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花嫁の飛翔 3

そこまで察したフアナは、奇妙な感興が沸き上がってくるのを感じた。
そこには、この年頃の乙女特有の怖いもの見たさの心理もあったかもしれない。ただ、彼女自身の直感では、そこに邪悪な空気はなかった。

「ここにいるのは、当然のことながら、男気のない女性たちばかりです」マリーは続ける。「ただ、処女もいれば、未亡人もいます。男性経験のあるなしは問題ではありません。そして、もしも男性と結婚することになっても、それも問題にはなりません」
「でも、結婚すればここから出ていくことになるんですよね?」
「ええ、脱会してね」マリーは微笑む。「だからといって、私たちは結婚や俗世間で生きることそのものを否定したり不純だとは思ってないの。むしろ、何らかの意味で俗世でうまく生きていけない女性たちの避難所のような役目もはたしているのよ」

「なるほど…」フアナは、或る意味では今の自分も俗世から避難してきているようなものだと思った。
「もともと、このベギン会は、十字軍の時代に設立されたものなの。聖地奪還の名目でたくさんの男たちが戦いにいき、そのうちの多くが返らぬ人となった。それは、夫や婚約者や兄弟を失って路頭に迷う女性が急増した時代でもあった…」
「そうだったんですね…」フアナは深くうなずき、沈黙した。
「ええ、そうした運命の試練にさらされた女性たちが寄り添い助け合って生活していく場、それがベギンホフの変わらぬ姿なの」マリーは、フアナの表情を見て何か読み取ったらしく、そこで口をつぐんだ。


【1496年9月16日】
霊感が強い人というのは確かにいる。
それが多くの人々には妄想としか思えなかったとしても、彼らにとってはこの現実以上に実感のある実体験なのだ。
フアナもまた、そういう特別な感性を持って生まれた女性の一人だった。
幼いころから彼女は幾度となく亡霊を目にした。また、実際に見えはしなくても、そういう超常的な存在の空気や予兆を感じることもしばしばだった。

しかし、彼女はそのことは誰にも言わなかった。母にさえも…。
ただ単に変に思われたり悪魔に惑わされていると糾弾されるのが怖かっただけでなく、なによりも霊たちと自分だけの重要な秘密として守る義務があると思ったからだ。
これがもし聖母マリアや聖人たちの霊との出逢いなら、その経験を語るべき相手は無数にいる。むしろ、祝福された経験として、多くの人々から共感されるに違いない。

だが、彼女が出くわすのは、かつてこの世に生きていて、この世に未練や無念や怨念を残しているのだと思われるような亡霊ばかりだった。
ただ、そのすべてが邪悪な存在ではなさそうだった。むしろ悲しみや寂しさを抱きつつ、かつて愛し愛された人とのつながりを取り戻そうとあえいでいるかのような魂たちも少なくなかった。
彼女は、そんな亡霊や魂たちになにもしてあげられない自分の無力と、そのことを自分一人の胸の内に籠めておかねばならない重圧とにずっと苦しめられていた。

それだけに、ここへきて二度目の瞑想会の後、参加者の一人の女性にこう言われたときには心臓が飛び出そうなほど驚いたのだった。
「気を悪くしないでね」彼女より数歳年上らしき、その美貌の女性は、自分にあてがわれた部屋に戻ろうとしていたフアナにそっと呼びかけてきた。「あなたに会いたがっている霊は、今はここにはいないわ。だから、ゆったりとくつろいだ気分で瞑想なさればいいのよ」
フアナは、文字通り開いた口がふさがらなかった。しきりと瞬きして、その女性が現身の人間かどうか確かめてでもいるかのようだった。

「あたしにはわかるの」彼女は続ける。「あなたも、この世とあの世の境界で生きている人でしょう? 大丈夫、誰にも言わないから。心配しないで。ただ、他にもこういう世界に住んでる人たちはいる。それだけを伝えておきたかったの。ごめんね、驚かせちゃったみたいで」
そう言い終えるなり、彼女は小さく手を振って立ち去っていった。
フアナはその場に立ち尽くし、彼女の後姿をただ茫然と見送っていた。

映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。