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遂に車椅子....

あーあ、何だかなァ〜……..で車椅子登場。少しでも歩けるようにとシルバーカーで出掛けていたのだけれど、歩きたくなくなると放つ母の暴言に耐えかねて先日、散歩途中に歩きながら契約業者さんに「もう無理なんです。歩くのは諦めて車椅子にします!」と勢いで電話。.......「もう私たちが楽しいと思う事をしないとダメなんだよ。ストレスを減らそう。」と言った娘の辛そうな顔で決心がついた。……… 後からケアマネさんにも事情を説明して翌々日には届けてもらった。歩けなくなってももういいや、というふんぎり…….. あーあ、でもこの挫折感。

娘は自分の休日を祖母とのブランチ外出に充てている。母が昔からの習慣で外食することが好きだからである。当日は起きてから出かけるまでの間を開けないのがコツ。朝ごはんを食べてから午後に散歩すると途中で機嫌が悪くなる確率が高いということを学んだからである。疲れを見せたらすぐタクシーで帰ることも鉄則。それでもちょっとのことで気分がアップダウンする母、この日は、母が大好きなパンケーキのお店だったのにあまり機嫌が良くなかった、何かが気に入らなかったのだろう。コロナ禍の昨今、混まない時間帯やお店の換気などを考えると行ける場所も限られる、という事情はとうぜん理解するはずもなく……. 。「来なければよかった、もうどこにも行かない、家にいる」と怒り出す。「疲れたから帰りたいんだけど」と、どうしてそのひと言が言えないのだろう。

そうまでして外出しなくてもと思わない訳ではないのだが、ただ家にいるだけでは脳も足も衰える一方で少しでも外の景色、人の流れの中に身を置くとちょっとの間はイキイキするのである。そのわずかなちょっとの積み重ね……. これ以上良くなることはないのだということは承知している。主治医、ケアマネ、ヘルパーさんに外での触れ合いをと言われても頑として家にいる、家族に君臨していたい母である。

母は頭の中に定着してるものしか食べようとしない。基本は和食で寿司、天ぷら、蕎麦、鰻 …..これらを外食するのである。最近行きつけとなった京料理のお店には個室があって、野菜、肉、魚のおばんざい料理をあれこれ少量で食べることができる。ある日、サーモンとアボカドのお寿司を6個も美味しそうに食べたので、これはと期待して次に行ったら食べたのは1個. ……. 読みはほとんど毎回外れる。でも、好きなものを食べれば力になるかなァ、という思いでその時食べたいと言ったものを食べに行く。その時、ちょっとの間は機嫌が良いのだからOKとするしかない。だが間も無くそのことを忘れる。この繰り返しである。

朝食はたまごかけご飯か目玉焼き、スモークサーモンと小女子胡桃と沖縄もずく、たまごの代わりにときどき納豆と韓国海苔、これが定番。たまにはと思って違うものを添えるとしっかり避けられる。夕食には頻繁に茶碗蒸しが登場する。具に苦手な野菜を刻んで入れる、まるで離乳食だ。小さく刻まないと食べられないのに、その形で出てくると知らないものになってしまうので、一度原型を見せてから切ったり盛ったりする。とにかく野菜嫌いなので献立に苦慮する。困った時はソーメン頼み。それと夜の晩酌、おちょこ一杯。

近所にいる次女に「これからは車椅子でちょくちょく行くからね」と言ったら、「お母さん(私のこと)が、何でもすぐにやってくれるからありがたいわ」と言った母。........... 車椅子が嬉しいんだね。それならそれでやっていくしかないのだ、足が萎えて寝たきりになったらそれはその時に考えればいいのだ、と腹を括った。

涼しくなったら、コロナと台風を避けて1泊の小旅行をしてみよう。これからは私たちの散歩ストレスは軽減されるだろう。近所なのにタクシーに乗るという無駄もなくなる。自力で歩くことよりも、機嫌よく外出して脳を刺激する方を選択した、そういう段階へ来たということなのだろう。

もしも私が認知症になったら、心優しいオトボケ婆さんになれるのだろうか? 子供との共通の話題に記憶を蘇らせたり出来るのだろうか?  母である私が歳を重ねることについて考えずにはいられない。私は独りでいられるのだけれど、そのことを恐れてはいないのだけれど……..と今から言っておこう。言葉よりもそういう姿を見せておくことかな、とそんなことを思ったりしている。


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