人形の首④
そこは寝室だった。足元には暗い緑の絨毯が敷き詰められ、窓は赤錆色の紗布で覆われている。
あのとき馬車で見た女は、大きな鉄の寝台の上に起き上がり、クッションに背をもたせかけていた。
赤銅色の長い髪が裸の上半身を覆い、腰から下はかろうじてシーツで隠れている。
女の目は相変わらず黒い布で覆われている。そのうえ手首と両足には頑丈な鉄の枷がつけられ、太い鎖でベッドの支柱に繋がれていた。
「おまえは誰?」
女の声は、なよなよとした身体つきにも、あられもない姿にもまったく不釣り合いだった。
不安や警戒の響きは微塵もなく、きわめて落ち着いた、命令し慣れた者の口調だった。
「あたし・・・あたし、この森の外に住んでるシェリンです。この子はミラ」
女がわずかに首を傾けた。
「ミラ? 足音は一つしか聞こえなかった。歩幅は狭く体重は軽い、まだ子どもだね。ということは人形でも連れているのかね。生きた動物の匂いはしないから」
「はい、ミラはあたしの人形です」
「用件は何?」
「その、ご挨拶したくて」
わずかに間が空いた。かえってきたのは、ため息まじりの返事だった。
「おまえは家の人に黙って来たね」
「奥様はなんでもおわかりになるんですね」シェリンは小さな声で言った。
「わたしが人からどう言われているかくらいは知っている」
「魔女、ですか?」
「優れた才能の持ち主は時に妬まれるものさ。相対的な問題に過ぎないけどもね。わたしのもといた世界では、わたし程度の力の持ち主は少しもめずらしくはない。でもこの世界では異端になる」
「もといた世界ってなんですか?どうして繋がれてるんですか?力ってなんのことですか?」
「質問は一度にひとつにおし。それにおまえは、そこに突っ立って質疑応答するために来たのじゃなかろう。望みを言うか、でなければさっさとお帰り」
「あたし、奥様のお話し相手になれないでしょうか」
「それはいらない。まあ、おまえが男なら考えてもよかったけどね」
「いとこがいるんです。男の子たちですよ」
「おまえより年上だろうね?」
「15歳と13歳」
「若すぎる!」
「でも奥様、歳や男女がそんなに重要なことですか? だってあなたは人の顔がお見えにならないのに」
魔女が急に身じろぎしたので、鎖が派手な音を立てた。シェリンは一瞬相手を怒らせたのかと思い、ベッドのわきからとびのいた。しかし魔女はただ、声をあげて笑っただけだった。
「おまえはおもしろい子だね。でも重要な点を見逃している。第一に、わたしは盲目ではない。第二に、視覚を頼りに好みの相手を選ぶわけではない」
「あたしが、あなたのお好みではないというわけですね。でも、それがあたしの望みなんです。あなたが本当に魔女なら、あたしの願いを叶えてください。あなたがだめなら、ミラがあたしと話せるようにして!」
言ってしまってから、シェリンは赤くなった。ずいぶん簡単に口にしてしまった。自分だけの胸に秘めていたはずの、こんなにも子どもじみた、現実離れした願いを。
だが魔女は今度は笑わず、軽く肩をすくめただけだった。
「おや、やっと正しい望みを言ったね。それなら取引できる。おまえのその人形が、人間のように口をきけるようにすればいいんだね?もちろん代価をいただくよ」
シェリンの胸は高鳴ったが、魔女の最後の言葉で期待はしぼんだ。
「奥様に差し上げるようなものは何も持っていません」
「それは違う。考えてもご覧。臓器が取引の材料になる世界もある。その世界へ行けばおまえの心臓、腎臓、肝臓、眼球、血液、すべてに値がつく。若く健康なおまえの身体は、ちょっとした財産ということになる」
シェリンは震えあがって自分の心臓を抑えた。
「あ、あたし――」
「安心おし。わたしはそれよりも深い世界、いわばより進化した世界から来ているのだからね。わたしたちの世界では、他人の心臓を買う意味などない。いくらでも複製できるのだから。そのかわり世界は、あるひとつの力学に左右されている。わたしたちはそれぞれ設計図に沿って誕生し、期限付きの生命を与えられる」
「よくわかりません」
「ではわかりやすい話をしよう。わたしが何歳に見える?」
「23歳くらい・・・」
「違う!わたしは67歳。なぜなら、わたしが交換するのは命の時間だから。まず、ひとの寿命は決まっている。なぜ決まっているのか、それは長い話になるから、まあ運命としておこう。わたしは人の望みを叶える代わりに、相手の寿命の何分の一かを受け取り、自分のものにする。おまえの望みの場合、代価は1年てところだね。つまりわたしに対して代価を払ったとき、おまえの寿命は本来のそれよりも一年短くなる」
「たった一年でいいんですか?」
「おまえくらい若いうちは、1年でも10年でも気前よく支払うものなのさ。でも気を付けるんだね。表に下男のジャックがいただろう。彼の寿命はあと5年も残っていない。わたしに願い事をしすぎるとそうなるよ」
魔女はふいにシーツの下から生白い足を突き出し、ベッドの足元に括り付けられていたベルをつま先で蹴った。すると、庭先にいた男がすばやく部屋に入って来た。彼は寝台にかがみこむと、腰につけた鍵束を使って鎖のついた枷を次々とはずし、魔女の肩にガウンをはおらせた。
魔女はガウンの前を合わせながら立ち上がった。
「人形をそこのテーブルの上に置いて」
シェリンは言われた通り、黒檀の丸テーブルに人形を横たえた。
絹ずれの音がしてはっと見ると、魔女は両腕を自分の頭の後ろに上げていた。
目隠しの黒い布をほどこうとしているのだ。
それに気づいて、シェリンは息をつめて見守った。
布がゆっくりと魔女の顔から剥がれ落ち、伏せたまつ毛と、青白い瞼があらわれた。
その目が開かれた瞬間、シェリンは叫び声をあげ、それから意識が途切れた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?