見出し画像

花嫁の飛翔 8

【1496年9月26日】
彼は、野宿している夢をみていた。
この寒空の下にもかかわらず、体はほかほかと温かく、満腹だった。だが、こうしている場合ではない。絶世の美女と噂されるある女性と会うために、自分は早馬を駆って旅しているのだ。
と、闇の彼方に人影が浮かぶのが見えた。
ひょっとして…? 目を凝らそうとしたとたん、目が覚めた。

フェリペは、こじんまりとした部屋の簡易ベッドに横たわっている自分を見出す。
暖炉ではパチパチと薪がはぜていた。
彼は、まだぼうっとした頭を抱えるようにして上体をベッドの上に起こす。全身がだるい。
無理もない、ふつうならば旅すれば優に一週間はかかる距離を、わずか三日で踏破してきたのだ。
彼は頭を振りながら立ち上がる。そして、ふと自分の姿を見たとき、声を立てて笑ってしまった。なんと、婦人物の部屋着をまとっているではないか。

その笑い声に呼応するように、ドアをノックする音がした。
「お目覚めのようでございますね」入ってきたのは院長だった。「お召し物は、こちらで乾かしておきました」
「おお、ありがたい。こんなに早く?」
「はい。厚手の布にくるんで圧力をかけ、ぎゅっと水気を吸わせてから炎の近くにかざしておくと、意外なほど早く乾きます。さらにしわをのばすためにアイロンをかけると…」院長はきれいにアイロンがけされた衣服を広げて見せる。「ほら、この通り!」
「ほう、さすがベギンホフ!」フェリペはさも感心したように頭を振る。「実に生活の知恵にあふれていますね」
「畏れ入ります」院長は小首をかしげて軽く礼を言う。「さて、いかがなさいます? 姫君にお会いになりますか? それとも、もう少し…」
「会う!」フェリペは院長の言葉が終わらぬうちに返事し、そそくさと着替え始めた。

時刻はすでに真夜中過ぎだった。
いつしか雨は上がり、澄んだ空には月が浮かんでいた。
フアナは窓辺に立って、カーテンの隙間から外を覗いていた。院長にそうしているようにと言われたからだ。しかし、胸の鼓動が激しくて、立っているのがやっとだった。
だから、中庭の一角に人影が表れたときには、ほとんど気を失いそうだった。にもかかわらず彼女は、院長の影の背後から歩いてくる長身のくっきりとしたシルエットを食い入るように見つめていた。

それからどれぐらい時が経ったろう。気が付いた時には、長身で金髪の美丈夫が目の前に立っていた。いつドアがノックされたのか、だれがドアを開け、自分がどうやってそちらを振り返ったのかも覚えていなかった。

映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。