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バチカン バチカン美術館 システィーナ礼拝堂 最後の審判 サン・ピエトロ寺院



バチカン美術館

美術館はあっちだって→
ローマの続きなのですが、
バチカンの城壁というのでしょうか・・・それに沿って歩いていきます。

もし、システィーナ礼拝堂とサンピエトロ大聖堂を訪れたい場合は、バチカン美術館から入ると良いです。
バチカン美術館は本当にすごく混んでいる。事前予約のチケットなど色々準備をして行った方がよいです。
今は、ネットで色々チケットはあらかじめ予約して購入していく時代といっても良い。そのため、当日券を買おうと思うと長蛇の列になる。海外に限らず、日本の観光地もあらかじめチケットを購入していかないと効率が悪い。美術館も端から端まで見ようと思ったら数日かかるという美術館あるある。みた方が良いと言われているものをネットで探してから効率よく見る。

ヴェルヴェデーレのアッポロン

紀元前340年ごろのギリシャで作られたブロンズ像をローマ時代にが大理石に復刻させた彫刻

ラオコーン

ギリシャ神話の登場人物で、トロイアの神官だったラオコーンとその息子2人がウミヘビに襲われている様子を切り取った彫像です。
(写真で写すとマイルドですが、結構実際に見ると顔がすごくて・・・)
ラオコーンは、トロイの木馬がギリシャ軍の策略だということを、矢を投げつけて知らせようとするのですが、
それを女神アテナに阻まれて、彼女が放った刺客のウミヘビに襲われ死んでしまう。そのために、トロイアに木馬が入ってしまって陥落してしまう。

その他の作品

私がおお!と思ったので写してみたもの。

こんな感じに左右に彫刻だらけ、また棺だらけだったり・・・大理石像でお腹いっぱいになる。
お目当て目指して歩く。
大体ガイドさんが説明している周辺は見ると有名な作品。

これは学問の女神様。なのであやかろうと思って写真を撮ってみた。
織物でこの当時にもうすでに日本だと江戸時代にできたとする鳥瞰図的な地図があったということ。


このキリスト様は目が立体的に織ってあるのでどこからみても自分と目が合うんだって!!

これをみてミケランジェロはダビデ像のインスピレーションを受けたらしい。

とにかく、天井まですごい・・・美術の知識は「ギャラリーフェイク」のみ!という私なので、細かいところはある程度で進んでいくことにする。


システィーナ礼拝堂(最後の審判と天井画)

美術館を出ると、その後はシスティーナ礼拝堂に向かう。

一旦中庭に出て、天井画の説明などを見る。大体、ガイドさんがその説明版の前にいるので、日本人の説明の人がいたらこっそり聞いてしまうのも良い。

これは最後の審判
個人的にこれはすごいと思って。
私の解説より、ネットで色々調べてからいくことをお勧めいたします。
(それか、ガイドさん)へぇぇぇってわかってから見ると良い。
また目が悪い人は、メガネやオペラグラスを持っていくと良いです。

天井画は、やはり、ETのところばかり見てしまっていた。
(きっとスピルバーグはこれを見てETを思いついたんだと思う)

システィーナ礼拝堂は私語禁止だし・・・
でも、ワイワイみんなうるさくて
「静かにしなさい」と放送が入ったW
なかは撮影禁止なので、詳しくはWikipediaで!!

礼拝堂を出て、サン・ピエトロ寺院に向かう。

サン・ピエトロ寺院

まず入って右手にあるピエタ像
もうマリア様綺麗!!だけど若すぎるだろ・・・というツッコミを入れながら見る。

ピエタ像

天井とか壁とか細かい0.5ミリから1センチぐらいのモザイクでできているみたい。

豪華絢爛
ちょうど真ん中に足場が組まれて修理中で残園でしたが、

とにかく豪華!!さすが、バチカンはキリスト教の総本山!!
今度夫と一緒に来たいと思った(大学院で教会建築を研究していた)

飽き飽きするまでみて(というか、天井とかずっとみ続けていて首がもげそう。


とりあえず、外は土砂降りで・・クーポラに上ことにした。
結構しんどかった(エレベーターもある)

クーポラ

絶対登ってください!!
クーポラ(ドーム)の展望テラスからの景色です。上のに混雑とありましたが、
空いていました。登る時点は、また雨が😱
風がビュービュー、時々土砂降り。天気が悪すぎた。500段ぐらいだから、娘の学校の階段5回か・・・とりあえず上がる。初めは、ドーム内部が見学できてモザイク画が見れて幅も広いが、どんどん狭くなる。途中混んでいるのは一方通行だから。モザイク画を写真撮っておけばよかったと・・・母を待たせていたので急いでいたので・・。

雨がとりあえず止んで靄がかかって雨雲もあるが圧巻!!すごいいきいで雲が流れる。城壁も見えて面白い。でも閉所恐怖症の人はちょっと最後の細い道はきついかもです。三半規管が弱い方は、最後ちょっとドームに沿って斜めになったりするので・・・若いうちに登ってください。
下の階段の位置がわからず2周近くしてしまった・・・。ピサの斜塔も実は迷った。

屋上テラスまで降りてきてちょうど下の写真を背後から観れる。パノラマ写真なのでとりあえずトリミングでアップしたら手ぬき聖人が切れてしまった・・いつか訪れて実際に見てください!!
トイレもあって空いていました。そしてまたダッシュで降りる。

結構足に来てヘロヘロ。
いきなり雨がざーーーーーーと降ったり止んだり・・・。でもそのおかげ!?で空いていた。あの窓から教皇様が出て演説するテレビをよくみたことがあるが、あそこの窓だ!!と。

バチカンを出国して近くにあるというパン屋に向かう。
1件は休みの日だった・・・。

パン屋さんによる。
ところが、パン屋さんはイタリアにあるフランス風のパン屋さんだった。
名前が全部フランス語

Tibo Boulangerie

読み方不明 ティボなのかティーボなのか、とにかくブーランジュリなのでフランス語・・・。

パンの名前もフランス語だし。イタリアのパンじゃないW

でもとても香りも良くて素敵なお店

ブリオッシュもある。
こなはフランスから取り寄せているという。

クロワッサン!!
コルネットではない!これはクロワッサンだ(W)

でも、やはり卵使っている配合だった。

カンパーニュはとても香りよく美味しい。

これが絶品だった!!パンデピス
パンデピス熱が再燃しそう。これ、本当に美味しかった。

このパン屋さんは、一番最初に「バチカン美術館はこちら」という矢印のあたりにぐるりと回って
その先にあったので・・・。
川の方に向かうのには、またぐるりと回らなくてはならない。
城壁の前でカンパーニュの断面をとる。めちゃうまくて、帰国後HPをチェックしたらおお!!って思いました。また訪れたいパン屋さんです。


ということで、先ほどの場所に戻ってきて(後ろにサン・ピエトロ寺院)
今度は、前回通らなかった部分の皮をどんどん北上(なのか地図的には上)に向かう。
ここら辺の橋は1つ1つ特徴がある。

サンタンロジェ橋とサンタンロジェ城

サンタンロジェ橋は橋の両サイドに天使の彫像がある。
そして、サンタンジェロ城の頂上には大天使ミカエル像があります。

無駄に橋をジグザグと渡る。

違う角度からサンピエトロ寺院。ドームが綺麗に見える。あの上にいたんだ
工事車両が邪魔・・・。(この写真もそのさくに登って写真を撮った、かなり怪しまれた)そんなこんなで、トレビの泉とか有名どころをさらっと通過してスペイン階段にきてそのままホテルに戻る。

母も私もヘロヘロ。
この旅行の最後の晩餐

旅行の最後の食事とホテルの朝食(パンメイン)

きのこのリゾットが美味かった!!

粉チーズがドーンって置かれるのがすごい。

翌朝のホテルの朝食。
ほとんどいつもホテルの朝食は食べないのだが、母は私がパン屋にあちこち走って回っている間は
のんびり朝食をとっているとのこと。
最終日は少し母に付き合おうと(近くのいきたいパン屋は7時からしかオープンしないので)
ホテルの朝食をレポ(粉物だけ写真撮りました)

クロスティーニとか色々ある。
クロワッサンにチョコやカスタードが搾り入れるというよりほぼ外に出ているという感じ。

暖かくサクッとして美味しい。

イタリアのパンっぽく軽く白い焼き色で網の波天で焼いているのでとても軽い。

食パンとドイツパン

とにかく、また飛行機まで街中をダッシュでランニング!!

最終日の朝ランで回った場所


オペラ座

オペラ座でしょうか

ベネチア広場周辺

行けていなかったゾーンを狙う、戦勝記念碑が木で隠れていた・・・。
双子のドームも工事中
ここら辺一体が工事中・・・。
でもいきなり現れたベネチア広場は圧巻。
やはり全てがでかい!!朝はローママラソンが近いのでランナー多い

写真だと小さいけどでかいので・・・。
裏手の市場跡はとにかく工事の柵があってぐるりと回らなくてはならなかったので断念。このよこにあった遺跡が結構気になったのですが、写真撮りませんでした。
取ればよかった・・・。
というのも、昔の集合住宅の跡だったらしい。今でいうマンション。
それがローマの時代にあったなんて・・・。ローマの近くの遺跡では、そのマンションの1階にパン屋が入っていた跡があると。
下の写真はイタリア統一記念堂で、その手前は教会か修道院。

階段があって、大理石でしかも水たまり。でも登ってみたくなって登った。帰国日にこの階段から落ちたら絶対に地獄に行くなと・・・(日本なら絶対に手すりが何本も何本もかけられている)教会に入ってみる。

やはりモザイクと天井の細工がとても綺麗で重厚

ここからはローマが一望できる(昨日のクーポラに比べたらなんだが)
お勧めです。

カンピドリオ


一旦階段を下って、
隣の坂というかなだらかな階段のような橋を登っていくと
ミケランジェロが設計した広場がある。

マルチェッロ劇場

そこを下って少しいくとまた遺跡。
もうあちこち遺跡だらけ。ローマはどこか工事で掘るともう遺跡が発掘されてしまう。そうすると何もことが進まないので、これ以上発掘をやめるということも都市開発の選択肢の1つであると新聞で読んだことがある。


ロムルス (Romulus) とレムス (Remus)


なんの建物か不明(Googleで調べても名前が出ていないので個人的な建物)と思ったら、あ!!ピサの斜塔の広場にあった彫刻と同じものが!!
ローマ建国のもとになった物語で有名。

以下ウィキペディアより
ロムルス (Romulus) とレムス (Remus) は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。 ローマ市は紀元前735年4月21日に、この双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。
この双子は、軍神マルスとレア・シルウィア(アルバ・ロンが・ラティウム王ヌミトルの娘)の間に生まれたとされている。王の末弟のアムリウスは王位を奪っていたが、兄の孫である双子の復讐を恐れて、双子をテヴェレ川(ローマを流れる川)に捨てた。しかし、双子は狼によって育てられた。やがて、羊飼い夫婦に引き取られ立派に成人する。その後、祖父の軍隊に山賊と間違えられてとらえられ尋問されるうちに孫と判明する。間もなく兄弟は反逆者の大叔父を殺し、祖父を復位させた。兄弟は、自分たちが捨てられた地に都市を建設しようと決めた。兄弟のうちのどちらが建設者になるかを鳥占いで決めることになり、兄のロムルスに軍配が上がり、羊の守護の女神パレスを讃えるパリリア(Parilia)祭の日(4月21日)新しい町(Roma quadrata)の城壁を築くために線を引き始めた。その時に弟のレムスが怒り兄をあざけったので、兄弟の間で戦いが起こり、弟が兄に殺されてしまった。弟を立派に埋葬した兄ロムルスは、町に多くの人を住まわせた。彼は40年間統治し、雲の中へ消えていった。

ロームルスとレムス - Wikipedia

ja.wikipedia.org

ということで、ローマを最後に日本に帰国します。


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