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新しいMacBook_pro!

2011年7月に横浜のヨドバシカメラで、MacBook_proを買った。初めてのノートパソコン。軽くてかっこいいと上機嫌で小脇に抱え、28日に福岡へ引越した。今風に言えば「移住」したのである。私はこの移動が「引越」なのか「移住」なのか、その違いが今もよく分からない。東京には戻らない覚悟で、仕事を捨てて故郷を離れたというのは移住になるのだろうか? 理由は原発事故。当時の東京は、キエフより放射線量が高かったのだ。ガイガーカウンターが品川駅・高輪口の改札でその事実を示していた。そのキエフが今、戦火にまみれている。突然に日常が奪われる気持ちは分るけれど、それは私の比ではないことは明らかだ。オデッサとクリミアに娘たちの友人がいる。無事をSNSで確認しながらBBCニュースをつけっぱなしにしている。ウクライナ、その歴史は侵略の歴史だ。痛ましい。今はとりあえずユニセフに寄付することでしか繋がれない。

コロナ禍での2年余り、我家にはウクライナにも家族の心配にも反応しない認知症の母がいる。2020年の年末に発症の兆しが現れ、その暴言が酷過ぎて、2021年正月に長男夫婦のもとから送り込まれた。本人は追い出されたと怒りまくり、荒れまくりながら2022年になだれ込んでいる。私と娘は、外から戻る度にシャワー、持ち込むものの消毒にやっきになって日常を過ごしている。母にコロナ感染したら入院、面会もできない。その入院すらできないかも、と言っても目の前に見えていないことは無いことと同じ。見えているものですらすぐ忘れてしまう。

物忘れしたってそんなことはどうでもいい。あら、また忘れたの!と笑って過ごせばいいじゃない! ...... そう簡単に思っていたけれどそれは甘かった。母にもこれまで生きてきた歴史とプライドがある。特に家庭に君臨してきた気の強い母は、今も自分が家族の中心であろうとする。理性は欠如し、本能でその思いにしがみついている。自分という存在を頑として主張することは、頭の片隅に認知症に対する不安、死に対する不安を抱えているからだ。それをどうしていいのか、考える力はもはやない。そして疎外されているという被害妄想。難しいし苦しいけれど、そういう母の気持ちを受け入れるしかない。もう話し合えないのだから。

先日、セラピーを受けた。話すだけで気持ちが晴れたので来月は娘、再来月は私........と毎月家に通ってもらうことにした。私は昨年秋から血圧が上昇、歯科医から内科検診を勧められる有様で、両ドクター曰く、ストレスだネ。............だからこそ、だからこそ、仕事を再開しようと思う。こんな状況だからゆっくり、じっくりできることが私にはあるはずだ。その想いを話したら娘がパソコンを買ってくれると言う。まずMacBook_proを新しくして、仕事の準備が整ったら作業しやすいようにiBookを購入する。そういうことをさっさと決めて昨日、アップルに連れていかれた。当たり前だけれど、使い切った感満載のMacは骨董品を見るような目で見られた。それでも壊れてはいないから、東京と繋がる想い出として大切に残そう。

そんな訳で、新しいMacが生活の中に登場した。私の新しい仲間、一緒にコツコツと山登りを始める。好きなことをしていれば心は潤う。それを次の世代へ繋げるのだ。私には出来る!出来る!出来る! .........今朝の決意!


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