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そうだ!東海道五十三次歩いてみよう。  (episode3 リタイアか?孤独のアタック愛知横断編)

3日目起床。俺は名古屋市内にある「アペゼ」というスーパー銭湯のマッサージチェアで朝を迎えた。足の筋肉の痛みで夜寝付けない時間もあったが、それでも温泉の効果もあり疲労は和らいでいた。

「これなら今日の行程は余裕だ。」しかし、これは大きな間違いだと俺はこの時気づいていなかった、、。

午前7:57出発。やや遅めの出発だった。この日は昨夜一度別れたTさん、ぼーいさんと午前中に合流し歩くことになっていた。そのため足早で名古屋市、豊明市と横断していく。昨日は圧倒的に全身zozoスーツのTさんに目立ち負けしていたが、やはり俺が持ち歩く巨大ボードは市街地では目立つらしく、車で先回りしてまで声をかけてくれる方もいた。

そして歩き始めて3時間頃にやっと先輩方と合流を果たした。昨日の疲労とお酒の力も相まって、ぐっすりだったそうだ(笑)そのためこの日共に歩いた距離は10kmにも満たなかったが、それでも嬉しかった。そして昼食にご当地メシの味噌カツをご馳走してもらい、ついにお別れの時。

「ゴールの日本橋で待ってる。頑張れよ!」

先輩方は背中で語り去っていった。この時の寂しさとこれからの不安は今でも鮮明に覚えている。それでも俺はただ足を動かし続けるしかなかった。

ここからは本当に無心で愛知の自然豊かな地域を歩き続けた。知立市では小さい子供にも応援された。「お兄ちゃん頑張っとるよー」と俺は心の中でつぶやきながら歩き続けた。この辺りで気付き始める。

「一人で歩くのってこんなしんどかったっけ?」

昨日は歩いていて自分の感じたことを伝えられる仲間がいた。そして笑顔があふれ、足の痛みにも気がつかなかった。だが仲間との歩きを経験した分、一人歩行は想像を絶する辛さだった。おまけにこの日は5月にも関わらず30℃近い暑さで体力を奪われていった。そんな中、安城市に入り電柱に寄りかかって信号待ちをしていると、一人のお母さんに声をかけられた。

「あんたウチでお茶していきな!」

人の温もりを求めていた俺は、信号の目の前にある立派な邸宅にお言葉に甘えてお邪魔させてもらった。

なんでも今はお家に一人でお住まいで昨日まで息子一家が遊びに来ていたが帰ってしまったので寂しかったそう。お話を伺ってるとこのお母さんスーパー母ちゃんらしく、子供は東大、京大、名大らしい...。(早稲田が俄然霞みますね笑) そして今では暇つぶしに色々なものをつくってるらしく

こんな折り鶴やそのほかにも綺麗に縫われたクッションカバーや生花など、とにかく部屋がアーティスティックだった。お茶菓子を頂きながらまったりお話していると気づいたらあっという間に1時間が経過していた。「泊まって行ってもいいんだよ」と嬉しいお言葉も頂いたが、その日はさらにそこから40km近く歩く行程だったため泣く泣く断念。それでも最後に伝えてくれた

「親って子供がこういうこと(=旅をする)してると成長を感じて嬉しくなるのよ。あとは旅が終わったら親に元気な顔を見せてあげること、それが一番の親孝行よ。」

この言葉を聞いて、この旅に出ることを実は伝えていなかった実家の両親に旅が終わったら話してみようと思えた。「写真は恥ずかしいわ//」と言いながら一緒に撮ってくれたお母さん、あったかい素敵な時間をありがとう。

そこからは一時間の長居した分を取り戻すべく安城市、岡崎市を歩いた。

岡崎城に着いた時にはすでに午後6時を迎えようとしていた。そして待ち構えるのは岡崎市と豊川市にまたがる山岳地帯この日歩き始めて約10時間。疲労はピーク。足の裏はマメでボロボロだった。それでもいくしかないと思い僕はある作戦にでた。それは”インターバル走”だ。僕はマメの痛みを感じにくくするためには、地面との接地時間を短くすればいいと考え、20分走っては10分歩いて呼吸を整えるという戦略を実行した。

その作戦は功を奏し、3時間半かけて約15kmの夜の山道を攻略。もちろんこのランニングのお供はTさんからもらったBluetoothスピーカーだ(episode2参照)。途中、名電赤坂駅付近ではヤンキー風の兄ちゃん10人くらいとすれ違ったが、ボードを明かりで照らして見るやいなや、めちゃくちゃ応援してくれた!(やっぱヤンキーええ奴多いよな!笑)

そして21時半に山を越えてすぐのMの文字に吸い込まれた。実はここのマクドナルドは日本縦断チャリ旅の時もお世話になったので、少し懐かしさを感じた。

しかし!!!!!

山岳地帯を抜け気が緩んだのか、そんな懐かしさはどうでもいいくらいの激痛を感じた。まず食べ物を注文したものの胃が受け付けない太ももの筋肉は異常な血流をしているんじゃないかと思うほど腫れ、足の裏は針山の上に立たされているようだった。

「今日の目的地、豊橋駅はまだ10km先だ。無理だ。もう寝たい。」

これがその当時のTさんとのLINEの内容。内心、足を切断しなきゃならなくなるんじゃないかと思うくらいうっ血していてまじで限界を感じていた。それでもTさんが豊橋駅で寝床を探してくれたり、Twitterでフォロワーさんから応援のメッセージをいただき、「これでいかなきゃ漢じゃねえ!」と思い23時前に再出発した。

それでも痛いものは痛い。歩き始めはひたすら足を引きずっていたため時速1km程度の鈍足だった。それでも痛みに適応し始め徐々に速度を上げられた。そして歩き始めると有難いことに沢山の人から応援の電話がかかってきた。そのため一人で歩いている感覚はまったくなくなった。さらに歩みを進め、24:30にして豊橋駅まで2km。そこからの2kmはひたすら走った。どうせ痛むのなら早く着きたい、その一心だった。

そして25:15、俺は豊橋駅にゴールした。肉体的な痛みを精神力で打ち勝った瞬間だった。激痛は変わらずあったけど、3日目をゴールできた達成感が溢れた。そして何よりも、物理的には一人でも応援してくれる人は沢山いることを実感でき、俺は一人じゃないんだと実感できた。こうして俺はボロボロの状態でネットカフェに向かい短い3日目の夜を迎えるのであった。通算歩行距離205km。

episode3はこれでおしまい。先輩方との別れにより"人”のチカラに改めて気付かされました。そして言葉のチカラで人間って本当に励まされるんです。だからこそ周りにプラスの言葉を発し続けられる人間でありたいなと思います。さて、今回でボロボロに成り果てた俺は明日以降どうなってしまうのか。

次回、episode4「当たり前化された幸せ」

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