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夏満開! ゴーヤとプルメリア

ベランダのゴーヤが、収穫する間もなく黄色く熟して真っ赤な種になってしまった。ゴーヤのカーテンは涼しげなのに流石に南の植物、なんとも鮮やかだ。食べた後のカボチャ、スイカ、メロンの種をせっせとプランターに植えている。地面だったら適当に伸びて、思わぬところで実をつけていたりするのだけれど、プランターではそこまで行かず………でも下草のように育つ姿は夏らしくてこれもまた一景。

ベランダ・ガーデニングは、母が水やりでもしてくれたらと思って始めたのだけれど、ただ愛でるだけで花の名前を教えながら一巡するとまた「これは何なの?」とブーメランのように最初の花に戻って行く、その繰り返し。それでも話題がないので少しは会話のきっかけになっている。

母はデイサービスもデイケアも頑なに拒否して、週1回の訪問介護(20分程度の周辺散歩)に落ち着いた。後は私と娘で週2回ほどの外食を兼ねた散歩をしている。老人ばかりの場所で過ごす時間は、人見知りの母には地獄であるらしく「私、人生が終わったような気がするの」……….それもそうだろうと思う。そう言う訳で、この秋の更新は、要介護2から要支援2になるかも、と仄めかされている。何も楽になっていない。どんどん大変になっているのに、要するに公的な施設を利用しないから利益の薄い利用者ということなのか…..。まぁ、こんなものなんだろうと思う。集団で生きていけない者はそこから外れるしかないのだ。

母のようなはぐれ老人を集めて私設デイサービスをするもの一計か、とふと思う。知人の裁縫教室が、生徒が歳をとって自然とそんな形になっている。裁縫そっちのけでただおしゃべりに集まるのだそうだ。下手したら私が最初から最後まで全部仕上げるのよ、と笑っている彼女だって十分に高齢者なんだけれど。

好きな空間で好きなことをして老後を過ごせないものだろうか? 私だったら本好き集めてライブラリーを作る。皆で持ち寄った本を子供たちに読み聞かせて、自分が読めなくなったらその子供たちに読んでもらうのだ。おばあちゃんのご飯を振る舞って、誰でも自由に出入りできる場所。都会にそんな空間を持つのは難しいから、田舎にでも引っ込んでと考えたりするけれど、都会にこそ行き場がなくて彷徨っている老人や子供が多いのではないだろうか。つらつらと夢想するそんな風景。

私の在宅仕事は、予定より大幅に遅れている。部屋に篭っていると母の機嫌が悪くなる。構ってちゃん老人の典型で、私を呼びつけて「私が邪魔なの?」と迫る。分かってはいるけれど、あぁ、またか………….こちらもげっそりとメゲる。強烈な物忘れをしようとも、食事、入浴、トイレの世話になろうともそこに感謝と笑顔があればいいのになぁ……母が捨てられないプライド、それを死守するための我儘と怒り、そして孤独。気持ちよく歳を重ねるのは難しい。お互いにね。


今日は気温40度になりそう、命の危険があるとテレビが叫んでいる。それなのに母は寒い寒いと重ね着をしている。ひとりにしておくと冷房器具のコンセントを抜いてしまい、部屋も閉め切ってしまう。それも認知症の症状のひとつである。寒暖を感知できないから寒い=着る、暑い=脱ぐ…… 痩せて筋肉も落ちてしまったから寒いというのも嘘ではないのだろう。この夏を乗り越えるのは試練だ。生きるということは実に骨が折れるものである。




鉢植えのプルメリアがこの暑さの中、グングン伸びて気持ちがいい。
南の植物は成長が早い。さぁ、この活力をもらって夏を乗り切ろうっと!



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