早稲田に俺は 〜前編「俺は浪人生」〜
2014年、高校3年生の春。
早稲田に俺は1mmの
愛着もなかった。
「明日頑張ろうと思えるきっかけ」を映像を通して作りたい。
当初はこの夢の近道だと受験雑誌に書いてあったKO大学の某学部を志望していた。でも、この気持ちは一瞬で変わることになる。
忘れもしない高校3年のGW。関東合同強化練習でのKO高校との練習試合。
「彼らの雰囲気はどうも好きになれない。これが4年間は地獄だ。」
そう感じた俺は遠征からの帰りに、志望校変更を塾長に伝えた。
そう、それが早稲田だった。
それが早稲田との出会いだった。
学部は映像や報道が学べるという理由で、政経、社学、文化構想。そして当時、日本史オタクだったこともあり教育の4学部の受験を決意。
この時はまだ早稲田王も男祭りもSHOCKERSも早稲田魂も何一つ知らなかった。ただ偏差値が私学ではトップレベル。その程度の知識しかなかった。ただ私学トップは響きがいい、その程度のミーハー受験生だった。
2014年夏。初めて田舎から早稲田の地に降り立つ。オープンキャンパスだ。
「この雰囲気はよくわからないけど悪くない。4年間面白そうだ。」
そう感じ取った。この直感だけで受験勉強に心血を注ぐことになる。
それからは勉強だけをした。高校3年の夏まで週6で部活、演劇、バンドの練習と、物理的に勉強の時間が取れなかった。それらを言い訳にして受験に落ちたくなかった。
初めて解いた早稲田政経の過去問。時間無制限でやったにもかかわらず、全科目2割も取れなかった。そこで俺の中で何かに火がついた。
7時起床、1時就寝。移動-食事-入浴は合わせて2時間だけ。1日=16時間勉強を入試まで欠かさず続けた。早稲田の過去問は理系学部を除いた10学部(政経、社学、法、国際教養、商、教育、文、文化構想、スポ科、人科)の過去問10年分を10周した。とりわけ政経は20周は解いた。
簡単に言えば俺は100回以上本番前に早稲田を受験したのだ。
もはやそこまで受かりたいと思った原動力は今となっては自分でもよくわからない。ただ盲目的に解き続けた。早稲田関連の動画をYouTubeで検索する暇があったら問題を解きたい。どうせ合格できればこの目で見れるんだから、と。いつしか俺は早稲田受験対策ロボットと化していた。
歳もまたぎ2015年冬。入試本番がやってきた。家が遠いこともあって、地方学生あるあるの前泊で受験に備える。ゲン担ぎに受験前夜にホテル近くのファミレスでステーキを食らった。しかし当日の朝、緊張からそのステーキは全て口から出て行った。そして震えながら受験会場へ向かう。
そこで不思議な感覚と遭遇する。大隈重信像の横を通り抜ける時、
「君はここにきていいんだよ。」
と何者かに言われる。
頭がおかしくなっていたのかもしれない。ただその言葉を聞いたことを4年経った今でも確かに覚えている。大隈重信公の魔法の後押しだったのかもしれない。そして平静を取り戻した。
俺は本気で100回以上早稲田の問題を解いている。
そう、俺は101浪の人間と変わらないのだ。
1世紀以上もの早稲田の問題と対話をし続けた。
だからこそいつしか、
早稲田に俺は恋をしていた。
今日受験という101回目のプロポーズをしに来たのだ。そう思った。
そして俺は気づけば政経、社学、文化構想、教育(地歴)の入試で瞬間最大偏差値を叩き出し、早稲田へのパスポートを手にいれた。
...後編に続く
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