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そうだ!東海道五十三次歩いてみよう。  (episode1 最初の関門、鈴鹿峠初日編)

旅の始まりはいつだって期待と不安が入り混じっている。もちろん僕も例外ではなかった。今日語られる物語は700kmの長旅の一歩目のお話。月面に初めて降り立ったアームストロング船長もこう言っている。

「That's one small step for a man, one giant leap for mankind.」と。まさに「この最初の一歩今後の人生の大きな一歩になるかもしれない。」そう僅かに思ったり思わなかったりしながら、出発の朝を迎えるのであった。


5月3日、朝5時50分。京都市三条大橋を出発。三条大橋の上でばっちりと自撮りをきめて700kmに及ぶ長旅の火蓋は切って落とされた。

「さぁ、出発だ!」、、、と一歩目を踏み出そうとした矢先に何やら不穏な影が。そう、このあまりにも早すぎる時間帯が災いを起こしたのか、確実に夜通し晩酌をし続けたであろう、お世辞にも治安があまりよろしくない男女5人組が襲来した。そして、僕は案の定絡まれた。「しかし相手が悪かったな。おぬしらよ。」僕は心の中でそう呟いた。僕の地元は『木更津キャッツアイ』を排出したまさにあの辺。この程度の奴らはゴロゴロいた。真顔で「今から東京まで歩くんです(笑)」と言うと、物怖じしない態度に飽きたのか何事もなく去っていった。そんなこんなで"三条大橋の戦い"を終え、今回前置きで散々煽った最初の一歩はDQNたちの為に踏み出していた。

気を取り直して朝の京都の街を歩き始める。とうとう始まったという胸の高まりで足取りも軽やかになる。しかし、周囲からの視線は「???」という感じだった。それもそのはず僕のボードには「京都→東京 東海道五十三次ハイク」の文字。「まだこいつ出発したばかりやんけ。」「新幹線使えばええのに。」そんな視線が降り注いだ。そして、ついに声をかけてくれた第1村人。「長野までなら行くんだけど乗ってく?」...はい、ヒッチハイクと紛らわしくてごめんなさい。しかし、今回の歩き旅の趣旨を説明するとお兄さんは笑って応援してくれた。これから歩き旅をしようと考えている人はちゃんと「歩いてます!」と明示するとわかりやすくていいだろう。

そんなこんなで朝の爽やかな空気に包まれ歩くこと3時間。京都〜滋賀にかかる山を一つ乗り越え、眼前には雄大な琵琶湖の姿が広がった。

膳所高校の近くのコンビニで買ったパンを片手に琵琶湖を一気に横断し、湖畔をランニングするおじさんから「頑張れよー」と応援をされながら、滋賀の町を一気に進んだ。ここまでの休憩時間は0分完全にウォーキングハイに入っていた。そして歩き始めてわずか6時間で出発から40km離れた第4の宿場町、石部宿に到着した。

12時00分。すき家に吸い込まれ牛丼をかきこみ、店を後にすると、一度道中で横を通り抜ける時に挨拶をした一人の長老が俺を待ち構えていた。

(長老)「君は旅をしているのかね?」

(まさと)「はい、京都から東京を目指して歩いています。」

(長老)「そうかそうか。ここは石部宿。江戸時代の人間は京都を出発して1日目の宿としてここを利用していたんじゃ。君も今日はここらに泊まっていくのかね?もし君がよければ案内しよう。」

(まさと)「僕、今夜中にあのでかい鈴鹿峠を越えて関宿(第8の宿)まで行かなきゃいけないんです。」

(長老)「な、何!!関宿まで!?君は若い頃のワシにそっくりだ。止めても無理そうだな。気をつけて行っておいで。」

(*写真は許可をいただいています。以下写真も同様。)

もはや駅名ではなく江戸時代の宿場町名で会話が成立するというなかなかにレアな体験をした(笑) なんでもこの"石部の長老"は御歳80歳でその昔、よく30kmかけて三重の方に歩いていたそうだ。そのため山での寒さのしのぎ方や栄養補給のタイミングなど事細かにご指導をいただいた。長老には石部宿を案内していただけるとのことだったが、それだと車に乗ってしまい挑戦の趣旨がぶれるため泣く泣くお断りした。キュートな笑顔で写真にも応じてくれて長老本当にありがとう

そこからは田舎道を進んでは水口宿土山宿と宿場町に到着し多くの地域の方々とお話をしながら歩き続けた。一人一人を紹介してもキリがない。ただこれだけは言える。「滋賀県のおじいちゃん、おばあちゃんめっちゃ話しかけてくれる説」。たった1時間で実に13人の方とお喋りをした。この記録は全行程の中でダントツのトップで、僕の中で見事、滋賀県が「地域の人あったかいで賞」を受賞した。中にはわざわざボードが見えたからといって車で先回りして差し入れをしてくれる方もいた。

この時には歩行距離は60kmに差し掛かり、さすがに疲れ始めてきていたので、皆さんの応援は本当に力になった。そして徐々に街を離れ、ついに鈴鹿峠とのご対面となった。

この鈴鹿峠とは実は2回目の対戦だった。1回目の対戦は東京から日本縦断自転車旅をした時で、延々と続く上り坂に文句を言いながら登った記憶がある。しかし、2年前から進化を遂げた僕にはもはや鈴鹿峠は大したことのない坂道の連続だった。(実際のところ歩行1日目で体力、精神力が有り余ってたから余裕だったのであろう。)

そして鈴鹿峠の途中にある滋賀県と三重県の県境。ここで僕は運命的な出会いを果たすことになる。「僕もこういう歳の取り方をしていきたい」と心から思える人物の出会いだった。その人を"鈴鹿の仙人"と呼ぶことにしよう。

「100m先に大きなリュックがゆっくりと動いている!」まさか鈴鹿峠を歩いている人が自分以外にいるとは思っていなかった僕は最初は本気でおばけなんじゃないかと思った。そのリュックの持ち主の歩くスピードはあまりにも遅かった。これは追いついて話しかけてみようと僕は足取りを早めた。そして話しかける。そう、この方こそが"鈴鹿の仙人"である。お話をしているうちに色々なことを語ってくれた。なんでもこの方は"歩きで日本一周"に挑戦しているらしい。また、きっかけが凄かった。67歳の"鈴鹿の仙人"が挑戦を始めたのは今から7年前の60歳の時。そう7年前東日本大震災の年だ。7年前会社を定年でリタイアした仙人はすぐに復興支援のボランティアに名乗りを上げた。しかし、周囲からは「そんな年齢でボランティアに行っても迷惑だ!」と反対の嵐だったそうだ。その時、年齢を理由にボランティアを止められるのに納得がいかなかった仙人はこう言い切った。

「わかった。じゃあお前ら若いのがボランティアに行って東北を復興させるのと、俺が日本一周を歩き切るのどっちが早いか勝負しようじゃないか。」

それから仙人の挑戦は始まり、北は北海道、南は沖縄、九州と何年もかけて歩いたそうだ。しかし、人生とは不確実性の塊だ。2年前に突然肝臓ガンを患った。しかもステージ4。日本一周までの残りの区間は三重〜愛知だけ。神様からの試練はあまりにも重すぎた。それでも仙人は諦めなかった。過酷な闘病生活を乗り越え3ヶ月前(2018年5月当時)に退院することができた。そして、今こうして自分の宣言を達成するため、いやもはや夢に変わった"日本一周完歩"を達成するためにまた一歩を踏み出したのであった。

そうあまりにも遅かった歩くスピードは病気が原因。「1時間で2kmしか進めないんだよね(笑)」とおどけていらっしゃったが心の炎は燃えたぎっているように感じた。そして"鈴鹿の仙人"は先に行けと背中を押してくれると同時に、僕に最高の言葉を贈ってくれた。

「いいか、夢は何歳からでも挑戦できる。年齢は関係ない。そして諦めなければ何回でも挑戦できる。君が東京に着くのを祈ってるよ。」

この言葉も勿論ノンフィクション。僕は本当に泣きそうになった。そして、この言葉を心に深く刻み込んだ。「こんな大人になる」そう強く思った。こうして僕は仙人に別れを告げ、一気に下山していくのであった。

そして難敵であった鈴鹿峠は僕にとって思い出の地と変わった。

下山すると夜の21時。辺りはすっかり暗闇だった。関宿を越え、三重県亀山駅付近で宿になりそうな場所を探すがイマイチ気に入るスポットが見つからない。そこで亀山駅から四日市方面に5kmほど歩いてみた。すると、そこにはめちゃくちゃ広い「ファッションセンターしまむら」が!!しかもセブンイレブンまで併設されている。「ここはオアシスか!」と寝床を決めた僕は、閉店した「しまむら」の軒先に寝袋を広げ、「いい旅の始まりだったなぁ。」としみじみ振り返りながら眠りにつこうとした。、、、しかし、またも何やら不穏なにおいを本能で感じ取った。そう、田舎のヤンキー軍団だ。深夜も煌々と明かりを灯すセブンイレブンが原因か、その数は徐々に増えていった。そしてしまむらに寝袋を敷いて寝る人間を見るのは始めてだったのだろう。獲物を見つけたかのごとく、一人の下っ端的なやつが僕の方に近づいてきた。しかし、僕のセキュリティは完璧(?)だった。体は寝袋にすっぽりと包まれ、顔にはサングラスとマスク。そして寝袋の周りには約80kmの距離を共にした悪臭を放つ僕の靴下。中学生の時に身につけた「カモだと思って近づいた奴が、ヤバい奴とわかったらヤンキーは逃げる説」を実証したのであった。案の定、下っ端ヤンキーは僕の3m手前で引き返し、「あの人多分不審者です...」とボスに告げていた。「してやったり(笑)」心の中で僕は大満足であった。そうこうして身の回りからヤンキー集団はいなくなり、夜は更けていくのであった....

「ヤンキーに始まり、ヤンキーに終わる。」そんなちょっと笑えた1日目。しかしそれ以上に多くの人と温かい交流ができたのが何よりも嬉しかった。そして"鈴鹿の仙人"の最後の言葉、

「いいか、夢は何歳からでも挑戦できる。年齢は関係ない。そして諦めなければ何回でも挑戦できる。」

は最高の贈り物のように思えた。

「episode1長すぎるよ...。」「もうお前の話はいい、お腹いっぱい。」

え??まだまだ物語はこれからですよ。なにせまだ約80kmですから。もし良ければ残り620kmお付き合いくださいね。

次回episode2「最強の助っ人、アマゾンカードマン登場!」


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