたい関塚監督の時に干され気味になってシーズン途中に出て行った。ブラジル人は気分屋、というイメージがついたのはこの人のおかげ(せい)である。

フッキ(2005)

パッとしなかった。川崎で活躍できず札幌に行ったわけだがまさかあんな出世するとは露ほども思わなかった。川崎時代の印象は正直ほぼない、印象としてあるのはACLで毎試合恩返し弾をする上海上港の赤いユニフォームを纏ったゴリゴリのフッキの姿である。「それをうちでやれ」と何度思ったか数えきれない。「もしかしたらうちにいたフッキと上海にいるフッキは別人だったんじゃないか」「今、目の前でうちのゴールを揺らしたフッキという選手は生き別れの双子の兄の方なのではないか」と色々思案してみるがピッチ内で中村憲剛といちゃついているのを見て「やっぱり俺たちのフッキだ!!!(失点の悔しさに涙を流しながら)」となるのが近年のACLを見る時の恒例行事になっている。C契約だったブラジル人の青年ももう32歳。どうりで俺も大学生になっているわけだ。

マルコン(2006)

風のように加入し風のように退団した。アウグストの代役って触れ込みで来たサイドバックだけど開幕戦でアシストをしていた以外、記憶にございません。(汚職報道の渦中にいる議員風に)
元気でやってるか?毎日ご飯食べてる?彼女はできた?ちゃんと大学行ってる?

マギヌン(2006-2007)

ゴールパフォーマンス、通称「カニダンス」でおなじみのマギヌン。今思えばかなり煽り能力の高いゴールパフォーマンスだった。今あれをやったら間違いなく西大伍あたりに後ろから蹴られると思う。日本語喋れて面白いやつで得点力、スピードもあって(某マルクスの後に来ただけに)「これは優良ブラジル人や!!」と思った矢先に名古屋に移籍。怪我のタイミングが悪くて契約更新が白紙になったみたいな話を聞いたけどどうなんだろうね。顔が可愛い。

舐め腐っていて一周回って好き。

レナチーニョ(2008-2010)

関塚政権になって、守備させたい関塚と守備したくないレナチーニョの間で確執があり、練習ボイコットを繰り返しそのまま退団したイメージが強い。得点を量産していたし実力的には当たりの助っ人外国人だっただけにその辺が残念だった。まあ若かったよな。
今はVONDS市原で頑張ってる模様。アマチュアの社会人リーグにレナチーニョは普通に反則だと思うんだが。

ヴィトール・ジュニオール(2008-2010)

そこそこ活躍していたんだが、年俸の要求が高くなって金銭の折り合いがつかず退団。途中で「あれ、こんなに払うなら山瀬でよくね?」という事実に気づいてしまった。同期入団のレナチーニョの陰に隠れてしまった感は否めない。ダミアンが川崎移籍を発表した際のインスタの投稿に「フロンターレは素晴らしいクラブだよ、頑張れブラザー」みたいなことコメントに書いていたのでいい奴なのは間違いない。(なお現在は非公開アカウント)

ジュニーニョ(2003-2011)

川崎フロンターレで355試合に出場214ゴールを記録した川崎のレジェンド「川崎の太陽」(「川崎の遅刻王」)と呼ばれ、小林悠は彼を師匠と呼ぶ、正真正銘のエースストライカー。彼なしでは川崎フロンターレはここまで大きくならなかっただろう。中村憲剛のパススキルを伸ばしたのは他でもないジュニーニョであり、彼の要求に応えていくにつれて今では憲剛の代名詞であるスルーパスのレベルは向上した。当時、小学生だった俺がジュニーニョを見て心に浮かんだ言葉は「無慈悲」であり、ひたすら嘘みたいなスーパーゴールを決めまくっていた。フロンターレの全盛期を支えたジュニーニョ、我那覇、鄭大世の3トップによる個でぶん殴るカウンターサッカーはクソサッカーでしかなかったが最高に楽しかった。あの時代に比べればいまのフロンターレはなんて美しいサッカーをしているんだろうか。イメージでいえばスペアリブを塩胡椒だけふって炭火で焼いてかぶりついていた感じで、いまはおしゃれなフレンチレストランでオードブルやらポワレやらを食べる感覚だ。たまにあのジャンキーなクソサッカーが恋しくなる。
カウンターでとりあえずジュニーニョにボール渡しとけば1人で決め切る力もあったし、高精度クロスでアシストもできるスーパーさは世界に知れ渡り、バルセロナから獲得の打診や、レアル・ベティスからオファーもあったが男気残留をした男の中の男、いや、漢である。契約満了による退団発表があった際、サポーターの中から「等々力にジュニーニョ像を建てよう」の声があがり、その声はすぐに大きなものになり、これは本当に銅像が建つのではと思った矢先にまさかの鹿島アントラーズへ移籍。銅像計画は水の泡となって消えた。そしてジュニーニョがレジェンドたる所以はもう一つ。めちゃくちゃ遅刻魔なのである。「合宿に6日遅刻して合流」「集合時間に大抵こない」「荷物がまとまらず帰国日が延期になりお見送りにきたサポーター、そして横浜FMのGK飯倉大樹*1が成田空港に取り残される」など遅刻魔として数々の伝説(詳しくはでにむ氏のToggetterを参照)を残してきたことから「ジュニる」(遅刻をする)という言葉がクラブ公式に爆誕ししまったほど。そういうところもジュニらしくていいね、なんて甘やかしてしまったサポーターも悪いが、それでもやっぱり憎めないやつなんだ。またプレーが見たいよジュニーニョ。ちなみに鹿島では遅刻しなかったらしい。なんでやねん。

パトリック(2013)

広島でブイブイ言わせているパトリックだが実は来日してキャリアをスタートさせたのは川崎フロンターレ。だが2013シーズンの半年だけ。インタビューやゴールパフォーマンスをみるに、川崎にいたことを黒歴史にしてなかったことにしようとしている節がある。

ジェシ(2012-2014)

3シーズンしか在籍していなかったのに10年いた?と錯覚するほどサポーターに愛された選手。CBとしてチームを支え、声を出して選手たちを鼓舞する熱血漢で、キャプテンシーがものすごく高く、文字通り記録ではなくみんなの心に、記憶に残る選手だった。お父さんみたいな温かさと頼もしさがあり、ファンサービスやインタビューの受け答えがとても誠実な紳士だった。どこかのジュニなんちゃらとは違い、真面目でブラジル人のイメージを変えてくれた選手。ちなみに後述する川崎移籍の話がきていたエドゥアルド・ネットの背中を押し、斡旋してくれたのもジェシ。カッコ良すぎるぜ兄貴・・・
今は現役引退してパリピに。

レナト(2012-2015)

FKをめちゃくちゃ決めるし、ドリブルで相手選手を抜きまくるし、ゴラッソ連発するしでジュニーニョに並ぶチート選手だったのでとりあえずレナトにボールを渡せばなんとかなるみたいな雰囲気がすごかった。あとちっちゃくて可愛い。武岡優斗(現・甲府)の対人守備は紅白戦でマッチアップしていたレナトによって鍛えられたもの。中国クラブからオファーがあった際、「この額は流石に払えないだろう」と移籍金を6億円(当時のJリーグ最高額)に設定したところあっさり満額支払われ移籍。手痛い放出になったが現在のクラブハウスはその移籍金によって建てられたとも。レナト=6億円、6億円=クラブハウス、つまりあのクラブハウス=レナトである。ありがとうレナト。おかげでみんな快適だよ(きっと)
仙豆っていう謎の豆を食って、怪我を一瞬で治す能力の持ち主。

レナトのヤバさは動画で見てもらったほうが早いのでこちらをどうぞ。


レナト。

パウリーニョ(2014)

栃木SCからステップアップしてきたものの風間大僧正の論理についていけず1年で退団。完全に「ちょっと何言ってるかわからない」状態だった。そして夢を叶えに千葉へ。(結果夢を叶えられたかは不明)
でも、川崎を出てからは活躍できているのでうちで活躍できなかったのは下手だからとかではなく単純に風間大僧正との音楽性の違いだったんだなとおもいます。

アルトゥール・マイア(2015)

レナトが中国へ旅立った後、後釜として加入した10番。日本の文化に馴染もうとする姿勢が他の選手のSNSからも垣間見える好青年だった。パウリーニョ同様、風間大僧正の言ってることが「ちょっと何言ってるかわからない(サンド富沢風)」という感じだったので試合に出場することはほぼなかったが、個人的にチャントがとても好きだったのでもっと歌いたかった。
シャペコエンセの墜落事故に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまった。非常に、非常に残念である。
決勝戦や準決勝の前に彼のチャントを歌いたいといつも思ってます。川崎華族さん。読んでないとは思うけどよろしく検討してくださいな。

エウシーニョ(2015-2018)

「そこにエウソン」でお馴染みの右サイドバック。気づけば1トップの位置にいたり、最前線で裏抜けするなど、もうやってることがとにかくめちゃくちゃなんだがその得点力に救われたことが多いのでやめろとは言えずに契約を終えてしまった。「FWは数字で黙らせろ」とはよくいうものでその通りだと思いました。(なおSBの模様)
守備に関しては守備か攻撃かと二択で聞かれればなんとか「守備…だよ、ね?」と答えられるレベルで、(本人として守備しているつもりの)映像を見せながら「これ今何してると思う?」と聞かれても「突っ立ってるね」としか言えない。ゴールしてるしええやろ?感。うん、なんも言えない。
まずなんでSBをしているかって理由が「スタート地点がSBならたくさん走れるしゴールも狙えるから」的なことを言っていたのでちょっと何言ってるかわからない(2回目)
SBにしてはシュートが上手すぎるから、SHで使ってみよう!なんてのはナンセンスなのでやめような!!!!(静岡方面を見ながら)
あと、SBのエウシーニョが前線まで駆け上がるのでCBのカバーエリアが必然と広がるために負荷がかなりかかっていて、当時のならちゃんはかなり大変そうだったので今夏にも遅くはないので何か気の利いたお中元を送るべきだと思う。

ランボー。

エドゥアルド(2016-2018)

ミルトン・メンデスが柏レイソルの監督に就任し、光の速さで構想外に。ちょうどCBが不足していた川崎フロンターレへレンタル移籍。2016シーズンは奈良エドゥのCBコンビは「ザル守備」「川崎ザルンターレ」「自動扉」と揶揄されていた川崎フロンターレの守備を”堅守”と呼ばせるまでに強固なものにした。空中戦に強く、足元もしっかりしていたのでビルドアップを円滑にした。天皇杯で負けてピッチに座り込んで涙を流すエドゥアルドに心を撃たれた川崎サポーターも多く、その後、完全移籍が発表された。が、鬼木政権になってから中途半端なプレーや凡ミス増えたことから鬼木監督の信頼を失い、干される格好となった。情に厚く、イケメンなナイスガイなので山雅での活躍を期待。
エドゥのプレーで最も印象に残っているのは何と言ってもマルセイユルーレット。

お見事

エドゥアルド・ネット(2016-2019)

ジェシにより斡旋されて移籍してきたブラジル人ボランチ。通称「とにかく明るいネット」
調子に乗っている日は次々とド変態パスを入れるが、気分が乗らないとロストして一人でキレまくるというめちゃくちゃムラっけがある使いづらい仕様。ブラジル時代はCB、ウクライナにいた時はSBもやっていたらしいが、正直ネットのSBはロクなものじゃない気がする。来日してからはボランチでプレー。センターサークルからペナ内にいる味方へズバッと縦パスを入れたり、最後方から前線へレーザービームのような低空ロングフィードを蹴り入れたり、ワンツーで抜けようと味方にボールを預けて前線に上がる(もちろんリターンパスはこない)など、変態すぎて味方ですら反応できないパスも多かった。また、川崎フロンターレでは森勇介に続くカードコレクターであり、熱くなりすぎることが多々あり、その度に客席から「落ち着けネット!!!」の声がとぶ。ピッチではカンニング竹山並みにキレるが、オフではとにかく明るく陽気で、冬場はどこのメーカーかもよくわからない可愛いニット帽を被っている。ちなみに好きな日本食はおにぎりとお好み焼き。

1:06のロングフィードがめっちゃ好き。

ハイネル(2017)

ポンチプレッタからレンタルで加入したドリブラーだが、彼も風間大僧正の哲学に苦しみ、「ちょっと何言(以下略)」という感じだったためスーパーサブ的な起用が多かった。
ポジションを投げ出してボールホルダーに食いつたり、スライディングしてしまう(イエローカード)のでチーム全体のリズムを狂わせがちで困ったものだったが、味方選手が退場などで数的不利などのカオティックな状況では一人少ない分めちゃくちゃ走るのと、自分が使えるスペースが増えるため突然と生き生きし出した。
武岡優斗に教えられた日本語は「BUSAIKU」


________________________________________________

はい。以上です。まあ、なんというか川崎フロンターレは徹底してブラジル人にこだわっているわけだが、お金もあるし、Jリーグチャンピオンの箔も、海外に見劣りしない練習環境も付いてきているのでそろそろ欧州から有望な若手とかキャリア下り坂の一流選手とか獲れたらいいね。

って、僕は思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?